宴の陰で

 季節は激戦を生みながらも過ぎていく。

 シーズンは佳境、節目となるオールスターがすぐそこまで近づいていた。

 そうは言っても、入夏にとっては縁遠い話だ。

 オールスターで投票できるのは各球団のポジションごとに一人。

 投手と外野手は複数人に投票できるが、入夏はその中に入っていなかった。

 監督からの推薦、という方法もあるものの選ばる可能性が低い事は明白だった。


 最終投票で出場が決定しているのはセカンドを守る鳥居とりいと外野手の阿晒あざらしの二人のみ。

 他チームではフィッシャーズの金師かなし、パイレーツの奥戸場おくとば、そしてビクトリーズの深瀬ふかせなどが名前を連ねた。

 今季のドルフィンズはポジションコンバートや今年出場機会を得た選手が多い事もあって、選手個人への投票がばらけたらしい。


 それと同様に補強期間の締め切りが近づく中、ドルフィンズは滑り込みで1件のトレードを成立させた。

 外野手のつくだを放出し、その代わりとしてサウスポーの左馬さばを獲得。

 パイレーツとしては手薄な外野手の層を、ドルフィンズは左腕の不足を補うためのトレードであった。

 ちなみにこのニュースを耳にした志々海は飲んでいたお茶を吹き出したのを複数人が目撃していたという。


 外国人の追加補強、育成選手の新たな支配下契約は無し。

 ドルフィンズは変わらず68人でペナントに挑む事となる。




「ナイスボール!」


 キャッチャーミットの乾いた音と、バッテリーコーチの声が響く。

 ドルフィンズの室内練習場。

 オールスターという短い休息期間を返上し、複数の投手が練習に励んでいた。

 新加入した左馬である。

 彼の18.55m先では防具をつけた志々海がミットを構えていた。


「どうですかね、代永しろなが監督」


「思いのほか悪くないな」


 バッテリーコーチから言葉を求められ、代永は毒にも薬にもならない言葉を吐いた。

 左馬はサウスポーとしては非常に速い直球を投げる事が出来る好素材である。

 ボールの質も良く、体格も良い。

 ただ―――。

 がしゃん、と防球ネットにボールが突き刺さる音が響く。

 明らかな暴投。左馬が好素材から好投手へなれていない原因の一つ。


「やっぱりこれが問題ですよね」


「そうだな」


 四球はそこそこ多いが、試合をぶち壊すほどの制球難ではない。

 問題は時折すっぽ抜けたボールがどこにいくのか誰にも分からない事であった。

 以前の試合で入夏にデッドボールを当てかけたように、制御を失った時が怖い。


「ここで志々海とバッテリーを組めば良い方向に変わると思うんだがなぁ」


 変わっていく。いや、変わるしかない。

 そうならなかった選手たちの末路を代永は腐るほど見てきた。

 大々的なものでもない限り、トレードに出される選手の立場は常に危ういと言える。

 ブレイクないし復活の糸口を掴めないままこの世界を去るか、大きく飛躍するか。

 言うのは簡単だが中々難しい問題である。


「監督、ちょっといいですか」


 左馬を手で制して志々海が声を上げた。


「どうして左馬と僕を組ませたがるんですか」


「お前には泥臭い野球の方が似合ってると思ったからな」


 志々海が分かりやすく表情を歪ませる。

 彼も彼で問題を抱えていた。

 プロの世界に入り、正捕手として定着した志々海は制球の良いピッチャーとバッテリーを組む機会が増えた。

 恐らくその時の経験が抜け切れていない。というよりかは経験が悪い方向へと傾いている。

 投手に対して高い精度の投球を求めるようになってしまった。


 志々海は恐らく西部にしべのようなコントロールに自信のあるピッチャーと組みたいのだろうが、代永は真逆の事を考えていた。

 その結果がトレードでの左馬を獲得だった。

 大学時代、並外れたスピードを持ちながらも少ない球種と覚束ないコントロールの左馬を陰で支えて日本一に輝いた実績。

 もっと言うなら投手に完璧を求めず、程よい妥協点を見つける勘の良さ。

 当時の勘を取り戻しつつ、元より手薄だった左腕を補強できるなら一石二鳥である。

 それを教えられる人物の不在が痛いが、そこは何とかするしかない。


「頼むぞ。今シーズンの正捕手はお前で行くつもりだからな」


 とはいえ投手が崩壊しなかったのは彼の功績でもある。

 そのため、持ち上げておかねばならない。

 志々海は無言で、やがてこくりと頷いた。


 続いて代永が足を運んだのは左馬らが練習をしている隣のマウンドだ。

 マウンドではベテランのアンダースローのたきが投球練習をしていた。

 キャッチャーを務めるのは早々江さざえである。


 二人とも、今季は思うようなシーズンを過ごす事が出来ていない。

 早々江はプロ入りから続けていた捕手から内野手としてコンバート。

 瀧は勝利の方程式から一転、成績不振で二軍に降格していた。


「瀧ぃ、調子はどうだ?」


「ほどほどです」


 瀧は口角を微妙に上げて言う。

 遠慮なのか、それとも本心なのか判断に困るラインである。

 瀧は肩を作るのが非常に早く昨シーズンから投手陣の中では便利屋扱いされていた。

 しかしアンダースローの宿命なのか左打者への相性が悪い。

 今シーズンは勝負どころで左打者にやられて負けがつく場面が目立っていた。


 しかし、うーむ。

 代永は首をひねる。

 ベテランだから衰えが、という状態ではない。

 どこでも出せる準備をさせていたが故に本人も実力の出しどころが掴めていないのかもしれない。

 一度先発として投げさせるのもありか。


「悪ぃな早々江、お前も練習に付き合わせちまって」


「いえ、俺もキャッチャーとしてのスキルを鈍らせないように練習したいんで。むしろありがたいっす」


 早々江は対左用のスタメンや切り札として試合数を伸ばしている。

 このペースで順調にいけば自己最多の出場試合を記録できるだろう。

 今季は捕手を捨てて内野手として期待に応えてくれていた。

 しかし本人としてはやはり捕手へのこだわりが強いようだ。

 急にというのは難しいが、いずれは捕手として出場させる事も考えておきたい。

 可能なら本人の意思を尊重したいものなのだが。

 つくづく監督業というものは難しいものだ。


 そして最後に3人目。

 今日練習に来ている中で、恐らく最も気合の入っている投手に代永の視線が移る。

 鶴来つるぎれい

 シーズン当初は先発だったが、ここに来てリリーフの一角として頭角を現している。

 鶴来はプロ3年目、同期には今年飛躍しているたちがいる。

 どうやら最初からトップギアでいけるリリーフの方が肌に合っているらしく、昇格してから失点を記録したのはたったの一度だ。

 人間、どこに適正があるのか分からない。


 鶴来が投球モーションに入り、ボールを投げる。

 ボールはホームベースの手前で急速に変化してキャッチャーミットにおさまった。

 二軍時代にコーチに新たに教えてもらったという高速スライダーが上手くはまっている。

 シーズン当初は苦戦していた打者に対しても空振りが取れるようになってきた。

 あとは夏場、暑い時期に体力が持つかどうかという話になってくるだろう。


 ブルペンキャッチャーは元OBが務めている。

 本来なら第二捕手の垣田かきたが来る予定だったらしいが、ちょうど腹を壊して現在ダウンしているらしい。


 投手は粒ぞろいだ。

 今シーズンも期待の若手が育っているし、中堅どころを担う先発投手たちも順調に成績を伸ばしつつある。

 やはり一番の悩みどころは打線か。

 入夏が頭角を現しているのは良い兆候だが、彼もまだ超一流と言えるほどの安定感を持っているわけではない。

 それに、どこかで見た覚えがあるような雰囲気は見ているこちらを不安にさせる。

 今シーズンは補強こそ見込めないものの、一人でも20本くらいホームランを打ってくれる選手がいれば。

 自販機でコーヒーを買い、代永は外に出た。

 外に散りばめられた雲は悩みと期待をごちゃまぜにしたように見えた。

 

 


 

 

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る