深く、暗く
開幕から伸び悩んでいたドルフィンズは幾振りかの好調を取り戻していた。
主軸の復活と、若手選手の台頭。
チーム打率は順調に右肩上がりを記録していた。
もっとも元々が低かったため上がるのはほぼ当然なのだが。
守備もセンターラインがある程度目途がつき、鳥居が吹っ切れた事もあってリーグ内を誇る鉄壁の守備陣を形成していた。
しなやかで柔軟な守備を誇る
センターには打力こそ欠けるが広大な守備範囲を持っている
好調の中、ドルフィンズは首位の大阪ビクトリーズをウミネコ球場で迎え撃つ予定だ。
入夏にとっては2軍に降格して以来のビクトリーズ戦、それも高校時代の同級生である
深瀬はここまでリーグトップの奪三振数を上げている。
完投数は既に2つを記録しているなど、投げたイニング数も現在一位。
投手としての完成度の高さがうかがえる。
「入夏~、お前同級生だろ? 何か対策とかねーのかよ?」
「そういう話なら俺も聞きたいな」
もみあげと大きく丸い目が特徴的な男、万田が間の抜けた声で言う。
続けるように髪の先端を金髪に染めた優男、鳥居が声を上げた。
元同級生と言っても高校を卒業したのはおよそ6年前の話だ。
ボールの質も速さも、そして変化球も高校時代とは比べ物にならない。
「俺が知っているあいつとは別人ですよ。大体、投げ方も高校時代とは全く違いますし」
「高校時代の深瀬ってどんな感じだったんだ?」
「投手としての実力は昔から群を抜いていた。性格はそうだな、責任感が人の形をしたような男だ。大人しいが、いつもフォアザチームを考えられるような奴で……」
「ほーう、さてはお前ら何かあったな? あったんだな?」
万田は自らの手をあご下に置き、うんうんと頷く。
コミュニケーションはある程度お手の物なのか、その顔は自身に満ちている。
「何かあったか、と言われても面白い事は何も出ないぞ。高校野球の引退直前に喧嘩したくらいで」
「バリバリにあるじゃねぇかよ! おいおい、何したんだお前!」
「確かに発端は俺の失言からだったが、決めつけられると凹むな」
「あっごめん」
「……そういうところだぞ万田」
謝罪の言葉を返す万田を鳥居が肘で小突いた。
「いや今のは仕方ないじゃないっすか! ……それで? 今のあいつが野球モンスターになった原因を知ってるのか?」
野球モンスター、という言葉に入夏は眉をひそめた。
確かに現在の深瀬を表現するのに相応しくはあるのだろう。
今の深瀬は投げること以外に興味が無いような節がある。
何せリーグ屈指の選手でありながら浮ついた話が一切なく、ニュースに上がるとしても練習の事ばかり。
プロ野球選手としての深瀬和仁が「野球モンスター」と噂されるのは当然とも言えた。
「高校最後の大会、最後の試合で俺たちは負けた。俺は全ての打席で出塁できたが、それでも敵わなかった。その日は深瀬の調子が良くなかったんだ。元々強豪というわけじゃなかったウチの学校は、深瀬一人に負担をかけ過ぎていた。……だから俺は言ったんだ。『俺がもっと打たなければいけなかった』、と。多分、それからあいつは実力に拘るようになったんだと思う」
「なるほど、確かに深瀬が怒るのも頷けるわけだな。それは皮肉に聞こえても仕方ねぇよ。それにしても、お前はどうしてそう独りよがりなところがあるんだ?」
「―――それは……」
「よう」
万田の問いに入夏が話そうとしたところで、背後からの声が遮った。
今日先発予定の男、そして話題の渦中だった男である深瀬和仁だった。
「深瀬……」
「お前、今更『チームごっこ』なんかしてんのかよ。自分以外誰も信用してないお前が」
深瀬の口調はなじるような、責めるような言い方だった。
「あの時はそんな素振りを見せなかった癖に」とその目は語っている。
入夏はそれを全て受け入れるつもりでいた。
痛くないわけではない。
ただ、自分が誰かに残した傷は背負っていかなければならないと思っていたからだ。
「おいおい、そりゃいくら何でも言いすぎだろ。確かにこいつはちょっと変わったところはあるが……」
万田が食い下がる。
「お前はこいつの事を何も分かっちゃいない。いずれ知るようになるさ。いかにこいつが自分勝手な奴かって事をな」
深瀬が冷たい言葉で突き放す。
「……深瀬」
「あ?」
「あの日の事は申し訳ないとずっと思ってる。けど、だからって俺は忖度して負けようなんて思っていない。今日も、また次も勝つ気でお前に挑むよ」
瞬間、入夏の体に総毛立つような感覚が走った。
深瀬の威圧するような空気だけではない。
何かが深瀬の中にいる。
これまでの経験が、入夏の脳にそう告げていた。
「……勝手にやってろ」
深瀬が踵を返す。
そこに威圧するような張りつめた空気はもうなかった。
◇
スターティングラインナップ
千葉ドルフィンズ
1番 ライト 入夏水帆
2番 サード
3番 セカンド
4番 指名打者
5番 ショート
6番 ファースト
7番 レフト
8番 キャッチャー
9番 センター
先発投手
大阪ビクトリーズ
1番 ショート
2番 ライト
3番 センター
4番 ファースト
5番 サード ブラッド・ロドン
6番 キャッチャー
7番 指名打者
8番 セカンド
9番 レフト
先発投手
初回、ビクトリーズから攻撃は始まる。
先発投手の蔵家は先頭の根古に対して厳しく内を突くも、微妙にゾーンからずれて四球。
根古は退屈そうに体を伸ばしながら一塁へと向かっていった。
立ち上がりが危ぶまれた西部だったが、続く達磨が打った打球ゴロとなってはセカンドへ。
軽快にさばいた鳥居のグラブからショートの万田、そしてファーストの槍塚にボールが渡りダブルプレー。
強打者である3番の番場はファーストへのゴロに仕留め、結果的に3人で攻撃を終えた。
その裏、ドルフィンズの攻撃。
先頭打者の入夏がバットを三度くるりと手元で回す癖を無意識に出しながら打席に入った。
深瀬と最後に対戦したのはシーズンの序盤、二軍落ちを経験する直前の試合だった。
あの時はポテンヒットで入夏が出塁できたが、あんなものは勝ちではない。
今日は引き分けから続く延長戦だ。
『ねぇ入夏君。俺なんか寒気がしてくるんだけど……』
「寒気なら俺も感じてます。目の前にいるのは、恐らくリーグ最強の投手です」
独りごちるように入夏は口にして、唐突に悲しさに襲われた。
リーグ最強の投手、か。
あの時から随分と深瀬は先へと行ってしまった。
だけど。だからこそ、今日は自分の納得できる形で打ちたい。
深瀬がゆったりとしたワインドアップから投球モーションへと入る。
鞭をふるようにしなった右腕からボールが放たれた。
高めのゾーン。
強く振った入夏のバットの上を掠め、ボールはバックネットへと豪快な音を立てて突き刺さった。
深瀬が初球からストレートで来るであろうことを、入夏は何となく分かっていた。
仮にも2年半、同じチームで過ごした経験は賭ける価値があった。
しかし、分かっていたがやはり深瀬の実力は凄まじい。
球威に押され、前に飛ばす事さえ叶わず、手には強い痺れが残っている。
これが立ち上がりの投手の投げる球かよ、と入夏は唾を吐くように呟く。
状態の良さは前回対戦した時よりもずっと良いように思えた。
再びワインドアップから深瀬が2球目を投じる。
今度は真ん中か。
そう思って踏み込んだ入夏の体に向かってくるような軌道でボールが変化する。
入夏は思わず腰が引けるような形で躱してボール。
忘れていた、深瀬にはこのスライダーがあった。
マウンド上でボールを受け取り、深瀬は軽く舌打ちをしたように見えた。
「今のはストライクだろ」と言わんばかりの態度が表情と仕草に出ている。
いつの間にか態度も尊大になっている気がする。
しかし入夏も負けてはいない。
これまで勇名に色々な事を教えてもらったのだ。
今までの自分とは違う。
続けざまに投じられた直球に対して、前に飛ばすまではいかずとも当て続けた。
深瀬は未だ、能面のように静かな表情を浮かべている。
粘られる事にも全く堪えていない所は、流石エースといったところだろう。
しかし7球目を投じる前、入夏には確かに見えた。
目つきを変え、口角を僅かに上げる深瀬の姿を。
そしてその打席、入夏は空振り三振に倒れた。
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