劇場版NARUKO ~白星と監督の胃の行方~

『ただいまナイル選手の治療のため、一時試合を中断しております』


 あぁクソ。最悪だ。

 電光掲示板を恨ましげに見つめ、代永は心の中で悪態をついた。

 勝利まであとアウト3つとどこかで油断していたからか、考えうる限り最悪の事態が起きた。

 元より大したものでもない名誉を守る気は起きないが、初めて指揮を執る試合で大逆転負けというのは選手たちの士気にも大きく関わる。


「どうだ。鳴子はいけそうか」


「肩を作っている状態だそうで、実際はやはり投げてみないと……え、なんて?   今すぐ監督に代われ? ……だそうです、監督」


 ただでさえ胃がきりきりと痛むというのに、今度はなんだ。

 苛立ちを抑えながら代永が受話器を手に取る。


『もしもし。代永監督ですか』


「あぁ、鳴子なるこか。どうした」


『ただでさえ初登板というのに、いきなり緊急登板だなんて気が引けます。それこそ、負けがついたら監督を祟ってしまいそうなくらい』


「……状況の難しさは理解しているつもりだ。それに、お前は2軍で抑えとしてちゃんと結果を出してここにいる。実力の高さは俺が保証しよう」


『じゃあ3失点以内なら許容範囲内ですよね?』


「んな事言うな。この場面だ、欲を言えば勝ちは欲しいが1イニングきっちり投げてもらえれば文句は付けん」


 それは半分建前で、半分本音だ。

 理想はもちろん0で抑えて帰ってきてもらう事だが、なにぶん緊急事態での登板だ。

 最悪追いつかれることまで想定しても、裏の攻撃でサヨナラ勝ちというのも出来なくはない。


『なら安心しました。、釣ってしまいましょう。ふふ、ふふふふふふ』


 ぶつり、と音がして電話を切られた。

 代永は深いため息を吐いて、球審の元へと歩いていった。


 

 ◇


 長い黒髪をヘアゴムでまとめた鳴子が投球練習を終え、試合が再開しようとしていた。

 見た感じ球速は145、144とそこそこ出ているようだが、問題は球速ではない。

 鳴子は左腕を肩から手まで真っ直ぐと伸ばしたまま投げ下ろす、「アーム式」と呼ばれる投法である。

 加えてリリースするポイントも高い事から角度のある球を投げられるが、その代償として打者からボールの位置が見えやすい。

 打者が見えやすくなれば、タイミングを合わせるのに苦労しない。

 縦に落ちる変化球が武器の鳴子はボールを見極められるとどうしてもストライクを奪う事に苦慮してしまうところがある。


 2番打者は左の助っ人グレース、サウスポー対左打者の対決になる。

 初球は落ちるスライダーを見極められてボール。

 2球目もストレートが外角に外れてボール。


(焦るなよ……鳴子)


 代永が心の中で念じる。

 ストライクが欲しくなるのは元投手の代永としても理解できるが、中途半端にカウントを取りにきた球というのは痛打されるのもまた経験している。


 そして3球目、鳴子が投じたボールはほぼ失投と言って等しい半速球だった。

 痛烈に弾き返されたライナー性の打球はセンターとレフトの中間に転がり、長打コースになる。

 センターの舘が捕球し、ショートに送球する時には一塁ランナーの浜町が既に三塁ベースを蹴っている。

 ショートの万田がホームへとボールを投げるも、浜町は余裕を持ってホームイン。

 打者のグレースも快速飛ばして二塁を陥れていた。 

 7対4、これで3点差となった。


 ピンチはなおも続く。

 3番の梶木かじきにはセンター前に抜けようかという当たりをセカンドの鳥居が何とかグラブにおさめるも投げられず。

 4番の金師かなしに対しては1球もストライクが入らずに四球を与えこれでノーアウト満塁、ホームランが出れば逆転のピンチを迎えた。

 しかも次は眞栄田まえだ西村にしむらと今日本塁打を打っている選手が続く最悪の状況である。


(吐きそう)


 代永は平静を装いながら投手コーチをマウンドに送らせたものの、実際のところ心労で今にも倒れそうだった。

 昔の監督が「焼酎を飲んで泥酔しないと寝付けない」だの「監督をやって5kgは痩せた」と聞いた当時は半信半疑だったが、今ではその意味がよく分かった。


 投手コーチ、捕手、そして内野手一同がマウンド上に集まり間を取らせる。

 ショートの万田が鳥居に対して何か一方的に話す様子が見えたが、問題はここからだった。

 鳴子が後頭部に手を当て髪を解いたのだ。

 まとめていたストレートの黒髪が一体感を失い、風で大きく揺られる。

 圧倒的な毛量で目元が隠れ、身長のせいで細く見える風体も相まったその姿はまるで、ホラー映画に登場する悪霊のようだった。


 投手コーチが重い足取りでベンチへと戻ってくる。

 何事かと代永が問いただすと、鳴子本人の意志だったようだ。


『ヘアゴムが切れました。ふふふ、ですがこれもまた運命。せっかくなのでやりたいようにやります』


 そのふてぶてしさはある意味プロ向き、もっと言えば抑えに向いたメンタルの持ち主である。

 まぁ、どうあれ結果が出るのならそれに越したことはないのだが……。

 そう物思いにふける代永の心配を吹き飛ばしたのは、ずばんとボールがミットに突き刺さる音だった。


 野球というのは音で状況の分かる事の多いスポーツである。

 凡打の打球音と完璧に捉えた時の打球音は全く違う。

 それと同じように、投球を捕球する音というのも投手と捕手次第で変わってくるものだ。

 ただ、それにしても何というか。

「気合のノリが違う」、ような。


 前髪で隠れた先に光る、相手打者を見下すような鋭い視線。

 そして真っ直ぐ伸ばした腕から投げ込まれる威力のある直球。

 今日ホームランを打った相手に全く物怖じせずに投げ込んでいる。

 どこかぎこちなさを感じさせていたフォームは図解して孫に見せたいほど理想的なものになっていた。


(……ポテンシャルが発揮できるのは確かに喜ぶべき事なんだが。あのビジュアルは子供泣くぞ)


 フルカウントから鳴子が投じた真っ直ぐを眞栄田が打ち上げる。

 明らかに力負けした打球は高く上がるも、全く飛距離は出ていない。

 セカンドがほとんど動かずボールの落下地点で打球を掴み、ようやく1つ目のアウトを奪った。


 続く西村が打席に入る。

 直球で初球にファールを奪い、その後の3球はストライクゾーンから外れたものの、5球目に小さく曲がるスライダーでカウントを整えまたフルカウントに。

 少し長めに間を取り、ようやくボールが投げられる。

 スピンのきいた高め、見逃せばボール球の直球に対して西村は完全に振り遅れて空振り三振。

 ずばんとキャッチャーミットにおさまる音が心地よく響いた。

 しまったという苦い表情を浮かべながら西村はベンチへと戻っていく。

 ピンチを招いてから(実際は髪を解いてから)別人のようなピッチングであと1人というところまでこぎつけた。


 打順は下位に入り、7番の右打者丹生うにゅうが打席に入る。

 フィッシャーズ応援団のチャンステーマが鳴りやまぬ中、鳴子が構えて左腕を振り抜いた。

 急速に落ちるフォークに丹生のバットが中途半端に回り、1ストライク。

 2球目は制球しきれなかった直球が内角を外れてボール。

 3球目のフォークは見極められこれもボール。

 続くストレートで押してファウルでカウントを整えるも、5球目は続けてファウル。

 6球目が外角に外れてフルカウントに。

 2アウトフルカウント、塁上にいる全てのランナーが自動的にスタートを切る場面となった。


 左腕をだらりと下に伸ばし、上半身を屈ませ鳴子がサイン交換を行う。

 ―――違う。否。NO。

 キャッチャーからの提案に対して何度も首を横に振り、中々頷かない。

 幾度かのやり取りの後、やっとサインが決まったようだ。

 ドルフィンズファンからの拍手とフィッシャーズファンの太鼓の音が鳴る中、投じられた7球目。


 打ちにいった丹生に対してボールは真ん中の絶好球に。

 代永がマズいと思った途端、ボールは大きく変化した。

 丹生も変化球だと気づき、バットをギリギリのところで止めようとする。

 結果ハーフスイングという微妙な形でバットが止まった。


 球場を一瞬の静寂が包む中、肩まで伸びた髪を鞭のようにしならせながら鳴子が左手の人差し指をくるくると横に回す。

 同時にキャッチャーの志々海しじみも一塁審を指さす。

 二人が行っているのは「バットが回っているのではないか」というアピールだ。

 野球には「ハーフスイング」というものがある。

 ルールブックには具体的な基準が記されていないため一概には言えないが、ある程度スイングをすると空振りの判定になるというものだ。

 球審がスイングを宣言しなかった場合、バッテリーは塁審にスイングがあったかどうかを確認することが出来る。

 一塁審が右ひじを立て、「スイングをした」と判定をした途端、球場から歓声が鳴り響いた。


 球数は実に29球、セーブはつかず。

 帰したランナーは先に登板したナイルが出したものであるため、自責点もゼロ。

 とはいえ、あまりにも。

 あまりにも今日の試合は、薄氷を踏むような勝利であった。


(今日はリンゴ黒酢を飲んで寝よう)


 代永は目をつむり、天を仰ぎながらそう誓った。


 

 

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