飛べない鳥の王子様③
千葉ウミネコ球場での千葉ドルフィンズ対福岡マッハトレインズの三連戦、その三戦目。
先に二勝を決めた千葉ドルフィンズは、幾カードぶりの三連勝をかけて戦っていた。
それにしても、体が軽い。
万田から練習に誘われてから、鳥居は自分の調子が上向きつつあることを体で感じていた。
まるで背中に羽が生えたような……とまでは言えないが、心が軽くなったのは事実だった。
ここ二試合で好成績を収めて勝利に貢献していたのも足取りが軽い原因だろう。
万田のおかげと言うのは彼から得意気な顔をされそうで癪に障るが、彼の影響がある事は否めない。
この日は先発の
セカンドの守備位置から見てもストレートがよく走っていて、4回までランナーを一人も出さないピッチングを見せていた。
打線も入夏の今シーズン4号のホームランや早々江の2点タイムリーなどで4点を先取。
テンポよく来ていた6回、ピンチが舞い降りた。
1死からサードの早々江がエラーで出塁を許し、続く打者には決め球を見切られて四球。
そこから暴投とタイムリーヒットが重なり3点差、なおもランナーを一三塁に置くピンチを迎えていた。
ここが試合の正念場だろう。
張りつめた空気を感じながら、鳥居は守備位置を調整していた。
次の打者、
ダブルプレーを第一に考えつつ、やや一塁に寄り打球に備える。
その初球、投手が投球に入ると同時にランナーがスタートを切った。
ヒットエンドランだ。
高足が打った打球は二遊間へと転がる。
(―――来た!)
ワンバウンドした強烈な打球に対して鳥居は滑り込む。
捕球できると判断し、瞬時に次へと鳥居の思考は動く。
一塁ランナーは既にスタートを切っている。
普通に取っていては間に合わない。
安全策を取るか、それとも挑戦するか。
「鳥居さん!!」
万田の声が聞こえる。
鳥居は唇の両端を上げた。
自分が特別な選手ではないことはとうに知っている。
それでも―――
(それで終わっちゃ勿体ないよな)
勿体ない。
頑張ってきたのを隠したままだなんて勿体ない!
ファンにベストなプレーを見せないなんて勿体ない!!
もっと出来るはずなのに、やらないなんて勿体ない!!!
グラブでボールを弾くようにショートへとトスする。
今まで試してみようと思いながらも出来なかったプレーだ。
(行け!)
鳥居の思いが通じたのか、ふわりと浮いたボールは万田のグラブに収まる。
「信じてたぜ」
練習通りだ。
万田が捕球し、素早く一塁へと送球する。
ファーストが捕球するのと、打者走者が一塁を駆け抜けたタイミングはかなり際どい。
やや間をおいて、一塁審がアウトを申告した。
ダブルプレーだ。
ふぅ、と一息ついて鳥居はスパイクに付いた土を払いつつ、ベンチへと足を動かす。
その横で目を輝かせる万田が目障りだったので、グラブをはめた左手を差し出してやる。
万田は「お手」を指示された大型犬のように、笑顔を浮かべながらグラブを突き合わせた。
◇
最後は鳴子がきっちり三人で締めてゲームセット。
チームは久々の同一カード三連勝を達成した。
試合後、ロッカーの片づけをしていた入夏に鳥居から声がかかった。
「入夏君、ご飯食べに行かないか?」
『これはひょっとしなくても一件落着、ってとこか』
やれやれ、といった感じで勇名が言う。
入夏は今にも舌打ちしそうなくらいの冷たい目で勇名に視線を送った。
「今回勇名さんは突き放しただけですよね」
『いやいや、そんな事無いよね? ……え、無いよね?』
「はは、あなたに突き放された時は凹みましたけど、チームメイトのおかげで目が覚めました」
鳥居がにっこりと笑う。
心なしか少し開いた目が笑ってないように見える。
『アレ? 暗に俺は何もやってない扱いしてない? ところでだけど、これでもう俺の事は誰にも言わないって事でいいのかな』
「そうですね。約束は約束ですから。迷惑をかけたお詫びもかねて、食事に誘おうかと」
「焼肉ですか?」
「ここら辺にいい寿司屋を知ってるからそこに行こう。万田も連れてね」
『寿司! いーねぇ! 分かってるねぇ!』
寿司と聞いて勇名はご機嫌なようだ。
こうして入夏と鳥居と万田の3人と亡霊1人で寿司屋クエストを受注したパーティーが作られた。
暖色に包まれた店内は
店の中央ではいかにも武骨そうな顔をした板前が黙々と仕事をしている。
「俺、何にも考えずに来たけど……そういえば回転寿司以外の店に来た事無かったわ。服装ちゃんとしてないけど大丈夫かな」
自らの服をちらちらと確認しながら万田が言う。
空気に臆した彼の腰は明らかに引けている。
そう言われると、と入夏も自らの服装が恥ずかしくなってきた。
今日入夏が来ているのは半袖のシャツである。
醤油をこぼそうものなら大惨事になりそうな真っ新さだった。
「二人とも、こういう店に来たことないの?」
「こういうお店だとあんまりガツガツ食べられなくて……」
「左に同じ。今まで量をひたすら求めてきたから慣れてないっす」
「君たちは……いや、説教はまた今度にしよう。今日は奢るから、好きなものを頼むといい」
「えっじゃあお言葉に甘えて―っと。うわメニュー表に値段書いてないんだけど。恐ろしっ」
「それと。二人には渡したいものがある。はいこれ」
鳥居が二つの箱を取り出し、入夏と万田に配る。
開けろと促され、二人は箱を開ける。
中に入っていたのは腕時計だった。
銀の装飾が施された、とても綺麗な時計である。
「お礼だ。それで少しはオシャレというものを学ぶんだね」
「あ、ありがとうございます」
鳥居が復調したのはあくまでも万田がきっかけだ。
ちょっとノックを手伝ったくらいで、こんなものを貰って良いのだろうかと入夏は不安になった。
「ちなみにこれ、何円くらいするんですか」
「150万」
「「ひゃっ……」」
あまりの値段に、二人は思わず上ずった声を上げた。
ますます受け取ってはいけない気がしてきた。
「いや、だったら受け取れませんよ。別に俺は見返りを求めて練習してたわけじゃないですし」
そうだそうだ。
言ってやれ万田。
「いいや。先輩命令だ、受け取れ。俺は貸し借りを作るのが嫌いなんだ」
鳥居は強引に押し付ける。
こうなっては従うほかなく、二人は150万もする腕時計を受け取る事となった。
◇
「美味しかった……けど、それ以上に」
「あぁ。何か雰囲気に呑まれてあんまり味を楽しみきれなかった感が……」
「初めて来たのならそんなものだろう。プロ野球選手の給料ならいつでも食えるし、慣れていくものだよ」
淡々と言い切る鳥居は、やはりこういう店にある程度慣れているのだろう。
余裕があるというか、人としての風格に格差を感じる。
その時、万田の懐から着信音がなった。
「あー、ちょっと失礼しますね。もしもし? どうした
着信の主は万田の妹らしい。
以前自慢していたから入夏も、そして鳥居も何となく名前くらいは憶えていた。
言葉こそ粗暴に聞こえるが、入夏の視界に移る万田の表情は真逆だ。
小躍りしているように見える足と、明らかに緩んだ口元を見れば万田が浮かれている事はすぐに分かった。
「いやー、でも兄ちゃんが格好いいのはいつもの事だろー? そうそう、今日は祝勝会もかねて同僚たちと……」
「万田、良かったら電話を替わってくれないか?」
そんな時、鳥居が万田に尋ねた。
「え、何でっすか?」
「君の妹さんに伝えたい事がある」
万田の妹は鳥居の大ファンだ。
万田は逡巡こそしたが結局折れたのか、電話替わるなと言ってスマートフォンを鳥居に手渡した。
「もしもし。ドルフィンズの鳥居です」
ええっ!!?? という大きな声が受話器ごしからも聞こえてきた。
鳥居は一瞬怯んだようだが、すぐに落ち着いて話し始める。
「あなたのお兄さんはとても正直な方です。嘘をつけず、お世辞も下手だ。でも俺は、彼の真っ直ぐなところに惹かれたんだと思います。あなたのお兄さんはとても強く、立派な人です。俺が保証します」
……あぁ、これは万田の妹だけではなく万田にも伝えたかったんだろうな。
わざわざ他の人に伝えるふりをするなんて、回りくどい人だ。
「……はい、スピーカーフォンにしてほしい? 分かりました」
途端、電話の声がスピーカー越しに伝わる。
『あの……兄はとても単純で真っ直ぐな人です。少し融通の利かないところはありますけど、誰かが困ったときに手を差し伸べる事が出来る、私にとってたった一人の自慢の兄です。どうか、兄の事をよろしくお願いします』
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
鳥居は真剣な口調で答えてみせた。
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