怪獣は繭の中①

 世の中は所詮、年功序列制だ。

 重ねてきた人生の分だけ有利で、若い人間には不利になるように出来ている。

 だからが来るまでにほどほどの成果を出しつつ、じっと力を溜める方が賢いやり方だ。


 幸いなことに俺はポテンシャルに恵まれていた。

 高身長、恵まれた筋力。

 プロのスポーツ選手としてはこれ以上ないほどの素材だ。

 これまで会った誰もが俺の将来に希望を抱いた。

 だから、俺はちゃんと自分の価値を分かっている。

 今は牙を研ぐ時なのだ。


 だというのに、今の俺には苛立たしく感じる同僚がいる。

 入夏水帆。一つ上の世代で、今の千葉ドルフィンズで最も期待されている野手だ。


 最初彼を見た時に湧いたのは、親近感と哀れみの感情だった。

 何かに憑りつかれたかのように練習、練習、練習。されど結果は出ない。

 それでも入夏は練習を繰り返す。

 目の前の結果を欲しがる人間はこうも哀れに見えるのかとすら思った。

 入夏は身の丈に合っていない努力をして、その内消えていくのだろう。

 だから仲良くなろうとした。ずーさん、なんてあだ名をつけて付きまとった。


 しかし彼は今、俺を差し置いて変わろうとしている。

 それが俺には許せなかった。



 ドルフィンズの後半戦はアウェー球場から始まる。

 仙台せんだい稲妻いなずまボールパークは仙台スパークスのホームグラウンドとなる球場である。

 球場の近くにはアトラクションが設置されている。

 聞いた話によると「大人や子供、男性や女性に関わらず誰もが楽しめる球場」をイメージして作られたものらしい。

 

 アウェーチーム用のベンチで、入夏は試合開始に向けて準備をしていた。

 既にスタメンは発表されており、入夏はいつも通り1番ライトでの起用となっている。

 隣には今日6番サードに座る槍塚が座っている。


「そういえば、槍塚。勝負って何をするんだ」


「お互いスタメンですし、今日の打席の結果で勝負しましょうよ。俺が勝ったら、そうだなぁ。今の人にびるような姿勢をやめて、元の入夏さんに戻ってもらいたいなぁ」


「じゃあ、俺が勝ったら?」


「その時は入夏さんの言う事を何でも一つ聞いてあげますよ」


 まぁ負けるつもりなんてさらさら無いですけどねー、と槍塚は笑みを浮かべる。

 槍塚から送られた挑戦状、その意図は分からない。

 けれど、普段の軽薄で飄々とした槍塚からは考えられないような闘志を感じた。

 彼も彼で、何かを感じ取っている事が先輩として嬉しく感じた。

 そのため入夏は勝負を受ける事にした。

 といっても、勝負と聞けば受けないわけにはいかない性分なのだが。


「あぁ、分かった。それでいこう」


 やがてプレーボールの声がかかる。

 相手先発の右腕、浦内うらないが初球を投じた。

 入夏は直球を迷うことなく打ち返す。

 打球はセカンドの脇を抜けてライト前へと転がっていった。

 まずは一つ。

 入夏は小さくガッツポーズを挙げた。


 入夏が打てば槍塚も続く。

 センターオーバーのタイムリーツーベースヒットを放った。

 既に生還していた入夏は塁上の槍塚に拍手を送った。

 やっぱり普段と気合の入りようが違うように見える。

 勝負の事に関してそこまで躍起になる理由は分からないが、ともかく試合でのやる気が上がっているのは良い事だ。


 試合は両先発が崩れて乱打戦にもつれ込む。

 2回の表、早くも入夏に二度目の打席が回ってきた。

 先ほどの打席は内容も良かった。

 良いスタートを切った事で入夏の気分も上々だ。

 前半戦でおさらいした勇名の打撃指導が活きているような気がする


 1球、2球と連続で見逃しカウントは1ボール1ストライク。

 3球目、インコースへと直球が来た。

 腕を畳むようなスイングは、ボールをバットの真芯で捉えた。

 両手にしっかりとした感触を残して、入夏はバットを丁寧に地面に置く。

 打った瞬間にそれと確信できるほどのホームラン。

 ドルフィンズが再びスパークスを突き放した。

 入夏がベースを一周してベンチの選手とハイタッチしていると槍塚と目が合った。

 槍塚は複雑そうな表情をすると、ふいと顔を逸らした。


 試合は中盤から落ち着き始め、7対5とドルフィンズがリードしたまま8回の表を迎えていた。

 先頭打者は6番の槍塚からだ。

 ここまで入夏は5打数4安打、1本塁打の固め打ち。

 槍塚も3安打猛打賞と久々に打棒が爆発して4回目の打席に入っていた。


 勝負の計算がどうなるのかはよく分からないが、塁打数では現在のところ入夏の方が勝っている。

 相手マウンド上では7回から回またぎで外国人投手が投げている。

 初球、槍塚は外角に逃げる変化球に対して豪快に空振りした。

 槍塚を知っているのなら誰にでもわかるような、強打狙いのフルスイングである。

 明らかに槍塚は焦っているように見えた。

 勝負が良からぬ方向に傾いているらしい。


「槍塚ー! しっかりボール見ていけよ!」


 思わず入夏はベンチから立ち上がり、檄を飛ばす。

 無論、勝負は勝負だ。

 勝ちたいのは当たり前、しかし。

 相手が勝手に力んで自滅したから勝てました、だなんてのはごめんだ。


 槍塚が一度間を取って打席を外れる。

 入夏の声が聞こえたのか、首が3塁ベンチの方へと向いた。

 槍塚は歯を食いしばっていて、その顔には青筋が立っていた。

 「誰のせいでここまで焦っていると思ってんだ」とでも言いたげに槍塚はベンチをひと睨みする。

 入夏も毅然とした態度で槍塚を見ると、毒気を抜かれたのか槍塚はため息をついて打席へと戻る。

 再び構えた彼のバッティングフォームからは力みが抜けていた。

 どうやら余計な思考は頭から消えたようだ。


 向かい直った槍塚はピッチャーの揺さぶりに動じず、カウントを打者有利に持っていく。

 そして4球目、アウトコースの変化球を打ち返した。

 木製バット特有の快音を鳴らして高く上がった打球はセンター方向へと伸びていく。

 

「入れ―!!」


 打席から一塁へと走る槍塚の口が動く。

 ボールを追いかけてセンターが背走する。

 フェンスの直前まで走ると、センターの足が止まった。

 僅か数十センチの差。

 打球はバックスクリーンに届かず、センターのグラブへと収まった。




『放送席、放送席! ドルフィンズファンの皆様、お待たせいたしました! ヒーローインタビューの時間です! 本日のヒーローは―――』


「ずーさん、いかなくていいんすか」


 試合を勝利で終え、道具を片付ける入夏の背後から槍塚の声がかかる。


「今日のヒーローインタビューは俺じゃないよ。阿晒さん」


「あぁ……あの人二打席連発でホームラン打ってましたもんね」


 お互いそこから話が続かない。

 話すべきことはあるものの、入夏は言うタイミングを計りかねていた。


「なんすか」


「いや……勝負の件ってどうやって決めるんだろうかって」


「なんすか。俺に参ったって言わせたいんすか」

 

 槍塚は分かりやすく拗ねて声を返す。


「別にそういうわけじゃ」


「というかずーさんもずーさんですよ! 勝負中に相手に塩を送ってどうすんですか! 何かこれで俺が勝っても後味悪いですし? まぁ今回は? ずーさんの勝ちって事でいいですけど?」


 素直じゃないやつ。


「というか、いいっすよね入夏さんは。俺に無いようなものをいつの間にかたくさん手に入れて。何か俺、置いてかれちゃったような気がしますよ」


「…………」


 槍塚はきっと迷っているのだろう。

 自分の行く先に。自分自身に。

 入夏にはその気持ちがよく分かった。

 ちょっと前まで自分も泥沼の中にいたのだから。

 何か彼のために出来る事は無いのだろうか。

 ……いや、一つだけある。


「さてと! まぁ約束は約束ですから! 俺、吐いた唾はちゃんと呑みこみますよ! 

腕立て伏せ1000回ですか、それとも一発芸でも披露しましょうか!」


「そうだな、じゃあ一つ。俺と飯を食いに行かないか?」


「……はい?」

 



 

 

 


 

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