第25話 作戦会議
その日の夜、ノートルの屋敷の執務室では、あたし、アシュタルテさま、ビアンカが集まっていた。扉近くにはオレットが立っていて、廊下での物音に耳を立てている。
アシュタルテさまだけがソファに座っていた。
ビアンカは壁に背をつき、あたしは気を紛らわすためにソファと机の間をウロウロしている。
ダンジョン調査の報告を聞いたアシュタルテさまが信じられないとうように、顔をしかめた。
「五級? あのダンジョンが五級になったというの?」
「ほんと、ありえないよね」
あたしはため息まじりに頷く。
アシュタルテさまが静かに紅茶をソーサーに戻した。その顔は険しい。
それから、考え込むように顔の下に手を当て、顎を引いて沈黙する。
しばらく時間がかかるだろう。
「オレットが来たときは、どういうことかと思ったけどさ」
ビアンカの声に顔を向ける。
ビアンカはアシュタルテさまを見ていた視線をこちらに向け、両手を肩の高さに上げると首を何度か横に振った。
「本当に、浄化なんてかけてからダンジョンを見たのかい?」
ビアンカの言葉にはからかいと疑いがあった。
ダンジョンに浄化をかけるなんて、それほど稀なことなのだ。
まず、使える人が少ない。次に使えたとしても、勿体ないから使わない。材料としても、魔力としても、無駄のほうが多い。
ライラはビアンカに深く同意するように頷いた。
「一階層、丸ごと浄化したんだよ」
一階で報告されていたのは、ダンジョンモンスターとしてはゴブリンやコボルト、スライム。
森に元からいるものとしては、バーバー鳥とワーム系だ。
ダンジョンモンスターからは魔石が、森のモンスターからは材料が取れる。
その内容を知っているビアンカは、目を閉じて頭を振った。
「もったいないねー」
「魔力量だけは、図抜けていたのよ。セレナは」
それは間違いない。
あの臆病な殿下が、聖女を連れ回す理由もわかる。
アシュタルテさまはビアンカへ視線を向けると、頷いた。それから、あたしへダンジョンでの様子を確認してくる。
「それにしても、すべて浄化したの?」
「ワンフロアとボス部屋ね」
入口から1回。ボス部屋の前で1回。
それで目の前に出てくるようなモンスターはいなくなった。
何かしらの気配はしたので、力量差がわかるモンスターは残っている可能性がある。
アシュタルテさまの顔は真剣そのもので、細かな皺が額に刻まれていた。
「ダンジョンは一つの生態系だから、まるきり消してしまうのは予想外のことが起きる可能性があるのよ?」
予想外の言葉にあたしは上を見上げた。
ダンジョン自体未知のものなのに、浄化により想定することが更に難しくなる。
厄介なことしかしてくれない。あたしは絞り出すようにつぶやいた。
「踏んだり蹴ったり」
しばらく誰も話さない空間が続いた。
あたしは顔を正面に戻してから、部屋をゆっくりと見回した。全員の視線を感じる。
こほんと咳払いしてから、姿勢を正す。
「予定通り、あたしは王都に行くことにしました」
オレットから伝言してもらっていたからか、二人とも驚く様子はない。
アシュタルテさまがあたしの言葉に皮肉気に唇を釣り上げた。
「ここまで予想通りだと、怖いくらいだけど」
まったく、その通り。あたしは深く頷いた。
ここまで酷いとは思わなかったのだが、アシュタルテさまの予想が当たっていたと言える。
ビアンカは壁から背を離し、ソファの近くに立った。
「王都へはどうする? あたしが護衛につくかい?」
「ううん、オレットと行くよ。ビアンカは、ダンジョンとアシュタルテさまのことをお願い」
ビアンカの言葉にあたしはすぐに首を横に振った。
ビアンカがついてくれるのが一番心強くはある。
王都は慣れない場所だし、今回はダンジョン調査について文句を言いに行くようなものだから。
だけど、アシュタルテさまの言葉で別の懸念もできた。
「本当は一人で行きたいんだけど」
ダンジョンに不安があるなら、なるべく人を残しておきたい。
オレットも貴重な戦力だ。第一騎士団が当てにできないのだから、ノートルに残す人は多いほど良い。
だが、あたしの言葉にビアンカはすぐさま口を挟んだ。
「止めときな」
視線がぶつかる。
ビアンカの瞳は真剣だった。アシュタルテさまもにらむに近い鋭さの視線を向けてくる。
どうやら、軽率だったようだ。
「あんたが作ってくれた武器もあるし、帰ってくるまでくらいは大丈夫さ」
ビアンカは厳しい顔をふっと緩めた。
あたしは胸の前で手を合わせた。
「ごめんね。一応、新しいのも部屋に入れといたから」
材料に困らなくなってから、飛び道具も多く作れるようになった。
少人数で多くの敵を倒すにはどうすればいいか。
めっちゃ強い武器をつくるか、弱くても広範囲をカバーできる武器か。
第三騎士団は身体能力も高い少数精鋭だ。そのため、半々くらいの量にしてある。
第二騎士団も加わるなら、広範囲をカバーできるものを多くしておけばよかったかもしれない。
と、考えていたらそっと服の袖を掴まれた。
「アシュタルテさま?」
「王都はあまり良い状況じゃないわ」
あたしは視線を座っているアシュタルテさまに向けるため下げた。
だがアシュタルテさまはこちらを見ず、前を向いたままだ。
もう一度名前を呼べば、ちらりと視線だけ向けて、また前を向く。
「元々、第一王子と第二王子の間で派閥争いがあったんだけど」
「そうなんだ」
アシュタルテさまから告げられた情報に、あたしは首を傾げた。
袖から指が話され、アシュタルテさまが額に手を当てる。
見える横顔は苦笑していた。情報に疎いことは、あたし自身重々承知している。
「……あなた、地方領主で良かったわね」
「宮廷貴族にはなれないかな」
アシュタルテさまの一言にそのまま頷く。
自覚はあった。情報を集めて行動する宮廷貴族には、微塵も向いていないだろう。
アシュタルテさまは頬に手を当てると珍しく、ひざ掛けに体重を預けて小さな声で呟いた。
「なったら、私の傍におけるのに」
「何か言いました?」
「いいえ」
小さすぎて聞き取れなかったので、聞き返した。
だが、教えてくれることはなく、アシュタルテさまはいつもの冷静な横顔に戻っていた。
ビアンカに見るとにこやかな笑顔で、首を横に振られる。
聞こえていたけれど、教えてくれる気はないらしい。
「とにかく、第二王子派の人間が動いているのは確か。あの事件を機にごたごたしてるみたいね」
なるほど、アルフォンス殿下が好き勝手できるのにも、ある程度の理由があるらしい。
アシュタルテさまが王都から遠ざけられた理由に、派閥争いもあるのだろう。
となると、あたしには気になる事ができる。
「スタージア家は第一王子派なんですか?」
「難しいところね。うちの家は基本的に中立で、だからこそ、私が第二王子に嫁ぐことで第二王子の面子を保つ予定だったのだけれど」
はぁとアシュタルテさまはため息をついた。
嫁ぐ家にまで気を使わないといけないなんて、相変わらず貴族は面倒くさい。幼馴染というだけで婚約者を決めるノートルの方が珍しいのか。
あたしはアシュタルテさまの横顔を伺った。
「アシュタルテさまは大丈夫ですか?」
ふっとアシュタルテさまは小さく笑い、無言でスキルを発動した。
いつかの夜に見た魔力の燐光がアシュタルテさまの体をまとう。
この状態のとき、彼女の身体能力は陛下に肉薄できる。陛下のお墨付きだ。
「私はこの通り、自衛くらいはできるし……あなたの方がよほど心配よ」
アシュタルテさまの赤い瞳が気づかわし気にあたしを見る。
そう言われると困ってしまう。戦闘スキルがないのは本当だから。
だけれど、その分、自衛の道具は色々作っているのだ。
「領主代行として挨拶してくるだけだし、逃げるための道具は多めに持ってくことにするよ」
身体能力を一時的に上げる方法は色々あるのだ。
戦うのは難しくても、逃げるくらいならどうにか。
あたしの言葉に、アシュタルテさまは安心したのか「そう」とだけ返して紅茶に手を伸ばす。
あたしは、むしろあたしがいない間のノートルが心配だった。
「ビアンカ」
「はいはい」
「あたしがいない間、ノートルとアシュタルテさまをよろしく」
ディルムでは対応できないことも多いだろう。
とくにダンジョンを甘く見ているし、町のことも分からない。その場合、ビアンカに縦横無尽に動いてもらうことになる。
それからーーあたしはアシュタルテさまの傍に膝をつく。
「アシュタルテさまは、なるべく大人しくしててくださいね」
「わかってるわ」
下からまっすぐに見つめれば、ふいと顔を逸らされた。
まぁ、無理しないならそれだけで良い。
あたしは苦笑しながら、もう一度立ち上がった。
薪の炎が揺らめいている。
「陛下に直訴、行ってきます」
こうやって、あたしの三度目の王都行きは決まったのだった。
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