第5話 出会い


 この世の中には、とんでもなくキレイな存在がいるんだな。

 それがあたしがアシュタルテさまを初めて見た感想だった。

 びっくりするくらい分厚くて、良くわからない彫刻が一面にされている扉が開く。

 最初に見えたのは、光。

 魔法を使う際に現れる燐光なのだけれど、アシュタルテさまの“ソレ”は淡いなんて物じゃなかった。


(すごく、怒ってるのでは……?!)


 パチパチ、チリチリ――音がする。

 魔力が空気を弾いて、燃やしている。瞬くような光は、実態を知らなければとても尊いものなのだけれど。

 感情の高ぶりに合わせて、魔力が実体化してると思うと気軽に近づけない。

 つまり、近づくなキケン。


「アシュタルテ・ベッラ・フォン・スタージア。ご用命に応じ、参りました」

「おお、良く来た」


 誰もその状態に触れないまま、アシュタルテさまは陛下の前で優雅に膝を曲げた。

 淀みのない動き。軽やかに広げられたドレスの裾。

 そのどれもが貴族令嬢として完璧な美しさを持っていた。

 陛下も魔力の発現にはまったく触れず、目を細めるだけ。

 もうその時点で、あたしの理解を超えている――王都の貴族、コワイ。


「相変わらず、美しい礼じゃのう」

「ありがとうございます」


 パチン!と音がして、アシュタルテさまの周りの光が消えた。

 冷血令嬢と呼ばれる、人形のような横顔がはっきりと見えた。


(うわ)


 息を呑むような美貌。横顔だけで、そこに美があるとわかる。

 何より完璧な魔力操作に目を奪われる。自分の意志で、あの燐光を出して、消す。

 そんな芸当ができる人間をあたしは知らない。


(こんな人を、うちで預かるの?)


 今さら、とんでもないことをしてしまったのではないかと、背中を冷たい汗が流れていく。

 魔力に関するスキルをあたしは持ってない。騎士団の人だって、ここまでの操作はできないはずだ。

 ひとり気圧されているあたしをそのままに、陛下とアシュタルテさまのやり取りは自然に続いていく。


「呼んだのはそなたの処遇について決まったからじゃ」


 なるべく端に寄って目立たないように息を潜める。

 そんなことしなくても、陛下とアシュタルテさまがすべての注目を集めているのだけれど。

 確実に巻き込まれるとわかっているなら、少なくとも今は心を落ち着かせたかった。

 陛下の言葉に、アシュタルテさまは仮面のように整った眉をピクリと上げる。


「婚約破棄されただけで十分では? 大人しく部屋にいるつもりでしたし」


 アシュタルテさまは目を大きく見開いたあと、扇を広げ目を伏せた。

 悲しそうな雰囲気が漂っているのだが、真横から彼女の顔を見れるあたしには通じない。これ以上制約を受ける謂れはないと言っているように見えた。

 陛下はアシュタルテさまの言葉にわずかに首を傾げた。


「お主がそのつもりでも、王都にいるというだけで煩い輩が多くての」

「まぁ、そうなのですか?」


 うん、これ以上ないほど貴族らしい会話だ。

 毒殺の疑惑があるアシュタルテさまは王都にいるだけで、注目を集める。真実がわかるまで死なれても逃げられても困る。

 当然、アシュタルテさまは王家の事情がわかっている。だけど、自分をコケにした殿下の、ひいては王家のためにわざわざ自ら矛を収める気はない。

 まったく、表と内面が正反対の会話は困る。


「毒殺容疑となるとな」

「まさか、陛下はあの茶番を信じてらっしゃるのですか?」


 眉間に皺を寄せた陛下が、アシュタルテさまを見ながら顎を摩る。彼女はわざとらしく身を引き、目をぱちくりとさせた。

 国王陛下は咳ばらいをして手を広げて顔を振る。

 茶番と茶番。狸爺と冷血令嬢の腹芸だ。


「茶番とてああも大勢の前で披露されれば影響はある。お主がプッツンしたのも悪化のひとつじゃぞ」


 プッツンの部分で、陛下は額に当てた指を横に振った。

 初めてアシュタルテさまの表情が動く。作られたものではない、自然な動き。

 言葉にすれば「失敗した」くらいだろうか。年下らしい部分が垣間見えて、なぜかほっとする。


「すべて面倒になったもので……申し訳ございません」


 わずかに尖らされた唇が、彼女の本意ではないことを表している。

 しぶしぶ頭を下げたアシュタルテさまだったが、次に顔を上げた時その視線は鋭く陛下を見つめていた。


「ですが」


 ぴりとあたしの肌に電気が走る。もしかしたら魔力が空気を伝わっているのかもしれない。


「セレナが来てから、王子の態度は悪化するばかり。堪忍袋にも限界がありますわ」


 セレナ。知らない名前だ。だが第二王子が婚約破棄した場面に出てくる名前なんて、予想がつく。

 不貞か、不貞疑惑の相手。それが当たりかは、あたしには分からないのだけれど。

 アシュタルテさまは扇を閉じると、顎の下にとんと当てた。


「大体、この私がわざわざセレナの隣にいるアルフォンスさまを毒殺なんていたしません」


 チリと空気が焦げる音がした。

 断言する。あたしはアシュタルテさまから一瞬も目を離していない。

 だけど、いつ、どうやって、スキルを発動させたか少しもわからなかった。

 気づいた時には入場のときと同じ光走る魔力が、アシュタルテさまの周りに現れていたのだ。


「だって」


 アシュタルテさまがそう言ったときには、視界から消えていた。

 慌てて顔を動かし周囲を探すと、玉座にいた。走っても数秒はかかる距離だ。

 陛下の足元にドレスの裾が着いている。その近さは生殺与奪権を握られているに等しい。


「こうする方が早いですもの」


 目の前に立つアシュタルテさまを見て、笑っていたのは陛下だけだった。

 アシュタルテさまの行動に微塵も反応できなかったか。慌てて陛下に詰め寄るか。

 周囲の行動は、そのどちらかに分けられる。


「スタージア嬢!」

「良い良い。アシュタルテは今までこの力を使わなかっただけじゃからな」


 陛下との間に入りこまれて、アシュタルテさまは顔をふいと向こう側に向けられると、すんなりと距離を離した。

 剥がされたわけではない。自分から引いたのだ。

 それは彼女がやる気になれば、陛下を害することもできたということ。

 陛下は歯噛みする騎士や貴族をちらりと見回した。


「女だろうと能力があれば、国王に肉薄できるということじゃ」


 ぐっと言われた男の人達の顔がしかめられる。

 この国で女と同じ能力と言われるのは、男にとって屈辱的なことなのだ。

 少し考えれば、スキルがある時点で性別だけでは能力が測れないとわかるのだけれど。

 陛下はその反応にため息をつくと、アシュタルテさまを見た。


「お主なら毒殺なんて、まどろっこしいことはせぬか」


 アシュタルテさまは陛下の側から、元の位置に戻っていた。それから斜に構えると唇の端を薄く上げた。

 まったく動いているのが見えなかった。息も切れていない。

 確かにこの力があるなら毒殺なんてする意味がない。彼女の言う通り、まどろっこしい。


「少なくとも、セレナが隣にいる時にはいたしません」

「……まったく、勿体ないのぉ」


 陛下はアシュタルテさまの言葉にがっくりと肩を落とした。

 自分の能力だけで王家に肉薄で着て、内政能力も高いのだ。

 勿体ない――その力が王家に取り入れられれば、もっと発展できただろうに。陛下のその想いが伝わってくるようだった。

 そして、今からその力をノートルに入れられるのは運が良い。


「ライラック・フォン・ノートル」

「はい」


 陛下の呼びかけに片膝をつく臣下の礼を取る。

 隣にいるアシュタルテさまは直立したままだったが、ちくちくするものを感じた。

 ちらりと見上げれば視線があったが、すぐ逸らされてしまう。


「このような令嬢じゃ、ノートル領でも問題ないとは思わぬか?」

「は、はい」


 肉体的には確かにまったく問題なさそう。だが、ノートルは娯楽もないド田舎だ。

 つまらなすぎて不機嫌になられたら、止める人がいない。


「ノートル?」

「お主を引き取ってもらおうと思ってな」

「王都を離れろと?」

「なに、落ち着くまでじゃ。この者も領主代行になったばかり、お主の優秀さで手伝ってもらえぬか?」


 次々と交わされるやり取りを、顔を右に左に動かしながら見守る。

 アシュタルテさまの表情は変わらない。陛下は最初の柔らかい顔に戻っていた。

 手伝うの部分でアシュタルテさまの視線があたしに突き刺さった。心臓が跳ねて、体に力が入る。


「領主代行……ですか」

「はいっ、ライラック・フォン・ノートルと申します!」


 臣下の礼から、立ち上がり目上の貴族に対する挨拶をする。

 顔を真っ直ぐに見て一礼。正面から見た瞳は深紅だった――悪魔の瞳。青いほど尊いとされるこの国で、深紅の瞳は嫌われるのだ。


(色に優劣もないでしょうに)


 何よりアシュタルテさまの瞳は綺麗だった。

 あたしは必死にマナーを思い出しながら体を動かす。

 王都に来る前に一通りマナーをおさらいしていて本当に良かった。夜会がないから大丈夫かなと、王家に対するマナーだけにしようか迷ったのだ。


「あなたはわたしが怖くないのですか?」

「アシュタルテさまが、あたしの仕事を手伝ってくれるのであれば……悪魔だろうと怖くありません」


 あ、と思った。深紅の瞳について考えていたからか、うっかり、口を滑らせた。

 悪魔の瞳と言われたかもしれない人間にむかって「悪魔だろうと怖くない」は悪手だろう。

 空気が凍る。あたしもまずいなと思ったし、陛下や貴族も固まっていた。

 そろそろとアシュタルテさまの様子を伺う。と、想像とは丸きり違う姿がそこにはあった。


「ふはっ、寄りによって悪魔って」


 笑っていた。初めて見る笑顔だった。

 少しだけお腹に手を当てて、肩を揺らしている。

 一瞬ですぐに扇で隠されてしまった。だけど、あたしは確実にアシュタルテさまが笑っているのを見たのだ。


「良いでしょう、この私が手伝ってあげます」

「新しい縁は素晴らしいのぉ」


 その会話を、あたしはどこか上の空で聞いていた。

 残っていたのは、アシュタルテさまの笑顔だけ。

 不遜な態度とは正反対の可愛らしい姿だった。


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