得たもの、手放したもの
「なぁ、約束しようぜ」
―――嫌だよ、面倒くさい。
「なんだよ、つれねーな。……いや、むしろお前には言わなくても大丈夫かもな」
―――内容を知らないんじゃ約束にならないだろ。
「はは、そりゃそうだ。じゃあ改めて約束。これからどんな事があっても、俺らは、俺らだけは変わらないようにいようぜ」
―――意味が分からないんだけど。
「……たまにはいいじゃねーか、こういうノリに合わせてくれたってよ。俺はお前に勝てなかった。野球でも、恋愛でもな。でも、お前なら負けた事に納得できるんだよ。だから、お前にはそのままでいてほしい。何年経っても、何十年経っても」
―――言われなくても、俺はこれからもやりたいようにやるだけだよ。
「へへっ、お前ならそう言うと思ったぜ。じゃあ約束な! もしお前が自分を曲げたら、その時は―――」
俺がお前をぶっ殺しにいくからな。
小鳥のさえずりを耳にはさみながら、入夏は目を覚ました。
昨日はあれから肉じゃがを貰って帰宅した。
少々甘すぎないかとも思ったが、とても美味しかった。
一晩で全て食べ尽くすのは勿体ないような気がして、朝食用に少し残してある。
それにしても、また夢を見た。
話していた相手は学ランを着ており、周囲の状況から卒業式だったと推測できる。
上体を起こすと、頬から液体が滑り落ちてくる。
「あれ、おかしいな……」
それは寝苦しさから来る汗ではなく、涙だった。
よほど目が乾燥していたのだろうか。
勇名はまだ寝ているようだ。
この人(というかバット)、結構睡眠時間が長いよな。
揺らして起こそうとするが、うわごとのように彼は謝罪の言葉を繰り返すだけだ。
といっても今日は試合までまだ時間がある。
そこまで急ぐ必要はないだろうと、まずは朝食の準備をすることにした。
炊飯器で予約しておいた米を茶碗に盛り、おかずは昨日貰った肉じゃがを温める。
インスタントの味噌汁を作り、カットしてある野菜にマヨネーズをかければ一人暮らし用としては上等な朝飯の完成である。
「いただきます」
食卓に手を合わせ、箸を動かす。
やはり肉じゃがは美味しく感じた。
『何か懐かしい味がするね』
寝坊助バットはようやく起きたらしい。
おじさんのような唸り声を上げた。
朝に起きて体を伸ばす男の姿がありありと想像できる。
「知り合いの方に作っていただいたんです」
入夏がそう言うと、勇名は『あぁ、そうなの』と興味なさげに声を返した。
何が言いたかったんだろう。
◇
ビクトリーズとの三連戦。
ドルフィンズにとってまさに試練のような試合だった。
2戦目はビクトリーズの三本柱の一人、ペレスと勝ちパターンの前に完封を許しあっさりと負け越しが決まる。
3戦目、
一方、チーム内での入れ替えもあった。
昨シーズン中継ぎエースとしてチームに貢献していた
好成績を残していた
瀧の代わりに一軍昇格を果たしたのは若手の
ここまで先発として3試合に登板していたものの、ノックアウトされる試合が続き2軍での調整をしていた選手である。
次に予定されている試合場もドルフィンズの本拠地である千葉ウミネコ球場で、今度は北海道パイレーツを迎え撃つ予定である。
相手の先発は助っ人のマコーミック。
「入夏君、ちょっといいかな」
試合前に打撃練習を打ちこんでいた入夏のもとに、ドルフィンズの正捕手を務める
彼の隣にはパイレーツのユニフォームを着た男が立っている。
最近流行りの茶髪を首元まで伸ばした髪型をしており、全体的に筋肉質のがっしりとした男だ。
どこかで見覚えがあると思い、入夏はその男を凝視する。
あぁ、鳥居にバットを貸した時のピッチャーだ。
デッドボールすれすれの暴投で肝を冷やしたから印象に残っている。
パワーピッチャーなので制球力の無さは言わずもがなである。
志々海から促され、左馬が何かを入夏に差し出す。
まるで卒業証書の授与のように丁寧な仕草で差し出されたその紙きれに入夏の視線が向く。
「『旬のフルーツ詰め合わせセットギフト券』……?」
「左馬がこの前のお詫びをしたいらしくて。受け取ってあげてくれないかな」
どうやら左馬は体格に似合わぬ真面目でシャイな男らしい。
志々海の言葉にこくこくと首を縦に振った。
「いや、当たらなかったからそんなに気にする事ないですよ」
左馬の表情にさっと青みがかかる。
別に怒っているわけではないのだが、左馬にはそんな風に見えていないのだろうか。
「まぁまぁ、そうでもしないと左馬の気分が収まらないらしいんだ。リンゴとか桃とかあるよ? 高級なやつ」
「……まぁ、そこまで言うなら受け取りますよ」
いたたまれない気持ちとなった入夏が二つ返事で了承する。
左馬の表情がぱっと明るくなった。
ごつい手で握手をして、お辞儀をしながらパイレーツの選手たちがいる方へと戻っていった。
「あの、志々海さん。一つ聞いていいですか?」
「どうした?」
「左馬さんとはどういう関係なんですか?」
「彼は大学時代の後輩だよ。まぁこの前対戦した通り、彼はノーコンだから。大学時代から謝罪行脚に時々付き合っている感じだよ。海外風に言うならネゴジエーターってやつかな」
……こんな事はとても口には出せたものではないんだけど。
何故か入夏の脳内には交渉するインテリの「ヤ」から始まる怖い人が連想された。
志々海さん、時々こういう所があるから何か怖いんだよなぁ。
「大学時代からあんな感じだったんですか」
「いや、昔はそこまででもなかった。シーズンに一度や二度くらいだよ」
「充分に多いと思うんですけど」
「最近の左馬は球速が上がった代償なのか、ボールがすっぽ抜ける癖が悪化したような気がする。敵である以上容赦はできないけど、先輩として何かしてあげられればいいんだけどねぇ……」
どこか遠い目をして志々海が呟く。
彼としても左馬のコントロールの悪さは頭を悩ませる要因なのだろう。
◇
西部とマコーミック、今シーズン三度目のマッチアップで試合は幕を開ける。
初回の裏、先頭打者の入夏がいきなりマコーミックの直球を打ち返した。
打球は弾丸ライナーでぐんぐんと伸び、ライトスタンドへと突き刺さった。
今日のマコーミックは調子にブレがあるのか、直球にスピードが乗り切っていなかった。
それでも会心、とも言うべき一発に入夏は小さくガッツポーズを挙げた。
基本、勇名の打撃理論で言うなら「ホームランはヒットの延長戦」である。
よく言われる理論ではあるが、勇名の話はもっと単純かつ難しいものだ。
角度を付けることよりも、弾丸ライナーのような低い弾道を打つことを理想としている。
そうする事でより打撃の鋭さが増す上に率と本塁打数を上げられるのだという。
「引っ張り」+「ライナー性」、これが勇名の打撃理論の基礎である。。
学んだことを今のところは着実に段階を踏んで習得しつつある、ような気がする。
いきなり先手を取ったドルフィンズはそのまま試合のペースを握る。
特に7番に入っていた若手の柴が大爆発。
タイムリーツーベースを含めた3安打の固め打ちで難敵マコーミックを攻略した。
投げては西部ー志々海のバッテリーがこの前のリベンジと言わんばかりに好投。
球審との相性が合っていたのか、徹底的に外角低めを突く投球術でパイレーツ打線を翻弄。
3塁を踏ませない見事なピッチングで5勝目の権利を得る。
5点差となった最終回、ドルフィンズは昇格直後の鶴来をマウンドに送る。
ドルフィンズ首脳陣としては比較的楽な場面、お試しといった感じで登板させたのだろう。
しかし鶴来はその予想を裏切る事となる。
試合終了まであと1イニングという事で気合が入った鶴来は最初からトップギアでしかける。
5番から始まるパイレーツ打線を2奪三振を含める完璧な封じ込めでゲームセットとなった。
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