薄氷の差
その差、わずか1点。
しかし点差以上の壁が両者を隔てていた。
地方球場の大半は普段プロが使用する球場に比べてやや狭く、フェンスも高くない。
一発が出れば同点、逆転が見えてくる場面だ。
そう、たかだか1点しか差が無いのだ。
しかしそれが却って打者の思考によからぬものを芽生えさせる。
相手は好投手、連打が難しいのだから打者は大きく振っていくようになる。
大振りになると
入夏の第三打席もライトへの高いフライに倒れていた。
この悪循環にはまったまま、6回、7回と回だけが重なっていく。
8回の表、打順は6番の
カウントは1ボール2ストライク。
高めに構えたキャッチャーミットに合わせるような釣り玉を強引に振り切った打球はぐんぐんと伸びる。
が、ホームランには一歩足りない。
そこからはライトを守る
グラブに届かないと判断するやいなや、フェンスから距離を取って次の体勢へと移行する。
フェンスから跳ね返ったボールをすぐに捕球し、二塁へと送球した。
位置や判断、そして捕球までの流れ。文句の付け所の無いクッション処理で早々江は1塁を回った所で足を止めさせられた。
ノーアウトでランナーを出したところでドルフィンズは勝負に出る。
早々江の代走として
名前が呼ばれたのは打力こそムールには劣るものの、バントが上手い事で知られている
であれば、当然狙うのは送りバントである。
右打席で既にバントの構えを見せながら淡路はボールを待つ。
初球はストライクゾーンから落ちるフォークボールを見逃して1ボール。
サードとファーストは前進してきており、バント処理に走っていた。
バントにおいて極端に内野に詰め寄られるプレッシャーは計り知れない。
打球が強すぎると2塁へ送球されてダブルプレー、弱すぎてもキャッチャーが2塁に送球してダブルプレーである。
バントの構えからバットを引いて打つバスター打法を使う可能性は低い。
となれば、敵味方両方からのプレッシャーをかけられている中でバントを決めないといけないわけだ。
バントの構えを解かずに迎えた2球目、三塁ライン際に転がすも打球が転がった所で切れてファール。
そして3度目もバントを敢行。
投手と三塁手の絶妙な間へと転がる職人技で、見事送りバントを決めてみせた。
ドルフィンズの打線は下位へと入る。
まずは8番・キャッチャーの
左対左の勝負、先ほどの打席では見逃しの三振に倒れている。
その対決は一瞬だった。
初球のストレートを痛烈に打ち返したものの、飛んだところが悪かった。
セカンドへのライナー。
久々に捉えた打球だったが、アウトのランプが一つ増える結果となってしまった。
ランナーを2塁に置いたまま、9番の
左の基本に沿ったオーソドックスなフォームで構え、穗立はボールを待つ。
初球、ワンバウンドするフォークに空振り。
続く2球目は高めから真ん中に入ってくるフォークに手が出ずに2ストライク。
追い込まれてからファールで2球粘り、ボールを1つ挟んで迎えた6球目。
決め球はやはりフォークボールだった。
外角のストライクゾーンから落ちるボールに完全に体勢を崩されて空振りの三振。
この回、初めてランナーを得点圏においたものの得点には繋げられなかった。
8回の裏。
勢いに乗ったマッハトレインズが2番手の
ヒット2本でランナーを一三塁に置き、きっちりと犠牲フライを打ち上げられて2点目。
この1点のみで後続を断ったものの、チーム状況として2点という差はあまりにも重くのしかかる事は明白だった。
◇
試合開始からわずか1時間半。
あっという間に9回の表を迎えていた。
先発の玉城はここまで100球と少しを投げて無失点。
完封も狙えるかもしれないという場面だったが、マウンドにはクローザーのジェイ・スマイルズが上がっていた。
最速160km/h超えのストレートに大きく縦に割れるカーブを持った、球界でも一二を争う助っ人投手だ。
対するドルフィンズは1番の入夏から始まる上位打線から始まる。
マッハトレインズの守備は今までの三打席と同じように引っ張りを警戒したシフトを組んでいる。
たとえここで満点の結果を出したとして、取れるのは1点だけだ。
逆転は出来ない。
警戒されるという事はそれほどまでに存在を意識されている表れだ。
球界最高峰の捕手を相手にそこまでされたことに対して、入夏は嬉しく思っている。
ただそれはそれとして、最後に一度くらいはやり返したい。
バットを構え、ボールを待つ。
「君のここ最近の映像を見させてもらったよ。昨年とはまるで別人だ。君も師となる人間と出会ったことで良い影響が出たのだろう」
ホームベースの後ろから、キャッチャーの
打席に集中したい入夏は顔を動かさずに言葉を聞き流す。
スマイルズがサインに頷いて1球目を投げる。
バットの先でこすったような打球がバックネットへと直撃した。
『彼、ボールをしっかりとコントロールできてるみたいだね。あのスピードをコースに投げ切られると打つのは難しいかも』
ボールの速さだけならこの前対戦した
勇名の言う通りスマイルズはボールをきっちりとコントロールする事が出来ている。
160km/h超えのストレートに変化球を混ぜ合わせられると前に飛ばす事すらも至難の業だろう。
さて、どうやって打つか……。
そう考える入夏の後ろから、また越智の声が聞こえてきた。
「しかし、この試合を見たところ君はまだ青い。大事なのは持ちうるポテンシャルではなく今現在発揮できる力だ。経験値という点において、君に負ける気は無いよ」
……打席に集中させてほしい。
外からも内からも、前からも後ろからも情報が流れてくるせいで入夏の頭の中は大渋滞である。
いや、もしかするとそこまでがキャッチャーの戦術、噂にきく「ささやき戦術」というものなのかもしれない。
牽制の意を込めて入夏がキャッチャーを軽く睨む。
そこまで怒らなくてもいいじゃないか……、と消えそうな声が微かに返ってきた。
気を取り直して2球目、スマイルズは再びストレートを投じてきた。
恐らく意図して高めに投げた釣り玉だったがバットが止まり1ボール。
第一打席とはまた別の、真正面から力押しの配球に変えてきている。
キャッチャーからボールを受け取り、テンポよくスマイルズが3球目へと入った。
先程までと同じような腕の振りで投手の指から放たれたボールはしかし、ふわりとした軌道を描いた。
タイミングを外すためのボール……恐らくチェンジアップだ。
『踏ん張れ!』
分かってるよ―――。
速球を意識して早めに動き始めていた体をぐっと抑え、下半身に対して上半身が引く形になる。
しかし、それがかえって功を奏した。
痛烈な打球音と共に角度のついたボールが外野へと飛んでいき、センターの頭を越えてフェンスへと直撃した。
入夏は一塁ベースを強く蹴り飛ばして二塁へ。
足から滑り込むこともなく、楽々とツーベースヒットを勝ち取った。
完璧でこそなかったが普段の筋トレが活きた形となった。
どうだ、見たかと言いたい気持ちで顔を上げる。
ホームベースの後ろ。キャッチャーマスクの奥から越智が笑顔を浮かべたような気がした。
◇
―――試合終了―――。
他球場の結果
今回のピックアップナイン
P
V
V
S アンドリュース 初の一軍昇格に応えるタイムリーヒット
……うん、まぁ、その。
ノーアウトから長打を放ったところで、ホームランではないし。
点差が変わるわけではないのだから、そう簡単に逆転できるわけではない。
あの流れだと1点は入ってもおかしくなかったけれど、相手は球界屈指のクローザーなのだ。
勝ちたかったけれど、それを言えるのは全打席でホームランを打ってからだ。
シャワーで濡れた体をタオルで吹き、入夏はバスルームを後にする。
スマートフォンを開くと通知が来ていた。
チームメイトの捕手、
『越智さんが君の連絡先を教えてほしいって言ってるんだけど』
『教えてもいいかな』
何故?
いやでも、同じ境遇の選手同士連絡を取った方が良いか。
逡巡した末に、入夏は了承を示すメッセージを返した。
◇
第3回ピックアップナイン 結果発表
全て同率
V
ビクトリーズの穂立迅選手がプロ初となる2打席連発の一打を放った。
ホームランとなったのはいずれも右方向。
会心の二撃に頬をほころばせ、「たまたまですね」と添えた後、「良い感覚を保ったまま次の試合に臨みたい」とコメントした。
P
兜選手が6試合ぶりとなるホームランを上げた。
5点ビハインドとなった8回の表、ストレートをバックスクリーンまで運んだ。
これまで2度の本塁打王を経験しながらも、今年は攻守ともに精彩を欠いていたが、これが復活の狼煙になるのではという期待がかかっている。
ネット上では「やっぱ兜だわ」「相変わらずパワーだけはえぐいな」とのコメントが寄せられた。
S アーノルド 自慢の髭に込められたファンとの約束 「ヒゲを伸ばすとファンが増えたんだ」
スパークスの顔として馴染んでいるアーノルド選手。
今でこそ彼を象徴する長いあごひげは、入団当時には剃っていた事をご存じだろうか。
髭を伸ばした背景には1年目の入団会見でのファンへの約束があった。
去年の6月から加入したアーノルド選手は「ファンからも愛される選手になりたい。一人でも多くの人に覚えてもらえるようにまずは髭を伸ばしていく」と小粋なジョークを挟んだ。
それから2年目となった今も髭は長めに整えており、「ヒゲを伸ばすとファンが増えたんだ」とはにかんだ。
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