最速
6回の表、蔵家は既に90球を投げているものの続投を志願。
大抵の先発投手は100球前後で降板する事が多く、現在ドルフィンズは5点をリードしているため首脳陣はより長いイニングを投げさせようとしているのだろう。
フィッシャーズの打順は9番、
3ボール1ストライクとボール先行で迎えた5球目、ストレートに詰まらされたボールはふらふらとライトへと上がった。
守備位置よりもずっと前の打球に対して、入夏の反応は早かった。
上がった瞬間に真っ直ぐ前進し、ボールが落ちるか落ちないか瀬戸際のところでスライディングしながらグラブを伸ばす。
「アウト! アウト―!!」
地面とすれすれだったが間に合った。
立ち上がり、捕球したボールをセカンドの鳥居へと投げ返す。
先頭打者を抑えて勢いに乗れるかというところだったが、この回の蔵家はスタミナが切れかけていたのか安定感に欠けていた。
続く1番の
その後見逃しとファールでフルカウントへとなるも、浜町も譲らずファールが続く。
結局蔵家は10球目で根負けし四球となった。
一度タイムがかけられ、投手コーチや内野手がマウンドに集まる。
100球を超えてランナーを出したために一度間を取りにきたのだろう。
外野手だから特に出来る事も無いし、正直暇だと入夏は思っていた。
周辺を行ったり来たりしながら試合を再開するのを待つ。
やがて内野手が守備に散り、試合が再開する。
左打ちの2番打者グレースを打席に迎えた蔵家は、リズムよく2ストライクを奪うもあと1球が決めきれずまたフルカウントに。
そして観客の拍手の中投じられた7球目、グレースがバットに当てた打球は地面を這いファースト
グラブを持つ手とは逆の方向へ手を伸ばす、いわゆる逆シングルと呼ばれる体勢からすぐにボールを持ち替え二塁へ送球。
「いよいしょぉ!!」
二塁ベース上で送球を待っていた
気合の入った掛け声と共に右肩から放たれた矢のようなボールが一塁へカバーに入っていた蔵家のグラブに突き刺さった。
「アウトォ!」
一塁審が勢いよく右手を突き上げアウトを宣告すると、観客から嵐のような歓声と拍手が巻き起こった。
左打ちの俊足グレースと言えども打球の当たりが良かったことが裏目に出る形になった。
6回114球の熱投を演じた蔵家が、控えめにガッツポーズをする。
観客の拍手の量が、そのピッチングに対する賞賛を示していた。
◇
6回の裏からは両チームの投手が粘りを見せる。
フィッシャーズの2番手・稲田は5番から始まる2イニング目を三者凡退に抑え、3番手に繋ぐ。
一方のドルフィンズは7回の表、2番手の中堅サイドスロー・
球速こそ遅いが、直球とカーブを組み合わせた緩急のあるピッチングでクリーンナップから三振1つ、内野ゴロ2つと三者凡退でこの回を抑えてみせた。
そして7回の裏、2アウト走者なし。
入夏が今日4度目の打席を迎えていた。
相手投手は3番手・高卒4年目ながら日本人最速を誇る左腕、
アメリカの大リーガ―のように右膝を高く上げ、上半身を丸めるようなダイナミックな動きから繰り出される最速161km/hの直球と鋭くキレるスライダーを持つ好投手だ。
初球、スリークォーターから放たれたボールに対して入夏もフルスイングで応える。
バットにかすったボールは軌道を変えバックネットに突き刺さった。
びりびりと腕に痺れが走り、ボールとの激しい摩擦でバットはほのかに焦げた匂いを発していた。
『あっつっ!! ていうか焦げくさ!!』
それでも150km/h中盤は出ており、ややスライダー気味に動くクセのある直球のため中々芯で捉えるのが厄介だ。
2球目、スライダーがワンバウンドしボール。
3球目は緩いスクリューボールが真ん中低めのストライクゾーンに入り、これで1ボール2ストライク。
4球目は直球が高めに抜けて2ボール2ストライクとなった。
(やりづらい)
入夏が嫌に感じたのは、保良の制球の悪さだ。
ストライクとボールがはっきりしているものの、裏を返せばボールがばらけて打ちづらい。
そして5球目。
初めて
「ストライク! バッターアウト!!」
見逃せばボールの可能性も高いボールだったが、体が反応してしまった。
結果に唇を噛みながら入夏は反省しながらベンチに戻りグラブに手を伸ばす。
瞬間、伸ばした手首を誰かに掴まれた。
「今日はもう交代だ、入夏」
「……はい?」
◇
曰く、他の選手も出場させて状態を見ておきたいとのことだ。
確かに試合はもう8回の表だし打席は回ってこないと考えた方がよいだろう。
しかしそれはつまり、フル出場させるほど首脳陣からの信頼は足りていないという事か―――。
入夏は「いかにも不満です」とでも言わんばかりに頬を膨らませながら、ベンチの最前列で試合を見守っていた。
ドルフィンズはこの回、ベテランのアンダースロー
現代日本野球では最も低いとされる地面すれすれのリリースポイントから七色の変化球を投げ分ける技巧派右腕だ。
その先頭、6番の
8回の裏は保良が続投。
1アウトから鳥居、阿晒が連続四球でチャンスを作ったが、5番ムールの当たりはショート真正面。
痛恨のダブルプレーとなり追加点の機会を逃した。
そして4点差で迎えた9回の表。
『選手の交代をお知らせします。ピッチャー瀧に代わりましてナイル、背番号66』
ベンチから颯爽と現れた守護神、ナイルに歓声が集まる。
防御率3点前半と抑えとして圧倒的な数字を残しているわけではないが、及第点を残している。
9回を4点差の状態から抑えても、通常はセーブの記録はつかない。
それにも関わらずナイルを登板させたのはおそらく、「今日は絶対勝ちにいく」というメッセージをチームに伝える事を代永が意図したものなのだろう。
投球練習を終え、フィッシャーズの打者が打席へと入った。
この回は1番の浜町から始まる好打順だ。
悲劇が起こったのはその初球だった。
浜町が打ち返した打球はピッチャーへ真っ直ぐと飛んでいき、ナイルの右足へと直撃する。
うめき声をあげてナイルが倒れ込む。
ボールがマウンドから転げ落ち、サードがカバーをしに入るが間に合わずセーフになった。
しかし観客の視線は倒れ込んだままの投手に集まっていた。
ナイルは痛みに顔を歪ませながら右足をおさえたままだ。
「……マジか」
アクシデントを受けて呆然とする入夏の横で、素早く動いたのは代永だった。
「トレーナーと通訳はすぐにマウンドに行って様子をみてくれ! それとブルペンに今すぐ連絡、
恐らく負傷交代。
ベンチの中が慌ただしく動きだした。
「今のはピッチャーの軸足だろ。復帰できても踏ん張りがきかなくなるぞ」
「交代するならするで、可能な限り様子を見て肩を作る時間が必要だ。出来るだけ時間を稼がせる。とにもかくにも、早く次の準備をしないといかん」
トレーナー二人がかりで担架に乗せられたナイルがベンチへと運び込まれる。
入夏にはよく聞こえなかったが、うわごとのように「ホーリー」なんとかと言っていた。
―――待つこと数分して、戻ってきたトレーナーが代永と何かを話して首を横に振った。
すると代永も難しい顔をしながら球審の元へ向かっていく。
『投手の交代をお知らせします。ピッチャー・ナイルに代わって鳴子、背番号98』
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