Dive!

 

 捕球した瞬間に走った、鉄の壁にぶち当たるような感触。

何かが折れるような鈍い音。

痛みでにじんだ視界の先には絶望が待っていた。

外野手の一歩目は予測、二歩目が度胸。三歩目以降は冷静な対処。

そしてその日の十一歩目は、間違いなく蛮勇だった。


 地元で有名なとある戦国武将は、ある戦で無茶な突進を命じたが故に足を取られ討死したという。

こんな事を思うのは失礼だろうが、正直その話は今の自分の姿と重なった。


 出来ない事は無いと思っていた。

取れない打球は無いと思っていた。

けれどその傲慢さは、たった1プレーで叩き潰された。

他人からのものではなく、自責の念によって。




 どかん、という衝突音。

全身を使った見事な捻り。

140km/h中盤の直球を捉え、火を噴くような強烈な打球はベンチにいた舘の視界からすぐに消え、気づいた時にはライトスタンドに突き刺さっていた。


 力強いフォームとは裏腹に、当の打者である入夏は軽く鼻を鳴らしてバットを丁寧に地面に置くように立てた。

うなだれる投手の事を気にも留めず、入夏は二塁ベースを踏んで三塁ベースへと向かう。

改めてこんな豪快なバッティングが出来る入夏ですら通用しない一軍のレベルの高さを思い知らされる。


 同時に、それでもなおモチベーションを下げない入夏の事をすごいと舘は思った。

一軍と二軍を行き来して、さらに舘を練習にまで誘ってくれた。

自分が同じ立場で果たして同じ事が出来るのだろうか。


 他のベンチの選手とハイタッチしながら、入夏が戻ってくる。

視線が怖くて顔は合わせられなかった。


 試合は入夏が打ったホームランでの1点差をキープしたまま9回の表、2アウトランナー1塁。

ランナーが帰れば同点、という場面で打者は今年から相手チームであるマッハトレインズに新加入した右の外国人打者、トンプソンだ。

助っ人野手という事もあって外野は後退、長打を防ぐ構えだ。

センターを守る舘も普段より深めに守備位置を変えている。


 対するドルフィンズの投手は今年からドラフトで新加入したサウスポー・鳴子なるこだ。

特徴である背中よりも長く伸びている髪はヘアゴムで一本にまとめられている。

鳴子がだらり、と左腕を下げ前傾姿勢で捕手とのサイン交換を行う。

サインに頷き、1球目。

文字通り腕を縦に振るようなフォームから繰り出されたフォークはトンプソンからあっさりと空振りを奪う。


 続く2球目をトンプソンが捉え、鈍い音と共に打球が上がる。


(あ、まずい)


 瞬間、舘の直感は警鐘を鳴らした。

長打を警戒した外野守備を嘲笑うかのように、打球はふらふらと右中間へと上がる。


(どうする? 突っ込むよりも単打で抑える方がベターか?)


(2アウトだ、ここではやって傷口を広げる方がまずいんじゃないか?)


(また無謀な真似をして、誰かを怪我させて終わりか?)


 いくつもの思考が舘の頭の中を墨のように黒く塗りつぶす。

こんな時に前向きな考え一つ湧かないのはある意味自分らしい。

留める気持ちが舘の走るスピードにブレーキをかけていく。


「舘!!」


 入夏の声で、塞がっていた舘の視界に光が差した。


(……そうだ)


 人は自らの本質から逃れられない。

どれだけ高尚こうしょうな人物からありがたい言葉を授けられようと、どれだけ親密な人物から情に訴えかける言葉をかけられても、それは「変わった気がするだけ」である。


 けれど、変わりたい。

正しくなくてもいい、ちゃんと自分なりに考えた答えを出せる人間になりたい。

踏み出さなければならないのはこの足だ。

引きちぎるべきは泥から伸びているこの鎖だ。


 急いで走るコースを変え、打球に対して真っ直ぐ追いかける。

スピードを上げ、真っすぐ。

ただ真っ直ぐに。


(ワンバウンドする)


(無茶だ)


(……やってみろよ。そのために練習したんだろ?)


 あぁ。やっと、肯定的な声が聞こえた。

ボールが地面へと近づいていく。

3m。2m。


 飛び込め。

飛び込め、飛び込め!

鎖を引きちぎって、飛び込め!!


 グラブをはめた左手に確かな感触を残して、舘は芝の上に滑り込む。

うつぶせになった舘がボールの入ったグラブを掲げるとワッと歓声が沸いた。


 歓声を浴びながら上体を起こし、舘は空を見上げる。

恐れていた事は踏み出してみれば案外単純なもので。

しかし踏み出さなかった自分を責めるよりも、今日踏み出せた自分の事を褒められそうだ。

舘はほんの少しだけ、前向きに考える事にした。


「大丈夫か、舘。りむいたりしていないか?」


 入夏から差しだされた手を掴んで、舘は立ち上がる。


「すいません、少し日和りました」


「そうか。しかしそれでも、今のはファインプレーだった」


「……へへ。俺も今のはファインプレーだと思います。ねぇ、入夏さん」


「どうした?」


「俺、亀津さんとしっかり話してみようと思います。怒られるのは嫌ですけど、それでも前に進みたいです」


「そうか。それは……良かったな」


 自分は彼と話してというの踏み出せたというに、この人はやっぱり他人行儀だ。

微笑む入夏に、舘は苦笑で返した。




 舘から話がしたいと亀津に話すと、思いの外あっさりと亀津は受け入れた。

とはいえ、あまり人気のあるところで話すべきではない。

その事から舘は球場の端にある喫煙スペースで話す事を提案した。

二人とも煙草を吸うわけではないが、試合を終えた後なら人の出入りも少ない。

その事を入夏に伝えると「人払いは任せておけ」とドヤ顔で言われた。

……一体何をする気なのか。


 指定していた場所に舘が10分ほど早く着いたのは、自分を落ち着かせるためと言いたい事を整理するためであった。

恐らく面と向かって話そうとすれば、今考えている内容は全て吹き飛ぶだろう。

落ち着け、落ち着くんだ。

いつも通り……いやいつも通りはダメだ。


「よう、舘」


 舘があれこれと考えている内に、亀津が来てしまった。

その手には2本の透明な液体の入ったペットボトルが握られている。

舘は深く頭を下げて裏返った声で挨拶をする。


「ほらよ。お前の好みは分かんねーから水でいいか?」


「あ、ありがとうございます」


「それで、どうしたんだ?」


「えぇと。その」


 案の定。

何から話せばいいか分からない。


「じゃあ、俺から話していいか?」


 亀津が笑みを浮かべて、そう言った。

今まで話した中でもずっと爽やかで穏やかな笑顔で。


「お前は俺に対して後ろめたいところがあるかもしれない。けど、謝らないといけないのは俺なんだよ。本当、自分の事しか見えてなかった。お前が辛いことを分かってたのに、謝罪も曖昧にしてしまった」


「…………」


「今日のあのプレーを見て分かったよ。お前はそこから立ち直った。強いんだな、お前は」


「……ち、違うんです! 俺は強い人間なんかじゃない。ここ1年間、ずっと俺は逃げる事ばかり考えてました。あの交錯を思い出すのが辛くて、過去を振り払いたくて仕方なかった。今だって、どこかのお人好しがいなかったらこの場にはいなかったかもしれない」


 だけど、と舘は言葉を続ける。


「その人のおかげで気づいた事があります。俺は。……俺は過去を振り払いたくない。あの事故は辛かったけど、そのおかげでもっと真剣に自分を見つめられた。だから、逃げるんじゃなくて。押し付けるんじゃなくて。ちゃんと背負って、そしていつか一軍でヒーローになった時。『亀津選手のおかげで今俺はここにいるんだ』って、堂々と胸を張って言えるようになりたいです。な、なので改めてご指導よろしくお願いします!!」


 そう言って舘は先ほどよりもさらに深く頭を下げた。

こんな言葉は頭の中の台本にはない。

後から考えると言葉を並べただけで、何の会話にもなっていないと後悔するのかもしれない。

しかし、思っているありのままを伝えたい。

それがどれだけ遠回りだとしても。


「……そうか。うん」


 何かを飲み込むかのように亀津は目を閉じ、大きく息を吐いて天を仰ぐ。


「それじゃ今度、打撃練習に付き合ってやるよ」


「ありがとうございます!!」


 2回目に飛び込んだ先に見えたのは絶望ではなく、青い空と憧れの人の笑顔だった。

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