鴨橋事件

 よく言うじゃないですか。

 圧倒的なエースとバッターさえいれば勝てるって。

 僕たちの学校がまさにそうだったんです。

 ピッチャーは深瀬ふかせがいて、主軸には入夏が入ってましたから。

 通ってた穂波ほなみ高校も当時はそこまで強くなかったんですよ。

 県大会では勝ち進められる時もあるんですけど、ウチの学校は全国的には全くの無名だったと思います。

 ただでさえ千葉って強い高校多いし。


 でも、夏の県予選大会。

 その決勝戦、勝てばウン十年ぶりの甲子園がかかった試合中。

 当然プレッシャーのかかる場面だったはずなんですけど。

 なんていうのかなぁ、ぼんやりと勝てるだろうという謎の確信? というか安心感があったんですよ。

 楽観視していたと言われるとその通りではあるんですけど。

 けど、本当になんとなくいける気がしてたんです。

 それはやっぱり二人の存在感があってこそのものだったと思います。


 それで、地区大会で優勝して8月の甲子園大会ですね。

 ジャイアントキリングだとかくじ運だとか言われてましたけど、周りの声を一掃するかのように二人は活躍しました。

 1回戦で強豪校にも一度勝って、すごい思い出を作れたと思います。


 ただ、それはあくまでも僕個人の感想であって二人からすればそんな事は全くなかった。

 こんな事を言うのは失礼だと思うんですけど、もし甲子園に出場できなかったら二人の仲はここまでこじれなかったんじゃないかと思います。


 夢は人を変えるんです。

 いい意味でも悪い意味でも。


(取材記録より)


 ◇


 ところで俺は一体どうしてこんなところでくつろいでいるのだろうか。

 広い和室の中で、入夏はふとそう思った。

 3連戦が明け、今回は2日試合が空く。

 2日目は移動日となるがこの日はオフだった。

 少し体を動かしていると、元チームメイトで現在寺で修行している塩谷しおやから連絡が来ていた。

「バットに関してまた調べたいから来てほしい」との言葉を受け、すぐに返事をして寺へと向かう。

 入夏はバットの様子を見てもらってすぐに帰るつもりだった。


 しかし、塩谷は「今日休みなんだろ。もてなしたいからあがってけよ」と家に上げる気満々だった。

 すぐに断ろうとしたが、「けっこう大事な話があるから」と言われてしまったからには仕方ない。


 入夏の正面には仏像。

 耳をすませばししおどしの音がする。


「うい、お茶と煎餅。ちょい辛いけどお前そういうの平気だったよな」


『辛いのイヤだぁ』

 

「まぁ。多少は」


 勇名の声は無視し、入夏は話を進める。


「そんで、何か進展はあったのか?」


「……まぁ、色々と指導してもらってる。あと、樫村かしむら勝男まさおっていう人に会った。彼はもう亡くなっているが、勇名さんと同じように他の人間に憑りついているらしい」


「おいおい。おいおいおい。それ結構大事な話じゃねぇか! 絶対後付けでさらっと言うような話じゃねぇだろ!」


「すまん。俺もよく分かっていない話を伝えても困惑するだけかと思ったから」


「あぁ、そうかよ。それにしても……するってーとあれだな。本当に『あの話』と関係があるかもしれん」


「『あの話』ってなんだ?」

 

「まぁ急かすなよ。とりあえずこの煎餅でも食べながら話そう」


 そう言われ、入夏は皿に盛りつけられた煎餅に手を伸ばす。

 ほのかに赤く染まった煎餅からは、確かに辛さをイメージさせる。


 そこまで辛いものは苦手ではないし大丈夫だろう。

 ばり、と固く嚙む音を鳴らして咀嚼する。

 瞬間ぴりりとした辛さが口の中で弾け、入夏は思い切りむせた。


「そんなに辛かったか!? あーほら、お茶飲め」


 おかしい、こんなはずじゃなかった。

 目尻に涙を浮かべながらお茶をすすり、何とか呼吸を落ち着かせる。


『辛っっ!!?? ひたが! 舌がヒリヒリする!!』


 横では勇名が悲鳴を上げて悶えている。

 いやいや、まさか。


「どれ……んー、いつも通りの辛さだけどな。そういう系を食べすぎて俺の舌が麻痺したのか?」


 そんな、まさか。


「……味覚も共有してる?」


「は?」


『そうだよ!! 今更気が付いたの!? 前から食事してる時に美味いって言ってたじゃん!』


「いや、だって俺は食べる時は味に浸るタイプだし……。え、もしかして勇名さんが成仏するまで辛い物とか食べられないって事? カレーは?」


『甘口以外ダメ』


「柿の種は?」


『ムリ』


「ヤンニョムチキン(※韓国発祥の鶏肉料理)は?」


『何それ?』


「終わった……」


「おい待て。よく分からんものを勝手に初めて勝手に終わらせるんじゃねぇ。つーか俺を置いていくな」



 ◇


「まぁ前例があるかどうかは知らねーけど、そういう事もあるんだろう。俺は全く知らんがな。しゃあねぇ、この前買ったどら焼き開けるか」


「結構落ち着いてるな」


「俺は当事者じゃねーし。つーかあれだ、追いつけない話が一定以上重なると『もうそういうものか』とすら思えてくる」


 入夏が渡されたどら焼きを口へと運ぶ。

 心なしか普段よりも美味しく感じる。

 程よい甘みが優しく味覚を刺激するような……いや、表現は下手くそだからこれくらいにしておこう。

 今まで和菓子にはあまり縁がなかったが、少し興味が出てきた。


「食いながら聞いてくれ。俺もあれから時間の空いた時に調べてみたんだよ。まぁ調べたっつーかネットで軽く検索しただけだったんだが。お前、『鴨橋かもはし事件』は知ってるだろ?」


「あぁ、かなり大きな規模でされた八百長の話だったか? 関わってた人物の名字を取ってたはず」


 世間のニュースには疎い自覚があった入夏もその事件は知っている。

 今から45年ほど前に発覚した大規模な八百長。

 それまで右肩上がりだったプロ野球界を暗い底へと突き落とした、忌むべき事件。

 一番深く関わったとされるビクトリーズの鴨橋投手を始めとして、多くの選手が球界追放も含めた処分を受けた。

 ファンからの信用が急落し、その結果球団の親会社が変わるチームもあったほどだ。

 

「そう、それが発覚したのが勇名が亡くなった次のシーズンなんだよ。ウェブにも最近の記事があってな。記事によると事の発端は勇名が亡くなった1か月後、ビクトリーズのエースだった大城おおしろ氷雨ひさめ投手が当時同僚だった鴨橋を殴った事から始まったらしいんだ」


 暴力事件と八百長になんの関係があるんだ?

 と入夏が問おうとしたところを、勇名が遮った。


『え? いや。いやいや。彼はそんな事しないでしょ。確かにちょっと熱血な所もあるけど暴力とは一番縁遠い人間だよ?』


「勇名さんが言うには『大城選手に限ってそんな事をするはずがない』、そうだが」


「言ったろ、この話はあくまでも発端にすぎないって。当然大城選手も処分を受けたさ。『1年間の試合出場停止』、かなり重たい罰だ。けど鴨橋事件が発覚してから風向きが変わったんだ。蛮行とされた彼の行動は『正義漢のエピソード』として語られるようになった。プロ野球を見なくなったファンからも処分緩和の署名が集まるほどにな」


『……でも、署名を受けたとしても処分は変わりそうにないと思うんだけど』


「確かに。どんな理由があろうが暴力は暴力だ」


「本人もそう思ったんだろう。処分の緩和はされても大城選手は『もう俺には戻る気は無い』とまで発言していたそうだ。急遽設立された選手会のリーダーだった宮使みやつか竜郎たつろう選手から説得を受けるまで、他の誰の話も聞かなかった」


「それで、鴨橋事件と勇名さんに何の関係が?」


「あー、うん。これはあんまり声に出して言えるような話じゃないんだがな。時期が時期だろ? もしかしたら勇名さんと何か関係があるかもしれん。球界の闇の部分に巻き込まれたか、……それとも自身が関与していたのかも」


「…………」


『…………』


 塩谷の言葉に、入夏も勇名も何も返さない。

 緩やかだった時間の流れが止まったような剣呑な空気が部屋を包んだ。


「塩谷、それは」


「邪推だってのは分かってるよ。本人の前で言うべきじゃねぇ事もな。でも、お前はを疑えない人間だから言っておくんだよ。そもそも未練や記憶を失くしているっていうのが俺には引っかかるんだ。この世に長い間残り続けてたっていうのに、その理由を全く覚えていないなんてあまりにも不自然だ」


 入夏が声をかけても、塩谷の口は止まるどころか加速していく。


「そこにいるは本当は全て覚えてるんじゃないか? 何か目的のためにお前を利用している可能性だって」


「塩屋! ……俺、そういう言い方は好きじゃない」


 入夏が大きく声を上げたところで、塩谷はようやく我に返ったらしい。

 こほんと咳払いし頭を下げた。


「悪い、憶測が過ぎた。ともかく俺も出来る範囲で調べてみる」


「ありがとう」


 塩谷は一度首を縦に振ると、「ただな」と前置きする。

 その視線と声色はいつになく真剣だった。


「同級生のよしみで忠告だけはしておくぞ。誰を信じるかはお前次第だが、選んだ以上は目を背けるなよ」

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