同級生対決

 

「ずーさん。昨日のアレ、結局何だったんすか?」


 隣を歩く槍塚がふと切り出した話題に、入夏は少し考えて思い当たる節を見つけた。

アレというのは恐らく昨日の打席でバットが地面にピタリと立った事だろう。

ただしそれを話すよりも、入夏にはするべきことがある。


「『ずーさんと呼ぶな』ってこの前忠告はしたからな。お前の髪を東京スカイツリーみたいにしてやる」


「ちょっと待って! タンマ!」


「待たん」


「ぎゃー!」

 

 槍塚の頭に両手を伸ばして、髪をわしゃわしゃと崩してやる。

槍塚が笑いの混じった悲鳴を上げた。


「てか、そういう特技持ってんなら教えてくださいよ~!」


「偶然だって言ってるだろ」


「コツとかあるんですか? 俺もあんな風にやってみたいなー。あ、もちろんヒットを打った時にですけど」


 髪を乱されてもなおブレーキをかけない槍塚に、入夏は自らの頬がハリセンボンのように膨らんでいくのが分かった。

そんな中、一人の男が向かい側から歩いてくるのが見えた。

赤のジャージに上半身を包み、白いパンツをはいている。

頭には『V』が刻まれた帽子は相手チーム、大阪ビクトリーズのものだ。


 相手がこちらに気づくと、すぐに帽子を深く被り視線を逸らした。

何も言わずに早足で入夏と槍塚の横を通り過ぎる。


 後ろから強い視線を感じるが、振り返らない。

すれ違いざまに鼻を鳴らす音が聞こえた。


「今のって、相手先発の深瀬ふかせさんですよね。うーわ感じ悪っ」


 深瀬ふかせ和仁かずひと

ビクトリーズが誇るエースだ。

22歳で本格的にレギュラーになると、大きく曲がるスライダーを武器に二度の最多奪三振王のタイトルを奪った右腕だ。


「……相変わらずの反応で逆に安心した」


「え、深瀬さんに悪い事したんですか」


「高校が同じだった。少し喧嘩して、それきりだ」


「いやいや。いやいやいや。あれは『少し』とかの次元じゃないですよ。そもそも高校卒業してもう5年くらい経ってますよね。そんだけ期間が空いてるのにあそこまで露骨に嫌われるのはないですよ」


 槍塚が大げさに右手の手首をぶんぶんと振る。

付け加えるように「どうやったらそこまでこじれるんですか」とこぼした。


「さぁな。嫌われるような事をしたような気もするし、そうでもない気もするし。結局、人の心なんてものは分からん」


「……いじけてるんですか?」


「黙ってろ」




 圧倒。

今日の深瀬のピッチングを表すのには、そういう言葉が思い浮かぶ。

直球を主体に打球をほとんど前に飛ばさせず、追い込むと得意のスライダーで三振の山を築く。

現在首位を走る球団のエースを前にドルフィンズの打者はきりきり舞いだ。


 8回までで深瀬が許した出塁はたったの3度のみ。

唯一3番打者である鳥居とりいが2安打と気を吐いているが、ドルフィンズは未だに三塁ベースをまだ一度も踏めていない。

打線がそんな調子で投手も波に乗れるはずもなく、四球とタイムリーであっさりと5失点を喫していた。

ベンチ内では既に嫌なムードが漂っている。


 9回の表を迎えたところで準備を命じられた入夏は鏡の前でバッティングフォームを確認していた。

打順から考えて出番があるとすれば恐らく回の裏の頭、先頭打者からだろう。


「あの投げ方、どこか見覚えがあるんだよなぁ」


 そんな時に突然、勇名がそう言った。

深瀬は両腕をゆっくりと振りかぶるワインドアップから入り、全身を使ったダイナミックなモーションで投げる投手だ。

元々投げ方をコロコロと変えたり有名投手の真似をするタイプではあったが、ワインドアップを始めて以降、深瀬は好投手として名を轟かせるようになった。

現在では少数派となってしまったワインドアップだが、さかのぼればそういった投手はいくらでもいる。


 従って、いつも通りの誰かの物真似だろう。

入夏はそう結論付けた。

9回表の守備はあっさりと終わり、いよいよ打席の準備に入る。

バットのグリップ部分に滑り止めを吹きかけてやると、「あーそこそこ。もうちょっと右肩のあたり」と言われた。

バットの右肩がどこだか知らないが、とりあえず全体に吹いてやる。


『選手の交代をお知らせいたします。バッター早々江さざえに代わりまして、入夏。背番号33』


 高校の同級生二人の因縁の対決。

周囲はそう語るが、そんな綺麗なモノじゃない。

入夏が深瀬の方を見やる。

帽子の奥で鋭い眼光が入夏へと送られていた。


 プレイ、審判の声が上がる。

深瀬がホームベースに対して正面を向き、体を真っ直ぐに伸ばしてグラブと右手を首の後ろへと当てる。

それから体を三塁側へ向けて左足を上げ、両手をそれぞれ反対の方向へ伸ばした。

グラブと右肘までの間が一本の線となって、気合の入った声と同時に右腕が振り抜かれる。


「ストライク!」


 糸を引くような真っすぐが内角に突き刺さり、球審の声が上がる。

下がる上半身とは対照的に右足がふわりと上がった。

球数は100球を超えているが球威は衰えていない。

それどころか今日の最速に近い153km/hを出していた。


 昔から深瀬は直球とスタミナがウリの本格派投手だ。

続く2球目は高めに直球が外れ、これで平行カウント。


 3球目、ゆっくりと振りかぶって深瀬がボールを投じる。

―――真ん中。

そう思って手を出しにいったボールは手元で大きく曲がり、入夏のバットが空を切った。

今のが深瀬のスライダー。

ブレーキもキレも他の投手とは桁違いだ。


 1ボール2ストライクと追い込まれて、入夏は一度打席から離れる。

投手からすれば無数の選択肢があるカウント。

打者は際どいボールでも食いついていかなければいけない。

一度深く息を吐いて、打席へと足を戻した。


 ゆったりとした間から深瀬が足を上げる。

合わせるように肺に空気を送って入夏がバットを引いた。

4球目、外角低めへのギリギリのストレート。

辛うじてバットに当てた打球はレフト方向へと上がる。

勢いはなかったが、ショートとレフトのちょうど真ん中へとボールが落ちた。

レフトが捕球したのとほぼ同時に入夏は一塁ベースを駆け抜ける。

そして二塁をうかがったところでストップした。


「……くそっ」


 トランペットの音を聞き流しながらグローブを走塁用のものに替え、入夏は吐き捨てるように呟く。

ボールを打った時の痺れをその手に残して。




 額から流れる汗をタオルで拭いながら、入夏は野球道具を整理していた。

試合で活躍できなければ素振り500回、勝てなくても素振り500回。

自らの定めたルールに則ってしめて1000回バットを振った。

ロッカールームは入夏を除いて誰もいない。

入夏の荒れた息遣いだけが空間に響いていた。


『とりあえず、今シーズン初ヒットなんでしょ。おめでとう』

 

 入夏がユニフォームをハンガーにかけようとすると、勇名の声がした。


「ダメですよ。あんなヒットは認めない。……認めたくない」


 入夏の右こぶしに力が入る。

試合は最終回に入夏のヒットを起点として1点こそ返したものの、反撃が遅く深瀬に完投負けを喫した。

深瀬との対決は球威で完全にねじ伏せられた。完敗である。

ただそれ以上に、あのヒットが気に食わなかった。

入夏が最も嫌いな、運がよかっただけのヒット。

明日から二軍に合流するよう告げられても仕方のないバッティングだ。

ただ、それ以上に結果を一瞬でも運に委ねてしまった自分の情けなさに涙が出そうな思いだった。


『ふーん……君は強くなりたいの?』


「当たり前じゃないですか」


『それはどうして?』


「どうしてって、それは。それは……」


『それは?』


「……どうしてなんでしょうか」


 面と向かって何故かと言われると分からない。

小さな頃は確かなものがあった気もするが、それも今は思い出せない。


『うんうん、なるほどね。分からないときたか。へぇー……』


 考え込む勇名を見て入夏はふと思う。

これはひょっとして、言葉選びを間違えたか?


「あ、あの……勇名さん。今は分からないですけど、いつか必ず」


『まぁいいじゃない。俺はいいと思うよ、そういうの。じゃあもう深夜だし、俺は寝るよ。おやすみー』


「え、バットって寝るんですか? ……あれ、勇名さん? 勇名さん?」


 バットを軽く小突いてみるも、返事はない。

バットに返事を求める時点でおかしいような気もするが、それを考えた時点で負けである。

とりあえず寮に戻ろう。

カバンを背負って入夏は球場の出口まで歩きだした。




 春とはいえ、まだ夜の屋外は肌寒く感じる。

腕時計の針は10時30分を指していた。

試合が終わったのが9時半ごろだから、それから諸々あって1時間ほど経った事になる。

この時間帯となれば、観客もほとんどいない。

まだ球場に残っているのは熱心なファンくらいだ。


「あの……もしもし」


 その声に入夏が振り返ると、一人の女性が立っていた。

華奢なボディーラインの上に茶色のカーディガンを羽織り、寒いのか両手を袖の中に引っ込めている。

肩ほどまでまっすぐ伸ばした黒髪が夜景によく映えている。

その脇には色紙とペンが抱えられている事から、熱心なファンかと入夏はすぐに推測した。


「もしかして出待ちですか? 人気のある選手はもう帰りましたよ」


 槍塚や鳥居など、知名度の高い選手はもう帰ってしまった。

せっかく球場に足を運んでくれたのに、と罪悪感が入夏の胸を走った。


「ちょっと待っていてください」


「…………?」


 球場前の自販機は年季が入っているらしく、上に蜘蛛の巣が張られていた。

小銭を入れ、点灯したボタンの一つを押す。

がこん、という音と共に280mlほどのお茶のペットボトルが顔を出した。

ホットを頼んだだけあって温かい。


「寒いでしょうから、これを飲みながらでも帰ってください。こんな事しかできず申し訳ないですが。また球場に来ていただけるとありがたいです。では」


 ファンに何かを奢るのは初めての話だ。

とはいえただで残念でした、はいサヨウナラというわけにもいかない。

少しは来て良かったと思ってから帰ってもらいたい。


「ありがとうございます。……あの」


 去ろうとした入夏の背中が、ひかえめな力で引っ張られた。

せめて格好良く去らせてほしかった。

恥ずかしさと緊張で熱が頬にこもる。


「恐縮なんですが。入夏選手のサインをいただけませんか」


「……え、俺ですか?」


 サインを求められているのに、こんな反応をしていることが情けない。

今までパッとしない成績しか残していない事を考えれば仕方のない事ではあるが。


「お願い、できませんか?」


 女性の真っ直ぐな瞳が入夏を捉える。


「いいですよ、俺でよければ」


 あっさりと快諾したのは罪悪感ゆえでもあるが、元より断る理由がない。

サインを書くのは大体一か月ぶりだから緊張するが。


「ありがとうございます。ではここに、私の名前を。『逆又さかまた京華けいかさんへ』とお願いします」


「さかっていうのは坂道の坂ですか?」


ぎゃくと書く方の逆です」


「分かりました」


 ペンのキャップを外して、色紙に文字を走らせる。

自分目当てだと思うと、丁寧に書かなければと慎重になってしまう。


「あの」


「はい」


「バット、変えたんですね」


「……えぇ、まぁ」


 ファンというものは色々なところに目を配るようだ。

逆又と名乗る女性の観察力の高さに、入夏は内心で舌を巻いた。


「入夏選手は生まれ変わりとかって信じますか?」


「信じないです。嫌いですから、そういう非科学的なものは」


「あっ……そうですよね。すみません、今のは聞かなかった事にしてください」


 なんだったんだ、と入夏が思ったのはともかく。

最後に背番号の33を書いて、サインを書き終わる。

色紙を渡すと、逆又はぺこりとおじぎをした。


「ありがとうございます。私、またここに試合を見に来ます。だから、戻ってきてくださいね」


 そう言って、逆又は去っていった。

入夏が二軍に落ちる事は既にニュースになっている。

監督が試合後のインタビューで口にしているためだ。

といっても、ネットの記事で軽く触れられている程度のものではあるのだが。


 期待してもらえると実感すると、気合が入る。

孤独ではないと思える。


「……頑張るか」


 そうこぼして、入夏は車に乗り込んだ。


 










 



 


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