その名は真紅郎①

 僕が見た天才は、二種類いた。

枷を自らの手で外すものと、そもそも枷などないもの。

ここで言う枷とは才能も勿論だが、野球に対する姿勢も一つに含まれる。

名づけるなら『養殖型』と『天然型』である。


 その上で僕が自分を位置づけるならば、『養殖型』であった。

個人差はあるが、『養殖型』はそもそも開花するのに時間がかかる。

充分な下地のあるチームでないと育成が難しく、その上厳しい練習を積まなければならないわけだから、やるべきことが多い。

その分上手くいけばチームに多大なものをもたらす。


 『天然型』と評する事のできる選手が球界に現れるのはまれである。

そもそも僕が『天然型』の天才と認めた人物はただ一人、勇名涼以外にいない。

彼は往々にして、できない人間の事が分からなかった。

文字通りの天然であったのだと思う。


 どちらの天才になるかを選ぶ事が出来たなら、きっと僕はまた前者を選ぶだろう。

そして、多くの球児もそうあってほしいと心より願う。



樫村かしむら勝男まさお 著『天才は作れる』より引用≫




 快晴の元、練習で流した汗をふきながら入夏は相手チームを観察していた。

試合相手のスパークスは、二軍戦だと言うのにいつにもまして観客やマスコミの量が多い。

それにカメラや観客は一つの場所に注目している。

何かのイベントではなく、選手に注目しているらしい。


「今日は人が多いな」


「ん? ああ、そりゃあれだろ。今日が綱井つないの最終調整だって言われてたからな。未来のスピードスターを間近で見たいファンが来てるんだろうな」


 入夏の言葉に万田が答える。

二軍の球場は一軍に比べて狭く入場料も安い(場所によっては無料である)ため、選手とファンの距離が近い事が利点だ。

現在活躍しているスター選手を見れる機会は少ないが、未来の主力候補を見ようと思えば二軍はうってつけの場所である。

と、佐藤記者がこの前鼻息を荒くして言っていた。


「綱井って誰だっけ」


「あれだよ、ほらブラジル人のハーフの。あー、フルネームなんつったっけ……綱井つない・キハダ・真紅郎しんくろうだったか。去年話題になっただろ? 『稲妻シンクロ―』ってさ」


 合点がいった。

下の名前だけが有名になったから、ぱっと名字を出されても気づかなかったのだ。


 『稲妻シンクロ―』というのはあまりに足が速すぎる事からファンに付けられたあだ名だ。

響きがかなりカッコいいから印象に残っている。

具体的に彼の足の速さを表しているのが、一塁到達タイムだ。


 4.1~4.3秒程度がプロの世界で俊足と呼ばれるのに対して、去年綱井が出した最速タイムは3.80。シーズンでも三本の指に入るタイムを叩きだしている。

一塁到達タイムだけではない。

二塁打のタイムはシーズン二位、三塁打のタイムに至ってはトップである。

これで右打ちだというのだから厄介な事この上ない。

左打ちと右打ちではそもそもの距離が違う。

右利きだった選手が左打ちに転向するケースが多いように、速いタイムを出す事だけを目的とすれば左打ちの方が圧倒的に有利である。

つまり、綱井は1歩2歩分のハンデがある中で俊足と呼ばれる数多の左打者たちと肩を並べているのだ。

もし彼が左打席から走れば、ぶっちぎりの速さで一塁にたどり着くことだろう。


「ところでブラジルってどこだ? ヨーロッパ?」


「マジかよお前。裏側だよ、日本の」


「裏?」


「……俺はお前の今後が心配になってきたよ」


 ため息を吐きながら入夏は聞き逃さなかった。

そんなもの覚えなくたっていいだろう。

国なんて日本とアメリカを覚えておけば他は覚えてなくても大して問題ない。

そんな事を入夏が思っていると、綱井が球場に顔を出した。

肌の色は日本人と比べてやや白く見え、彫りが深いパーツが外国人とのハーフである事を強調していた。

やや赤みのかかった茶髪にはパーマがかかっている。


「……ん??」


 そして入夏は気づいてしまった。

綱井の背後にだけ黒いモヤのような何かが見えることに。

視力か頭がおかしくなったのかと思ったが、それは今に始まった事ではない気もする。


「万田。綱井の後ろのところ、何か見えないか?」


「? いや、何も見えねーけど?」


「……そうか、悪い。ちょっと向こうに行ってくる」


「あ?」


 万田の反応は無視して、入夏はタオルをベンチに置いた。

今度は勇名のいるバットを装備して、綱井のいる方に歩き出す。


「勇名さん、勇名さん。聞こえますか」


『あ、ひょっとして見えた? 見えちゃった感じ?』


「アレは何なんですか」


『ははは、俺もびっくりした』


「いや何なのか答えてくださいよ」


『そっかー、見えちゃったかー……。センスってものなのかな。なれるかもよ? 唯一無二、霊能力持ちの野球選手』


 絶対に嫌だ。絶対に、嫌だ。

鏡を見たわけでもないのに自分の顔が歪んでいるのが分かる。

オカルト関連全般がダメなのに、どうしてこんな目に。

綱井に近づいて改めて見てみると、は人型のシルエットをしていた。

という事は勇名と同じような亡霊なのか?

そう考えていると、綱井に手首を掴まれた。


「なぁ、アンタ! もしかしてカッシーが見えてるのか!?」

 

 ……カッシーって誰なんだ。

心の中で入夏はそう呟いた。




「いやー、悪い悪い。だって鳩が鉄砲を向けられたような顔で俺の頭の上を見てたもんだからさ?」


「どういう顔だそれは」


「めちゃくちゃ引きつった顔ってことさ」


「……理解しがたい」


 綱井のぺらぺらと回る口に、入夏は早くも置いていかれそうになっていた。

なにせ普通にジョークが分からない。

反応に困った入夏は綱井の頭上を見上げた。


『真紅郎の戯言ざれごとは相変わらずつまらないな、苛立ちさえ覚える。話の引きというものが分かっていない証拠だ』


 モヤが喋った。

というかこの状況、とんでもないデジャヴを感じる。

ここで悲鳴を上げると本当に勇名の時と同じになってしまうから、口元を手で押さてこらえた。

その様子を見ていたのか、綱井が入夏の肩を組んだ。


「まー堅苦しい挨拶は抜きにしといてさ! ここだけの話、聞こえてんだろ?」


 口を入夏の耳元に近づけ、他の人間には聞こえないような声で綱井が喋る。

鷹のように鋭い目が肉薄せんほどの勢いで入夏に近づいていた。


「……あぁ、見えてるし。聞こえてる」


「ふーん……」


 じろじろと下からのぞき込むような綱井の目はひとしきり動くと、肩に回した手を解く。

それから一度うなずくと、快活な笑みが戻った。


「じゃあ紹介してもいいか。こっちは樫村かしむら勝男まさお、略してカッシーな。わけあって俺の走塁の師匠をしてくれてる人、いや人じゃねーな。まぁいいや、そんな感じの人だ」


『何度も言ったが、僕を師匠と仰ぐのはやめておいた方がいい。僕は自分の考えを一方的に押し付けているだけだ。教えるとは程遠い行為をしている』


「この人さぁ、師匠っつったら毎回この反応すんの! 面白くない!?」


「いや……別に」


 面白いというよりはただの面倒くさい人だ。

なるほど、勇名はそこそこまともな人だったんだなと思わされる。

ずっとこの人に付きまとわれたら頭痛で動けなくなりそうだ。

いや、そもそもこの状況に自分が慣れている事を考えると頭痛がしてきた。


『勇名、君も出てきたらどうなんだ』


『げっ、バレてる……』


「えっあの噂の勇名涼がいるの!? どこどこどこ!?」


 綱井の後ろにひっつく背後霊的な何か、樫村には勇名の事が分かるらしい。

バットから短い悲鳴が聞こえたので、大人しく入夏はバットを差し出した。


『まさか君と再び相まみえる日が来るとは思ってなかったよ』


『い、いや~。そうですね……お元気そうで何より。嬉しいな~』


 似たようなシーンを、入夏はドラマで見た事がある。

これは本当に苦手な上司に詰められる会社員の構図だ。

心なしかバットが汗をかいているように見えるのは気のせいなのだろうか。


『思ってもない事を言うのはやめておけ。もう君には減るほどの信用すらないが、君のつく嘘はしゃくに障る。ところで、何故そんなところにいる?』


『えーっと、それがですね。……どうしてなんでしょうね??』


『質問しているのはこっちだ。下らない冗談を言うその口を引っぺがしてやろうか』


『いや脅されてもどうしようもないですよ。第一、こっちはバットで口なんてないですし』


 少しの沈黙ののち、樫村から小さく舌打ちをした。


『……前途多難というわけか。まぁ安心しなよ勇名。僕はと違って寛大だ。取って食おうというわけじゃない。多少の無礼を被った事も、ひとまず今は水に流してやってもいい。だから今は思う存分勝負を楽しめばいいさ。そのために君はここにいるんだろう?』


『…………』


 くっくっく、と樫村が不気味な笑い声をした。

他の奴らというのは、聞かなかった方が幸せな気もする。

しかし当時の勇名を知っているという事は、彼の未練も知っているという事ではないのか。


「あの、樫村さん。ですよね?」


『何だ、入夏少年』


「少年じゃないです。樫村さんは勇名さんこの人の未練を知っているんですか」


『……ふぅん。そういうのは、第三者から聞くものじゃないだろう』


 つまらないって、そんな言い方があるか。

そう言おうとした時に綱井がぱちん、と手を叩く音が響いた。


「ま、顔合わせはここで終わりって事で! じゃ、試合を楽しみにしてるよ。お二人さん!」


 謎を増やしたまま、綱井は練習へと駆け出していく。


「で、あの事って何なんですか勇名さん」


『いや、知らないよ!? 本当に! あの場面でシラを切れるわけないでしょ! まぁ覚えてたって言わないけど。俺、あの人嫌いだし』


「どうして嫌いなんですか?」


『思い出せない! でも嫌いな事だけは覚えてる!』


「それはまた随分便利な設定ですね」


「設定じゃないよ!? ところで何か気になっていることでもあるの?」


「綱井は確か年下だったなって。……いや、別に敬語を使えと言いたいわけじゃないですけど。ちょっと気になっただけです」




 それから練習を終え、試合でのオーダーが発表された。

ドルフィンズ、一番ライト・入夏。

そしてスパークス、一番レフト・綱井。

アナウンスと共に電光掲示板に映されたオーダーを聞いて、入夏は自分の口角が上がるのを止められなかった。

これではどちらが優れているかを示すようなものではないか。

面白い。

入夏がバットを握って笑うと、前を通り過ぎた舘から短い悲鳴が上がった。


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