飛べない鳥の王子様②

「……クソッ」


 普段なら楽しい席のはずなのに、気分は最悪だ。

 ビールを喉へ流しこみ、鳥居とりい帝人みかどは舌打ちをした。

 

『申し訳ないけど、今の君に教えられる事は無いよ』


 脳裏に勇名の言葉が蘇る。

 たかが亡霊に一体何が分かるって言うんだ。

 プロになるまで、ドルフィンズの顔になるまでどれだけ俺が苦労したと思ってる。


「すみません、ビールもう一本」


「やめとけよミカ、そろそろ飲むペースを落とした方がいいって」


 鳥居の事をこんな独特なあだ名で呼ぶのは一人しかいない。

 尊敬する先輩である阿晒あざらし兵太ひょうただ。

 阿晒に言われ、鳥居は店員を呼ぼうと挙げかけていた手を下げた。


「どうしたんだお前。今日ちょっとおかしいぞ」


 阿晒が酒でほのかに赤くした顔で鳥居を覗く。

 鳥居がここまでやってきたのは阿晒の存在があったに他ならない。





 努力が必ず実を結ぶ。

 高校生だった鳥居にとって、そんな幻想は唾棄するものだった。

 しかし、努力していれば必ず自分を見ていてくれる人がどこかにいると信じていた。。

 今思えばその言葉は一種の救いで、鎖のようなものだったと思う。

 練習に一番乗りで来ては練習し、一番遅く帰るのは当たり前。

 レギュラーが取れなかった2年の秋も、悔しさをそのまま練習へとぶつけた。

 誰かが見つけてくれることを信じて。


 阿晒と出会ったのは鳥居が高校2年の冬の事だった。

 当時阿晒はプロに入って5年目、スタメンに座る機会が増えるなどシーズンを充実した結果で終えていた。

 プロ野球はオフシーズンを迎え、高校野球は冬の間は対外試合禁止である。

 高校と阿晒は縁もゆかりもなかったが、プロモーションの一環で他の選手に付き添って来たらしい。

 

「おぉ、お前守備上手いな」


 阿晒が鳥居に浴びせた第一声は賞賛の言葉だった。

 現役のプロ野球に褒められたのだ。

 その喜びに鳥居は口元が緩んだ。

 しかしそんな鳥居の喜びは阿晒の二言目で急速にしぼんだ。

 

「なのになんでレギュラーじゃねぇんだ?」


 なんでって、そんな事を言われても。

 口ごもった鳥居の手を阿晒が掴む。


「監督から聞いたよ。俺は曲がりなりにもプロやってっから分かるよ。これはバットを毎日何百回、何千回と振ってなきゃ出来ない手だ。まあ、俺はプロだからお前とキャッチボールすらしてやれないけどさ。さっき打撃練習も見させてもらったが、お前は優れた実力を持ってる。なのにレギュラーじゃないなんて驚いたぜ」


「褒めていただいたのは素直に嬉しいです。でも、監督が悩んで決めた事ですから」


「……せっかくここまで練習したのに、それで終わるのって勿体なくないか?」


「え?」


日本人俺らってさ。『見えない努力』が大好きなんだよ。陰でひっそり頑張っていれば、誰かが見てくれるって思ってる。けど、努力したんならもっと多くの人に見てもらうべきなんじゃないかって思うんだ。ここだけの話、俺も高校時代監督の前では特別気合を入れて練習してたし。だからさ」


 ―――お前に今必要なのは『見えない努力』じゃなくて『見せる努力』だと思うぜ。



 あの一言で、鳥居の世界は一変した。

 今まで心の中で勝手に作っていた壁を、たった数分の会話でぶち壊された。

 本当は疑っていた、恨んでいた。

 どうして自分の事を見てくれないんだと、ずっと誰かに怒っていた。

 答えはすぐそこにあった。

 自分の事を見せようとしてなかったからだ。


 だから、やり方を変える事にした。

 それからレギュラーを奪うまで、そう時間はかからなかった。

 

 高校時代に甲子園の土は踏む事は叶わず、鳥居は大学で野球を続ける事を決めた。

 推薦こそもらえなかったが、東京の大学に一般で現役合格し自分を磨いた。

 足りないものを数えればきりがない。

 自分に特筆した身体能力の高さが無い事は分かっていたので、全てのプレーを一段階ずつ上に勧める事に徹した。

 基礎トレ、食事、打撃フォームの改造。

 出来る事は何でも手を付けた。

 特に守備には自信がある分、力が入った。

 気を付ける事、準備できることはいくらでもある。

 アルバイトをしながら大して好きでもないファッションを研究し、自分をより良くする事に努めた。


 変わる事は怖くなかった。

 むしろ誰かに見せるという考えは性にあっていたらしい。

 三年の秋にセカンドのレギュラーを掴み、ドラフト候補にまで上りつめた。

 ドラフト一位ではなかったのが不満だったが、二位でドルフィンズに入団した。


 それから約3年と数か月、プロ野球選手としてキャリアを積んで今に至る。


「阿晒さん」


「どうしたミカ」


「俺っておかしいんですかね」


 プロの世界は過酷だ。

 上には上がいるという現実を容赦なく突きつけてくる。

 幾度か現れた限界も、今回ばかりは超えられそうにない。

 だから分相応に、堅実にやってきたつもりだった。


「いや、お前はよく頑張ってるよ。お前に声をかけたあの日の事を思い出すと、ちと恥ずかしくはなるが……自分の判断は間違いじゃなかったと思ってる」


「そうなんでしょうか。俺は、時々……」


 鳥居が言葉に詰まる。

 阿晒はそれ以上何も言わず、ただ手を肩に伸ばして撫でてくれた。




 深刻な貧打、再び―――。

 僅かばかりにも打線に光明が見えてきたドルフィンズだったが、ここに来て再びその打力は落ち込んでいた。

 その原因は明白。

 今シーズン、ほぼ全ての試合で3番を担っていた鳥居の不調である。

 

 入夏がバット勇名を貸してからここ一週間ほどで鳥居の打率が急降下。

 打率は2割前半にまで下がっていた。

 首脳陣は信頼こそ変えなかったが頭を悩ませているらしく、打撃コーチはほとんど鳥居に付きっきりとなっていた。

 

 そんな折、万田から入夏に声がかかった。

 聞けば守備の練習がしたいらしく、ノッカーを探しているようだ。

 コーチに頼むべきじゃないかと入夏が問うと、コーチよりもお前がいいと言われた。

 そう言われると悪い気はしない。

 入夏が参加すると、そこには予期せぬ人物がいた。

 先端だけ金髪に染めた、プロ野球選手としては細身な男。

 鳥居だ。


「なんでここに……」


「それはこっちの台詞だよ。俺は万田君からノックの練習をしようって誘われてきたんだけど」


 万田はあんな喧嘩をした後に練習に誘ったのか。

 すごいな。


「よーし、揃ったな! それじゃあ練習しようぜ! 入夏、お前はいつも通りに打ってくれればいいからさ」


「どういう意図の練習なのか、先に説明してくれないか」


 鳥居が言うと、万田は分かりやすく目をぱちくりさせた。


「どういう意図って、そりゃあ守備の連係練習でしょ?」

 

「……君は俺の事を煙たがってると思ってたんだけど」


 鳥居は疑いのまなざしで万田を見やる。

 万田は両手を忙しなく振った。

 

「え、そんな事無いっすよ。そりゃあの時は確かに怒ってましたけど、よく考えたらコミュニケーション不足だったなって反省してます。あなたには負けたくない。それも確かに本心です。けど、」

 

 ―――このまま終わらせるのは勿体ない気がして。


 万田の言葉に、鳥居はハッと目を見開いた。


「失礼な事を承知で言いますけど、今の鳥居さんは自分を抑えているように見えます。俺はあなたの実力がこんなもんじゃないって、他の誰よりも信じてる」


「他の誰よりもって……」


「本当です。本当に思ってなきゃ、あの時あんなに怒ってないです。もしもエラーなんて記録が嫌なら、俺がいくらでも被ってやりますよ。だから、俺たち二人でもっと自由で、最強の二遊間になりませんか」


 まるで演説のように、万田は言う。

 その目は一切の曇りなく本心を語っているように、入夏は思えた。


「……俺がもしもやりたいようにやって、それで君はついてこれるのか?」


「そのために今から練習しようって言ってるんすよ! な、入夏!」


「なんで俺に振るんだ。こういうのは上手く言えた試しがないけど……やる前から決めないで。例えもし……出来なかったとしても、出来るまでやるのがプロってものだと、俺は思います」


 急に話を振られ、入夏はしどろもどろになりながらも言葉を紡いでいく。

 途中から自分が何を言いたかったのか分からなくなってしまったため、最後の言葉には入夏の考えを話すだけになったが。

 ひとしきり聞いた後鳥居は眉間にしわを寄せ、地面を向いた。


「ぷ、ふふ。君たちにプロ精神を説かれるとはね」


 少しして何かに耐え切れなかったのか、鳥居は顔を上げた。

 その表情は、憑き物が晴れたような笑顔だった。

 目尻には涙がほんのり浮かべている。


「……俺も今のは偉そうに言ってしまったと思います」


「そうか? 俺はさっきの台詞は格好いいと思ったけどな」


「茶化さないでくれよ」


「いやいや、本当だって。……よし、それじゃ始めますか!」


 鳥居と万田が守備位置につく。

 入夏はノックバットを振り、二人は守備練習を始めた。






 

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