記憶の破片
「勇名。君は神を信じるか?」
え、急に何ですか。
あなたがそんな非科学的な話をする事よりは信じられますけど。
「失礼な。私だって落ち込むときくらいある。……らしくない事なのは百も承知だ。データだけで整理のつくことばかりではない。そういう事が続けば何かについ
あぁ、なんだそういう事。
要するに
「待て。私がしたいのは運の話だ。そういう類の話ではない。というか君と同じというのは、何だか……」
そんなに嫌でした? ちょっとショックなんですけど。
ってそうじゃなくて。
モヤモヤするのは分かりますけど、無理に自分を納得させる必要はないんじゃないですか?
大体宮使さんはお固すぎるんですよ。
完璧主義というか、クソ真面目っていうか。
人間なんて欠けているものばかりなんですから、ほどほどに許していかないと。
「君がもうちょっと打つのを控えてくれれば考えるかもしれないな」
はは、それは無理な相談ですわ。
人に言われてどうこうするなんて生き方、俺はごめんですからね。
◇
「―――おい、お~い。そろそろ着くらしいぞ」
「んが」
隣の座席に座っていた
うたた寝のつもりが、かなり深く寝ていたらしい。
夜じゃなくても夢は見るもの
ここのところ試合での出場も増えた事で疲れもたまっているようだ。
「随分快眠だったみたいだな。ほれ、ここ」
万田が右の人差し指で自らの口元をちょんちょん、と叩く。
そのジェスチャーで、入夏は自らの口からよだれが少しだけ垂れていた事に気づいた。
声で直接指摘しなかったのは彼なりの思いやりなのか、何にしても恥ずかしい。
顔を窓側で隠しながらポケットから取り出したハンカチでよだれを拭く。
「上品だな」
「よだれ垂らしてる奴に上品もクソもあるかよ」
「愛想がねぇなー。ウチの妹なんか、同じように指摘してやった時顔を真っ赤にして拭いてたのに」
あ、スイッチが入ったなと入夏は思った。
万田は人間性のよく出来た人物である。
高いコミュニケーション能力を持っており、先輩後輩関わらず良好な関係を築いている。
ただし、そんな彼にも一つだけしてはいけない話題がある。
それが家族の話だ。
万田の家は父母と6人の兄弟がいるそうだ。
この話をすれば極端に落ち込んだり怒ったりするわけではないのだが、家族に対する長ーい惚気話が始まる。
前もって回避しようにも家族という話題には繋がりやすいので厄介である。
(……家族か)
隣でひたすらに喋る万田をよそに、入夏は物思いにふける。
もう長いこと兄とは連絡を取っていない。
兄が大学を卒業して就職して以来か。
仕事がどうとか、一人暮らしがどうとか、親から事伝いに話は聞くがそれだけだ。
仲は悪くなかったはずだが、お互いに関心がないのだろう。
直接話す事はもちろん、メッセージですら表示されるのは数年前のちょっとした会話だけだ。
案外、家族の話が地雷となるのは自分の方なのかもしれない。
◇
今日が平日からなのか、それとも熱心なファンがチームを見に来たのか。
理由はともかく、駅が人でごった返していた事は確かだった。
となれば身だしなみは整えないといけない。
入夏は首元のネクタイを締め直すと、周りを見渡した。
ある程度一軍に慣れている
監督の
先頭を切って歩いていく代永に気づいた報道陣が詰め寄って取材をしていく。
ファンで出来た行列から黄色い声が届くのが入夏の耳にも入った。
どれほど弱くてもそこはプロ野球選手、人気はあるものだ。
「……なつさん、入夏さん!」
そんな他人事のような事を思っていると、入夏を呼ぶ声がした。
声が聞こえた方向を振り返ってみればドルフィンズの番記者・
心なしか目元にクマが出来ているように見える。
「どうしたんですか、そんな不健康そうな顔をして」
「入夏さんがあの事件の事を知りたいと仰っていたので、資料を作ってたんです。つい熱が入ってしまってこれを作るために2日くらい徹夜しましたが……それもやっと完成しました! 紙がいいですか、それともデータがいいですか!?」
異様なまでのテンションの高さに入夏は完全に押されていた。
聞く限り入夏が原因だという事は明白なのだが、どこかの都市伝説に出てきそうなほどの気迫だ。
「え、じゃあデータで」
「分かりました! では後で送信しておきます! それでは!」
そう言うと取材もせず佐藤は手を振りながらふらふらとした足取りで帰っていった。
相当壮絶な作業を強いてしまったらしい。
何だか申し訳ない。
入夏はそんな気分になった。
◇
試合をあと数時間に控え、入夏らは準備運動をしていた。
今日からドルフィンズは本拠地であるウミネコ球場で仙台スパークスを迎え撃つ。
スパークスといえば潤沢な資金力を武器にFAでの交渉や元メジャーリーガ―などを獲得することで有名なチームだ。
ストーブリーグではよくその名前が挙がるなど、話題性において事欠かない。
去年もメジャー注目と呼ばれた大学ナンバーワン左腕である
「よっ! 約束通り1軍で会えたな」
以前二軍で会った
その綱井が入夏に話しかけてきた。
「あぁ、そうだな」
「いやー良かったぜ、俺も怪我せずにここまでやってこれたしバンバンジーだな」
『それを言うなら万々歳だ。料理と慣用句の使い分けくらい覚えろこの阿呆』
「
『ククッ、幽霊に元気もなにもあるものか。今の冗談は面白かったぞ。綱井よりずっとな』
ジョークが好きという意味では綱井も樫村も同じ種類の人間らしい。
それに笑いのツボが浅い。
もしこの人にお笑い番組でも見せたらどうなるんだろうか。
『それで、
「……あの人は束縛が嫌いなんだなとは思いました。ただ、それ以外はほとんど何も分からないままです。今は佐藤さんという記者の方に協力していただいて調べてみようとしている途中ではあるんですけど」
『佐藤、佐藤か。邪推であれば申し訳ないが、その記者は女性で下の名前は
「確かそうだったと思いますけど。知っているんですか?」
『あぁ。彼女とは数年、いや違うか。死んでから年数を数えた事がないから正確に覚えていないが取材を受けた事があってね。それにしても、そうか。彼女はまだ……』
感傷に浸るような声で樫村が言葉を詰まらせる。
哀れむような、悲しむような声だった。
「佐藤さんは一体何を抱えているんですか」
『すまないが、それは僕の口から言えない。今の時代、そういうのは厳しいからね。こういうのを何と言うのだったか……プラトニック、いやプライマリー? 何だかしっくりこないな』
「カッシー、それを言うならプライバシーじゃねーの?」
『あぁそれだ。ともかく、彼女にも言いたくない事の一つや二つはある。それを踏みにじるような真似はしたくない。あの子はあの子で止まれない理由があるんだという事を少しでも頭に留めておいてくれればそれでいい。ああ見えて頑固だから面倒くさいかもしれないが、僕個人としては彼女と仲良くしてくれればと思う』
謎は増えたが樫村の人となりは入夏にも何となく分かった。
律儀というか、義理人情に厚い人間だ。
『さてと、身の上話はここら辺にしておいて。どんな事情があれ、勝負は勝負だ。僕たちは手を抜く気は無いよ』
「上等、です……!」
三連戦の激闘が幕を開けようとしていた。
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