不変のスイング

 こと野球において「データ解析」という文化の最先端を往くアメリカでは、今日に多くのアプリやソフトをもたらした。

 メジャーの球場ではとあるソフトが当たり前のように導入されている。

 このソフトにかかれば飛距離はもちろんのこと、打球速度やその角度までも計測できる優れモノだ。

 投球や走塁など、あらゆる面においてもデータを取る事が出来るためメジャーリーグでは幅広く利用されている。


 日本においても球界全てで取り入れるほど大規模ではないものの、個々で測定機械を取り入れている球団も多く存在している。

 そしてそれは選手個人においても―――。


『おぉ、なにこれ恰好いいじゃん! いやー、甲冑かっちゅうに憧れていた少年の時を思い出すなぁ』


「ロボットアニメみたいですよね」


『そうなの? 俺そういうの全然詳しくないから分からんけど』


 入夏がバットのグリップエンドに取り付けたのは小型の計測器だ。

 これとスマートフォンを連動する事でバッティングの計測をすることができる。

 去年に2万円をはたいて買ったものだが、上手く使う事ができずカバンの奥で眠っていた。

 加えて機能を全て利用するために昨日1万5000円のプランを契約したばかりである。

 もちろんこれを付けたまま試合に出場する事は禁止されているが、練習中であれば「いいぞ別に」と監督の代永しろながから許可を貰っている。


 流石に人の前でバットに喋るのも恥ずかしいので、自分でボールを設置して打つを繰り返せるティーバッティングで使用する事にした。

 バッティングケージに向かってボールを打つ。

 スマートフォンでデータを確認しつつボールを戻してまた打つ、を何度も繰り返す。


「指摘されてみると、確かにスピードがまちまちに思えてきますね」


『だよね』


 スイングスピードに関して、入夏は並々ならぬ自信を持っている。

 ただしそれは「速い時はとても速いよ」という方向性の自信であって、「常に安定して速いよ」という感じではない。

 遠くに飛ばそうと肩に余計な力が入った時などは思った通りにスイングできないし、逆にシンプルに考えた時は予想以上のスイングが出来たりもする。

 ……まぁ、分かっていたところで改善できなければ意味がないのだが。


「ところで勇名さんにとって『理想のスイング』ってどんな感じなんですか?」


『理想ねー……。普段通りのバッティングをする事、とかかな?』


「それって理想なんですか」


『いやいや、今君ちょっと馬鹿にしたでしょ。普段通りという言葉を侮ってはいけないよ入夏君。練習で出来ないような事を本番で出来るのはほんの一握りの人間だけだろう?』


「まぁ、そうですけど」


 どこかで聞いたような言葉だが、使い古されているだけあって的を射ている。


『俺にとってのバッティングって、「変わらない事」こそが理想なんだよ。空振りを誘うようなボール球を打ったり、体勢を崩されても前に飛ばせるバッティングがあってもいいと思う。でも俺は「普段通りに構えて、来た球を普段通りに打ち返す」やり方が好きなんだよね。だって人に合わせるだなんて嫌じゃん? せっかくプロの試合に出るんだから自分を出していかないとね』


 入夏の頭に「?」のマークが浮かぶ。

 冷静に考えるなら、野球で主導権を握っているのは攻撃側ではなく守備側、もっと言えば投手である。

 投手が投げるところから試合が進むのだから、先に仕掛けるのは投手の方だ。

 ピッチャーが投げるボールのスピードや球種に打者は対応していかなければならない。

 それを「普段通り」に打つというのは、簡単に言うけれど実現するのは非常に難しいのではないか。


『あっ、そうだ。こんな便利な道具があるなら俺もちょっとバットを振ってみたいな。久しぶりに体を借りさせてよ。君のバッティングの参考になるかもしれないし』


「え、あ、はい。ちょっとだけなら」


 あ、今自分は流されたなと入夏は思った。

 そうして入夏(in勇名)は再び練習へと入る。

 体を乗っ取られた時は俯瞰ふかんとでも呼べばいいのだろうか、外側から自分の体の動きを見える。

 故に、全くスイングが違う事がよく分かった。

 力感の抜けた無駄のないスイングが、ボールを何度も捉えていく。

『これどうやって使うの?』と勇名が取ったスマートフォンはいずれも同じようなスイングスピードを示していた。


 やはり、この人は本物なのだ。

 それと同時にどこか別の世界にいるかのような差を、入夏は改めて痛感させられた。



 ◇


「入夏君、調子良いの?」


 入夏がチームメイトの鳥居とりい帝人みかどに話しかけられたのはマッハトレインズとの試合をあと20分と控えた時の事だ。

 既にスタメンが球場の電光掲示板に張り出されており、その中には入夏や鳥居の名前もある。

 実のところ、入夏はこの鳥居という人物が苦手だった。

 彼は主力としてチームの攻守ともに屋台骨となる選手であり、球界でも指折りの実力を持つセカンドだ。

 首脳陣からもファンからも聞こえてくるのは賞賛の声ばかり。

 人気をひがんでいるような気もするが、良い評価しか聞こえない優等生(ただし髪の先端は染めている)である鳥居とはどこか近づきがたい印象があった。


「どうなんでしょうか。良いのか悪いのか、自分でもよく分からない感じで」


 特に体に違和感があるというわけではなく、体のコンディションで言うなら良い方だ。

 ただ、入夏(in勇名)のバッティング練習を特等席で見た後だと自信がなくなる。

 自らの体をもっと上手く操縦できる人間(?)がいるというのは、何だか微妙な気分だ。


「そうなの? 僕にはてっきり絶好調に見えたけど。ほら、練習中にぶつぶつと喋ってたから集中出来ているのかなって」


 鳥居はいつも通りのにっこりと穏やかな笑みを浮かべながら爆弾を落としてきた。

 入夏の脳に緊張が走る。

 まずい、さっきまでの勇名との会話が聞かれてたかもしれない。

 出来るだけ練習場の端っこの方でひっそりと練習していたというのに。

 ここで「バットと会話していました」なんて言った暁には頭のおかしな奴というレッテルを貼られる事になる。

 もっと酷い場合「違法バットを使っていた人物」として球界から処分を受ける事になる可能性だってある。

 ルールを犯している事は誓ってないが、そんな話など証明しようがないし信じてもらえないだろう。


「……そうだったんですか。無意識に喋っていたかもしれないです」


 故に、ごまかす。

 苦しい言い訳のようにも聞こえるし、目が泳いでいるような気すらしてきた。


「そういうのって言うんだっけ? いやぁすごいな」


「すごくないですよ。全然……本当に、全然」


「あぁ、もしかしたら道具を変えてみたとか?」 分かりやすいもので言えばバットやグローブだとか?」


 やばい。

 少しづつだが確実に追い詰められている。

 ひょっとしたら、自分はこの人の掌の上で踊ろされているのではないだろうか。


「……確かにバットを少し変えました。今までのものより少し重いくらいに。最近の成績が良いのはそのおかげかもしれないです」


 どうだ、通るか。

 というか通ってくれないと困る。


「あぁ、やっぱりバットか! この前見た時と違う感じのバットを使ってたからつい気になっちゃった。今度俺にもちょっと使わせてよ」


 肩をぽん、と叩いて鳥居はその場から離れていった。

 とりあえず危機は去ったようだ。


『もしかしてだけど。彼は俺の声が聞こえるんじゃない?』


 は?


『いや、特に何か異変があるわけじゃないんだけどさ、彼はずっと俺の方を見てたよ。腹を探られていたんじゃない?』


 先ほどの嫌疑もあって会話はできない。

 代わりに低く長い唸り声が入夏の喉を鳴らした。





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