伝説を追う

『俺はね、やっぱり打席結果で何かを賭けようとか。そういうのは良くないと思うのよ』


「でもおかげでご飯大盛りですよ」


『それくらい自分で頼みなよ……』


 別にいいじゃないですか。

そうぼやいて、入夏は打席へと歩き出す。

プロは体が資本なのだから、食べる事もまた重要。

金が浮くところは浮かせるのもまた大事だ。


 9番の舘が三振したものの、1番打者が出塁して現在は7回2アウト、ランナー2塁。

奇しくも勇名と出会った日と状況が同じだった。


「勇名さん」


『どうしたの?』


「……何か、アドバイスはありますか?」


『ん、とりあえず今は……さっきの打撃練習の時の、お腹の感覚を思い出すこと! 肩の力を抜くこと!  以上!』


「分かりました」


 打席に立って、鼻から大きく息を吸いこむ。

それからバットを三度くるりと回し、構える。

特に相手投手に恨みも対戦経験もないが、丁度いい。

この前の打席のリベンジをさせてもらう。

 

 腹に意識をしずめる。

重心を下半身に置く。

勇名に憑りつかれた状態では自然にそれが出来ていたはずだ。


 迎えた初球、直球相手にフルスイングしたバットは空を切る。

ボール3個分くらいずれていたが、今のは悪くないスイングだった。


 相手投手がサインに頷き、セットポジションからボールを投じる。

外角のストライクゾーンぎりぎりの良いボール。

入夏が見送ると、球審の手は上がらず。

判定はボールとなった。


「ふ―――」


 入夏の口から音を出して空気がもれる。

呼吸を意識してみるというのは、思いの外難しい。

普段行っている行為に真正面から向き合う経験が無いから、気を抜けばすぐに普段通りに戻ってしまう。


 息を整えて、腹の底に集中する。

そして投じられた3球目。

若干真ん中に近いインコースの球、入夏が最も得意とするコースにボールが来た。

レベルスイング(※下から上に、斜めの軌道のスイング)で捉えた打球は、低い弾道のままライト方向へと一気に飛んでいく。

ふん、と入夏が鼻を鳴らしてバットを丁寧に地面に置いて走り出す。

外野手が背走の状態で何歩か下がったのも束の間、打球は外野手の頭を超えてライトスタンドへと突き刺さった。




「週刊『白球』の佐藤です。先ほどのホームラン、お見事でした!」


 ヒーローインタビューを終え、球場の廊下の中。

入夏の前にはインタビューマイクを差し出す女性記者、佐藤の姿があった。

当たり前だが、二軍の取材は一軍のそれと比べて数が圧倒的に少ない。

そのため、二軍で長く生活していると記者の顔も覚えられるようになってくる。

記憶力に自信がないが、佐藤記者の顔は遠くから見ても分かるようになっていた。


「ありがとうございます。でも、まだまだだと思います」


「ホームランを打ってまだまだ、ですか」


「はい。今までは目標が漠然としていました。いい打球を打とう、と思うばかりで。恥ずかしながら、具体的に何を目指せばいいのかは自分でも分かりませんでした」


「ということは、何かきっかけがあったんですか?」


「目指すべきもの、人を見つけたんです。だから、その人を目指すにはまだまだだと思いました」


 入夏の頭には、先ほどの打撃練習の光景が思い浮かんでいた。

満たされないのは、なりたいものを見つけたから。

足りないと思うのは、完成したものを見つけたから。

その変化は今まで真っ暗闇だった世界に、ようやく明かりをつけられたような感覚だった。


「なるほど……。どうもありがとうございます!」


 締めくくりの言葉と共に、佐藤はマイクの電源を切った。

そのままマイクを収納して去るのかと思いきや、そうせずに今度はメモを取り出した。


「では取材はここまでという事で。ところで、もう少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」


 入夏としては、断る理由は無い。

首を縦に振った。


「その前に一つ。ここからはあくまで私個人の質問であって、この内容を記載する事は一切ありません。もし不快であれば、すぐに話を打ち切ります」


 そして佐藤が切り出した話に、入夏は耳を疑った。


「単刀直入にお伺いいたします。目指すべき選手というのは、45年前に亡くなられた勇名涼選手でしょうか」


「……どうして、それが」


 勇名の事は二軍監督である代永に指摘された事以外では誰にも話していない。

既に亡くなっている人物を目指しているという事を、何故佐藤が知っているのか。


「当たってました!? ふふふ、私の目も腐ってはいないみたいですね。と言っても私自身は勇名選手を直接見た事がありませんけど。それでも、あの球界暗黒期と呼ばれた時代のファンで、彼らの映像を繰り返し見ていました。そして直近の入夏選手の打撃、そしてしぐさを見た時にビビッと来ました。あれは、勇名選手へのリスペクトであると」


 先程までの打席でそこまで見破られると恐怖が勝る。

なるほど、情報で丸裸にされるとはこういう気分か。


「……その通りです。分かるものなんですか」


「まぁ私は玄人の野球ファンですからね! 目が肥えているんですよ! 目が!

無駄のない予備動作! 海をも割ると表現された鋭い弾道と打球速度! そしてホームランを確信した後にお決まりのバットを立てるパフォーマンス! ……って、大事なのは私個人の話じゃないんですよ。もしですよ? もし勇名選手に憧れているのなら、私にもお手伝いをさせていただけませんか?」


「手伝い?」


「これまで私は、当時を知る選手に多くの取材をしてきました。ビクトリーズの不動の伝説的エース、大白おおしろ氷雨ひさめ投手。フィッシャーズの最強助っ人と名高い、タイラー・サーモン選手。スパークスの初代安打製造機、樫村かしむら勝男まさお選手。生前の彼らは不思議な事に、人生の分岐点として勇名選手との対決を挙げるんです。まぁ、初めて大白選手に勇名選手の話をした時は大目玉を食らったんですけど。それはともかく、この情報が勇名選手を目指すにあたって、何かお役に立てればと思うんです」


「失礼ですけど。佐藤さん何歳でしたっけ」


「まだギリギリ30手前です! 本当に失礼ですね!」


 佐藤のツッコミを聞き流しながら、入夏は考える。

これはチャンスなのではないだろうか。

直接関わった人物ではないが、情報源を持っている人がいてくれると進展があるかもしれない。


「ありがとうございます。でも俺は、何を返せば」


 佐藤は待ってましたと言わんばかりに口角を上げた。


「じゃあ、連絡先ください♡」


 女性は怖い。

特にプレッシャーのかけ方が。

大盛りのご飯を食べながら、後に入夏は万田にそう言った。

 

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