答えと理由

 たち正宗まさむねは佐賀県の自然豊かな地域で産声を上げた。

運動が大好きで、好奇心旺盛。

かけっこでは常に一等賞だった彼は、ある時一人の野球選手に憧れていた。

その選手の名前は亀津かめつ嘉彦よしひこ

千葉ドルフィンズに所属する俊足好打の外野手だった。

圧倒的なスピードでベースを蹴る姿は、舘をテレビに釘付けにした。


 そこから導かれるように、地元の野球チームに入団。

中学時代にその能力は開花。

憧れていた亀津と同じ、俊足が武器の外野手として頭角を現した。


 地元の名門校である佐賀銘明めいめい高校に進学し、守備に磨きをかける。

外野手としての守備範囲は全国でも指折りと呼ばれるようになり、夏の甲子園大会では1番・センターとしてチームをベスト8にまでけん引した。


 そして運命のドラフト会議を経て千葉ドルフィンズに4位で指名される。

奇しくも憧れていた亀津と同じチームだった。




「あの時は嬉しかったですよ。子供のころに憧れていた亀津選手とプレーできるんですから」


 舘は回顧するように目線を上に向け、感慨深そうに笑みを浮かべた。


「今は違うのか?」


 どこかとっかかりのある言葉に入夏がそう返すと、舘の眉がヘの字に曲がった。


「……意地悪ですね。嬉しいのは今も同じですよ。ただ、俺がこのチームにいなかったら亀津さんが怪我する事も無かったんじゃないかって考えがちらつくんです」


 やはり舘は亀津との接触事故を気にしている。

憧れだった選手に怪我を負わせてしまったという事実が舘にのしかかっている事が、入夏にも何となく理解できた。


「なるほど。だから守備が鈍ったのか」


「え。なんで、その事を」


「気になったから調べた」


「えぇ……?」


「それよりも。お前はこのままでいいのか」


 再び舘の顔に陰りが見えた。


「いいわけないじゃないですか。本当は俺だって、何とかしたいですよ。でも亀津さんはきっと恨んでる。俺なんかの為に貴重な1年を棒に振らせたんですから」


「『恨んでいる』っていうのは、亀津さんが言ったのか?」


「……違います。でも」


「人の感情を全て推測する事はできない。知りたいのなら、決めつけずに確かめるべきだ。もっとも、こんな事は俺が言えた話じゃないが」


「え、いやいやいや! 流石に無理ですよ! そんな事できるわけないじゃないですか!」


「無理じゃない。亀津さんも二軍にいるのだから、話す機会なんていくらでもある」


「それは、そうですけど! 俺なんかが……!」


「分かった。そう思うならそれで構わない。じゃあ俺の練習に付き合ってくれ」


「じゃあ、って……!」


「強要はしない、気が向いたらでいい。全体練習が終わった後に待ってる」


 舘の返事も聞かず、入夏は立ち上がり食器の乗ったを返却口に返しに行く。

出口の前で入夏が振り返ると、舘は座ったままうつむいていた。




 夕陽に照らされたグラウンドに、気づけばその足は戻っていた。

どうして自分はここにいるのだろうか。

どこへ行っても、その問いが尽きることはなかった。

それは一種の自慢であったり、あるいは卑下なのかもしれない。

ただ―――


「来たか、舘」


 入夏の双眸に捉えられ、舘の背筋がぞわりと震える。

相手を威圧させるほどにその目は鋭く、無機質なようでいて尋常ならざる熱を持っている。


 舘にとって入夏は、はっきりと言って苦手な類の人物だった。

元々入夏は他人とつるむような人間ではなく、物や人に当たっているのを見た事もない。

だというのにあの瞳は何か強い意志のような、野心のようなぎらついた強い光を持っているようだった。

近づけばその熱に火傷してしまいそうで、なんとなく避けていたのだ。

故に突如としてその矢印が自分に向いた事に舘は恐怖を覚えた。

怒られるのだろうか、もっとちゃんとやれと叱られるのだろうか。

刹那にも満たない思考の結果、体育会系特有の上下関係が苦手な舘は逃げる事を選択した。

無礼ではあるが、これで面白くないやつと思われてその内に興味を持たれなくなるだろう。

そう、舘は思っていた。


 しかし、入夏は舘が思っているよりも律儀だった。

つけまわされるようになってから1週間後に謝罪を受け、お詫びにと唐揚げをくれた。

舘は別に唐揚げが欲しかったわけでも、見返りとして要求したわけでもない。

その後食べようとした時に向けられた残念そうな視線を思えば、受け取った事を少し後悔すらした。


 けれど、悪い気はしなかった。

「お前の事を知りたい」と言う言葉に誠意を感じたからだ。


 それはそれとして。

どうして自分はここにいるのか。

今の舘は、その問いに答えられそうになかった。


「今から外野守備の連係の練習をする。俺がライトで、お前がセンターを守る」


「え、誰がノックするんですか」


「守備コーチに頼んだら快く引き受けてくれた。本当は代永2軍監督に引き受けてほしかったんだが、生憎忙しいらしくてな」


「……どうして急に追加で練習しようなんて」


「今のお前には自信が無いんだろう」


 あまりにもど真ん中を突く言葉に、舘はどきりとした。

自分を肯定する事がプロのスポーツ選手として生きていくためにどれだけ大事かなど、とうに分かっているはずだ。

しかしだからといって、すぐにポジティブになれるかと言われるとそういうわけじゃない。

プロの高い壁に揉まれて、自信があった守備でも憧れの人を怪我させてもなお、前を向けるほど舘は楽天家ではなかった。


「……すみません」


「責めているように聞こえたなら謝る。けど、俺はその感情を悪いとは思わない。むしろ正しいとさえ思う」


「え」


「できない自分を悔やむから上手くなろうと思える。自信が無いならつければいい。悔しいと思ったなら、上手くなって克服すればいい。そのための練習だろ。違うか?」


「いや、それでも。もし練習中に怪我なんてさせてしまったら……」


 舘がしどろもどろに言葉を返すと、入夏はなんだそんな事かと言わんばかりに鼻で息を吹いた。


「心配はいらない。俺は健康優良児だ。生まれてこの方大きな怪我をしたことはない」


「健康優良児の使い方間違ってると思いますけど」


「それで。やるのか、やらないのか」


 話せるようにはなったけど、やっぱりこの人は我が強いというか強引なのだなと舘は思う。


「もしやりたくないって言ったら」


「お前が望まないなら、それでもいい。だったらせめて見ながらアドバイスをくれないか。守備の上手いお互いに得るものはあるはずだ」


 そう言うなり、入夏は守備コーチの元へと走ってノックを開始した。

始めは簡単なフライ。

そこからフェンス手前の、背走キャッチも練習していく。

1球だけノックの勢いあまってスタンドインしたが、それを除けば入夏は冷静に追いついて捕球していった。


(……普通だ)


 ファウルゾーンのパイプ椅子に座りながら、舘は入夏の練習を見学していた。

舘から見て、入夏の守備は下手とは思えない。

外野の守備であれば無難にこなせそうに見える。

だからといって上手いかと言われると、そうでもない。


 自分だったらその打球は目を切って(外野手が打球から一度視線を外して追いかける事)打球に追いつくことを一番大事にするのに。

その体勢だと送球がしづらく、ランナーがいたらタッチアップされてしまう。

基礎はできているけど、それに忠実すぎて動きが固くなっているように見えた。


 どうしてもポジションが同じ外野手であるぶん、自分は入夏と姿を重ねてしまっているらしい。

人によって足の速さや守備の動きは異なるというのに傲慢な事を思っているのではないだろうかと、舘の頭がずきずきと痛んだ。


「あっ、すまん短くなった!」


 打った瞬間、守備コーチが声を上げた。

打球はふらふらと上がってライトの浅いライン際、しかしファウルゾーンへと落下しそうだった。

これは流石に取れないだろうな。

そう判断しボールを避けようと、舘は椅子から立ち上がった。

その瞬間、猛然としたスピードで一目散に白球を追いかける、入夏の姿が視界に入り込んだ。


 飛び込んで手を伸ばしたグラブにボールはかする事も無く、入夏は地面に転がる。

こともなげに入夏はすぐに立ち上がってパンツについた土ぼこりを払う。

入夏の視線が上がり、ふと舘と視線が合った。


 恐れていたあの時と同じ、強い意志が入夏の目には走っていた。


「どうだ舘。何か気づいた事はあるか?」


「気づいた事っていうか……その。これって結局、ただの練習じゃないですか。別に今のが取れたからって誰かが評価を改めてくれるわけじゃないし、自主練だから注目されるわけでもない。なのに、何でそこまで頑張ろうとするんですか」


 その言葉を吐いて、すぐに舘から血の気が引いた。

頑張っている人に対してその言い方は違うだろ。

少なくとも、練習に誘ってくれた相手にかけるべき言葉じゃない。


「……すみません。やっぱり、俺戻ります」


 やってしまった。

こんな事になるなら、初めから断っておけばよかった。


「似たような事を前にも言われた」


 背を向けた舘に入夏が発したのは、そんな台詞だった。


「『君はどうして上手くなりたいのか』と。今の俺はその問いに対して正しい答えを出せない。さっきの質問もそうだ。恐らく自分も相手も納得させられる答えを、現在の俺は持ちえないだろう」


 だが、と入夏は切り出す。


「けど、俺は白紙が嫌いだ。曲がりなりにも、いつか必ず答えられるように俺は練習をしている。……矛盾しているように聞こえるだろうが、『答えを出したいから』というのが、先ほどの質問への答えだ」


 そんなものは、確かに答えになっていない。

テストなら△どころか×もいいところだ。

けれど、本で見たどの模範解答よりもその言葉は舘にとって真っ直ぐで誠実に思えた。


「じゃあ、また何か気づくことがあったら」


「……あの!」


「どうした」


「やっぱり、俺も練習に参加したいです。何が正しいのかなんて分からないですけど、それでもやっぱり。宙ぶらりんのままは俺だって嫌ですから」


「そうか。歓迎する」


 舘の言葉に、入夏は口角を上げる。

以前の好戦的な笑顔とは違う、柔らかな笑みだった。




「オーライ!」


 声を出しながら手で入夏を制し、舘はボールをグラブにおさめた。

練習に加わってそろそろ30球ほどノックを受け、エラーはなし。

今のところは接触する事も無く安全にこなしている。

だというのに、入夏は何か思う所があるのか満足していないように見えた。

入夏がストップの声をコーチに出して舘の元へと駆け寄ってくる。


「やはり、今のままだとあまり練習にならないかもしれない。本番では鳴り物や歓声もあるだろうし、もっと緊迫した状況で際どいボールが飛んでくる可能性もある」


「それじゃあどうするっていうんですか」


「だから、それぞれが出来る事を最大限共有しよう。謙遜けんそんはいらない。今のお前がどこまで守れるのか、教えてくれ」


「え……」


 舘もプロだ。

何となく自分の能力は理解しているつもりだが、いざその場で言葉にしてみろと言われると中々難しい。


「言いづらければ、具体的に質問しよう。必要ならば図を書いて……」


「なんか座学みたいですね」


「あとこういうのは……第三者からも聞いてみた方がいいな。コーチにも相談してみよう」


 それからコーチも加えた三人で土に図を書いて、それぞれの守備範囲や能力について話し合った。

話し終わってからは、また実践に戻って日が暮れるまで舘と入夏はボールを追った。


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