3つ

 入夏が勇名に宿題を出されてから5日目。

あの会話から、勇名は入夏の打撃に口を出さなくなった。

入夏が声をかけると返事こそするが、はっきりとした意見を言わない。


 舘と亀津、二人の仲を取り持てと言っても一体何から始めればいいのやら。

とりあえず後輩の舘に話を聞いてみるべきかと入夏は判断したが、これが愚策だった。

話しかけようと笑顔を作った入夏が近づくと、舘が短い悲鳴を上げて逃げ出すのだ。

それも足が速いのだからよりタチが悪い。

次の日も、そのまた次の日も。

そのやりとりを繰り返す内にあっという間に5日が経っていた。


「どうすればいいんだ……」


 遠征先のホテルの一室で入夏がため息をこぼす。

人と関わって、知れと言われても。

そもそも相手の腹の内が分からないのに仲良くなれというが無理な話だ。

しかし、本音を言うのは仲の良い相手でないと出来ない。

つまるところ詰みである。


 だが出来ないと駄々をこねるわけにもいかない。

スマートフォンを起動し、『打ち解け方』のキーワードで調べようとして―――。

いや待てよ?

入夏の視線がメッセージアプリに移る。

気軽に連絡ができる仲であり、頼りがいのある人物。

人にある程度関われて、なおかつ他者への理解が求められるプロフェッショナル。

それに該当する人物が一人、連絡先にいる。


『大事な話があります』

『お時間をいただけませんか』


 メッセージを確認して、これでよし。

余計な事を言わず、なおかつ要点をきっちりと締めた見事な言葉選びだ。

文字を入力した勢いそのままに入夏は送信ボタンを押す。


 送信された事を確認して、入夏はスマホを置く。

できるだけ返信は早い方がありがたいが、すぐに何か反応が返ってくるほど彼女も暇ではないだろう。

それまでは何とか一人で頑張ってみよう。

決心した入夏が服を着替えていると、着信音のメロディーが鳴った。


「もしもし?」


『入夏選手ですか!? ご無事!?』


 スマホから飛び出した大音量に入夏の顔のパーツが真ん中に寄った。

反射でスマホを耳から遠ざけてもなお大きいと感じるほどの声で、佐藤記者が返答を求めていた。


「すいません、ちょっと音量に驚いたもので」


『あ。あー……その件に関しては、ホント申し訳ないです。それであの、大事な話というのは一体……』


「はい。大事な話です。この話はあなたにしか出来ないと思いまして」


『……つまり、他言無用という事でしょうか。分かりました。この佐藤翠、一記者の誇りにかけて口外はしないと誓いましょう』


 佐藤の声色が真剣なものに変わる。

記者としてのスイッチが入ったようだ。


「話が早くて助かります。では率直に言います。人と打ち解けるためには何をすればいいんでしょうか」


『あー、難しいところですよねー……ん? 何ですって?』


「理解したいんです。チームメイトの事を」


『な、なるほど―……。良かった、ゴシップの一面に載る入夏選手はいなかったんですね』


「何の話ですか?」


『あ、すいませんこっちの話です。気にしないでいただいて大丈夫ですので。しかし、本とかじゃダメなんですか?』


「活字を読むと、どうしても睡魔に襲われるので」


『……あぁ、えっと。そういう方もいますよね』


 オブラートに包んでいるのだろうが、何となく佐藤が何を思ったのか入夏には分かった。


「それに、佐藤さんはプロフェッショナルじゃないですか。人を理解して書くことを仕事にしている」


『え? あはは、そう言われるとなんだか照れくさいですね。そもそも記者って入夏選手が思っているほど優れた職業では―――』


「お願いします。俺は、今一緒に戦っているチームメイトの事を知らなければいけないんです」


 相手は画面の向こう側にいるというのに、入夏は頭を下げた。

10秒ほどの沈黙ののち、画面越しから佐藤が息を吐く音が聞こえてくる。


『……頼っていただき、ありがとうございます。誠意には誠意で応えなければいけませんね』


「教えてくれるということですか」


『ただ一つ! 断っておきますが、記者という職業ほど人を信用できない仕事はないですよ。記者っていうのはあまり好かれる職業ではないんです。公に報道される事もあって、本音を隠されたり発言に矛盾が起きることなんてザラですからね!』


「そうなんですか」


『そうなんですよー、もう本当に! ってこのままじゃ愚痴をしゃべるだけですね。まぁ要するに、近道なんてないんですよ。野球の練習と同じように地道に積み重ねていくのが一番です』


「でも、もし相手の事を誤解していたら。その時はどうすればいいんでしょうか」


『……ふふふ、本当に真面目なんですね。胸を張って言える話ではありませんが、誤解なんて日常茶飯事ですよ。逆に会話だけで相手の事を100%理解できたら怖くないですか?』


「む」


 佐藤の言っている事は正しい。

しかし真剣に悩んでいるのをあっさり流されたような扱いに、入夏はいささか不満だった。


『まぁ、でも。分からない事は分からないでいいんです。それを放置せずに、素直に分からないと言っても良いと思いますよ? 必要なのは知ろうとする意志、それだけは忘れないで下さい』


「知ろうとする意志……」


『あ、私そろそろ着替えないと! 失礼します!!』


 通話が切れた状態のスマホを眺め、入夏が息を吐く。

―――分からない事は分からないでいい。それを放置さえしなければ。

佐藤のその言葉に、入夏はどこか救われたような気がした。



 

 二軍の試合球場は歴史があるという事もあって、その内部は最新のものとはかけ離れている。

練習後にひびの入っている壁を通り過ぎ、入夏はあるドアの前に立ち止まった。

入夏がノックをすると「どうぞ」と声が返ってきたので、ドアを開ける。

部屋の中ではパソコンを立て、ペンを片手に持った代永二軍監督の姿があった。


「入夏か。まさかお前が自分から話があるとはな。で、用件はなんだ?」


「舘を選手として、監督がどう思っているかを教えてもらえないでしょうか」


「あぁ? そういうのは同じフィールドでプレーしてるお前の方が詳しいんじゃねぇのか」


「あまりよく分かりませんでした。なので、教えてください」


「胸を張って言う事じゃねーだろ。ったく……」


 ちょっと待ってろ、と言って代永はパソコンを操作しはじめる。

クリック音とキーボードを押す音を鳴らすと、入夏の方へとパソコンを向けた。


「おらよ、最近のと高校時代の舘の映像。比較したものも作ってもらってある。この映像を見れば、あいつが野球選手としてどの程度かは分かるだろう。これをお前のスマホに送ればいいか?」


「…………」


「なんだよ文句あんのか」


「いや……まさか一分足らずで映像を出してくれるとは思ってなかったので」


 というか紙の時代を生きてきた代永がデジタル社会に適応している事に入夏は感心していたが、流石にそこまで言うのは失礼な気がしたので脳内に留めておいた。


「ちゃんとお前らの事を見てるってこった。分かったらサボるんじゃねーぞ」


「ありがとうございます」


「……あー、それとな。交換条件を出すようで悪いが、舘と仲良くしてやってくれ」


「今更ですか」


「あぁそうだな。今更だ。恐らくだが、舘からすれば俺よりもお前の方が相談しやすいだろう。それに、監督ってのは面倒くさくてな。一部の選手に肩入れしてたらフェアじゃないって言われるんだ」


 用が終わったならさっさと帰んな、と代永に手で払われるようにして、入夏は監督室を後にした。




 入夏は宿舎に着くとスマホを開き、すぐに代永から届いた動画を開いた。

動画は舘が外野のノックを受けるところからはじまり、続いて試合での映像が映し出される。

球団が公式に撮ったものとあって画質もバッチリで、俯瞰するような視点は選手に注目するのに最適である。。


「すごいな……」


 舘の様子を観察し、入夏は改めてチームメイトへの理解の低さを痛感した。

フェンスの外に飛ばす力は無いが内野手の間を抜くバッティング。

ためらうことなくヘッドスライディングでベースに滑り込む走塁。

肩の強さと丁寧さがミックスされた送球。

そして、打球がグラブに吸い付くがごとき外野守備の上手さ。

外野守備だけなら日本でも指折りの実力差と、どこかの誰かが言っていた事も頷ける。

考えてみれば入夏が捕球する時に舘は常にカバーに回っていた。


 上手いが故に、勇名の言う『選手としての致命的なズレ』というものが何なのか分からない。

バッティングが苦手なのは分かるが、それをズレと呼べるのだろうか。

30分ほどの長さに編集された一本目の動画は入夏の疑問を満たすには及ばずに終了する。

カロリー補給のためにゼリー型飲料を口に咥えながら入夏が二本目の動画を開いた。

左にはドルフィンズに入団して以降の舘の映像が、右には高校時代の舘の映像が流れる。

改めて比較してみると、打撃フォームの移り変わりや走塁の技術の向上。

彼がこれまでに重ねてきた努力が分かる。

そして映像が守備に変わると、画面が3つに分かれた。

一つは高校のユニフォーム。あとの二つはドルフィンズのユニフォームを着た時の映像だ。

いずれも打球が飛んできてからの反応からボールを捕球するまでの動きが収められている。


(なぜ3つに分けたんだ?)


 守備の動画を何度も見返す。

入夏の頭に浮かんだ疑問符はやがて、小さな違和感へと変わっていた。

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