三十六泊目 ひむかのホテリエ


「颯真」

「父さん」


 次の休み。

 同じく休みの赤神に連れられて蛍が空港を訪れると、目の前には先日パソコンの画面に映っていた人物がいた。


「あっ、えっと、……はじめまして! 黒木蛍くろぎけいと申します!」


 今回は仕事ではなく、赤神の様子を見に訪れたそうだ。


黒木くん、颯真にお話はうかがっています。いつも息子がお世話になっております」

「父さん固いって……」


(き、緊張する~~)


 赤神同様背の高い、渋いイケメンといったところ。

 先日のスーツとはちがい、薄手のジャケットにすらっと履きこなしたベージュのパンツ。

 心なしか周囲の視線も集まる。

 たしか、以前にもこんなことが──


「ん……? ──あ!!!!」

「思い出してくれましたか?」

「お、おれが危うく店休日のお店に案内しかけたお客様!?」


(そうだ! あの時の人!)


 当時、新人研修がおわり遅番のひとり立ちを迎えたばかりの蛍。

 今以上に宿泊客と接する度緊張していた。

 そんな中、別の者がチェックインを担当しすでに滞在中だった赤神誠一。

彼が蛍の元へ来ると、夕食におすすめの場所を聞いた。


 ただでさえ緊張していたところに上品な男性がやってきた。

 蛍は、どんなところを案内すべきかと益々思考を巡らせ会話を弾ませる。

 なんとか気に入ってくれそうな店を見付けたはいいが、赤神誠一が自動ドアをくぐって外へ出た後に店休日だと気付いた。


 慌ててダッシュで後を追った蛍。

 息を切らして呼び止めると、道行く者たちの視線が二人に集まった。

 事情を話せば赤神誠一は驚きつつも爽やかに、「新人の方? がんばってね、ありがとう」と言ってくれた。


 その時の蛍はとにかく申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいであった。

 世間がホテリエへと抱くイメージは、慌てず騒がず、上品で何でもできそうな人物。実際そうであるとは誰も思っていないが、しかしそう思わせる何かがある。


 案内を間違え、おまけに猛ダッシュ。

 ホテリエのイメージとは程遠い。

 当時の蛍は、そんな自分が本当に恥ずかしかった。


「一生懸命な姿は、それだけで応援したくなるものです」

「父さんが俺にクロトホテルの名前を挙げてくれたのも、クロさんのおかげですからね。宮崎の気候もすごくよかったし」

「颯真の恩人だ」

「いやいやいやいや、失敗談ですし……」

「黒木くん、言ったでしょう。私は真摯なその姿勢が嬉しかったんですよ」


 にっこりとした笑顔はどこか赤神とよく似ている。

 今日は髪を降ろしているからか、先日よりも明るい茶髪が妙に視界に映った。


「たとえ間違えていたとしても、一生懸命な姿には胸が温かくなりますよ」

「そ、そうですかね? なら、よかった……です?」

「クロさんも初めはそうだったんだなぁ」

「颯真はあまり緊張しない子なので、この子と比べる必要はないですからね」

「はい……」


 なんだかくすぐったい。

 ストレートに相手を褒めるところも似ているなんて、さすがは親子だ。


「時間まだあるし。海、きれいだから案内するよ」

「颯真もすっかり、日向の国のホテリエだね。紹介した甲斐があるよ」

「宮崎って、土地が広いからなのか建物が低いからなのか、空が近く感じてさ。太陽が元気に見えるのも、なんか分かるんだよな。ちょっと暑いけど、こっちまで元気でる」

「都会とちがって何でもあるわけじゃないですけど、気に入ってもらえてよかったです」

「冗談抜きでこの気候と景色と、人の温かさ? に癒されたんですよねぇ…………あとご飯」

「颯真はよく食べるからねぇ」

「それには同意します」

「いやほんとおいしいんだもん……」


 温かい。

 日差し、料理、心。いろんなものが。


 やはり県外から来た赤神の方が、それをよく感じ取るのだなと蛍は思った。



 ◆




「わ~~!」

「クロさんがそんな顔してどうすんの」

「聞いていたとおり、人気のお店だね」


 海沿いの道路に面して建つ海鮮料理のお店。

 町の食堂のような店は地元の者のみならず、県内外の客が海の幸を求めて集う。

 刺身や天ぷらの定食、海鮮丼にお寿司。どれも聞いたことのある名前であるはずなのに、店の雰囲気も相まって余計に美味しそうな響きに聞こえる。


 一人で出歩くことも多い蛍ではあるが、この店に来たのはこれが初めて。

 宝石のように魚介類が輝く海鮮丼はボリュームも満点だ。


「いただきますっ」

「いただきます」

「はい、どうぞ」


 なぜか旅行者である赤神の父が二人の様子を見守る。

 県民である蛍の方が、むしろ招かれた側のようだ。


「! おいし~」


 甘めの酢飯とわさび、新鮮な刺身に掛けられた醤油。

 まとめて箸で掬って口に運べば、幸せの味だ。

 食べる前から約束されていたも同然である。


「アサリの味噌汁、うま……」


 赤神はほっと和んだ様子で味噌汁を飲んでいた。


「黒木くん」

「は、はいっ」


 脳内で海に出かけていた蛍は、慌てて現実へと戻ってきた。


「颯真と仲良くしてくれて、ありがとう」

「! いっ、いえ。こちらこそ! 僕の方こそほんとうに、よくしていただいて……」

「今では想像もできないかもしれないけれど、あの時の颯真はわたしも見ていられないものでね」

「そんなに、でしたか」

「父さん。盛りすぎ」

「……黒木くん。あの時には言えなかったんだけど、誰かになにかを『好き』になってもらうことには少なからずリスクも伴うんだ」

「……それは」

「颯真も、仕事にいつも真剣で……好きだったから。その分、失望や悔しさが何倍にもなって襲ってきたんだと思う」


 とてもよく分かる。そう言いたかった。

 母親と子という関係性。

 無償の愛を注ぐ対象になったからこそ、正反対の心も生まれた。

 もし他人であったらどんな人生だったのか。


 『好き』とは即ち、興味を寄せること。

 何らかの期待を裏切ったりすれば、その失望は通常の何倍もの大きさとなる。

 人を、なにかを深く知るということは、思っている以上に複雑だ。


「颯真の母親……わたしの妻だった方は、フラワーアーティストでね」

「……!」


 赤神の話に出てこずに、なんとなく聞きそびれていた母親の存在。

 それを今、初めて耳にすることができた。


「わたしがフランスのホテルに勤めている時に、ホテルのフローリストとして外部契約していたんだけど……わたしとの結婚を機に、一緒に日本に帰ってくれたんだ。勤めていたホテルが日本にも出店するっていうので、準備室に呼ばれてね」


 ゆったりと話しつつ、時折刺身を口にしながら答える。

 妻と言ったのだから、明るい話ではないのかもしれない。


「颯真も生まれて、家族が増えた。わたしも長いことホテリエだったから、お客様の人生ばかり見てきたけれど……ああ、これがふつうの幸せなんだろうなって。ただ、申し訳ないことにわたしは彼女の『好き』を奪ってしまっていたことに、気付けなくて」

「奪う?」

「……」


 赤神は、悲しい表情ではないものの、当時のことを思い出したのかやや俯いていた。


「フランスに限らないけれど、彼女の元いた場所には日常に花が溢れていたんだ。それこそ、どこを見ても視界に花が映るようにね。日本でもお花が好きな方はたくさんいらっしゃるけれど、町全体がってことは少ない。……いわゆる文化の違いだね。彼女はもともと、そうした日本との違いに心打たれて飛び出した方だから。街並みもクラシック。そこに合うよう器や台を考えて、花や草を並べる。なんだろう……わたしにとってホテルが大切な場所であるように、彼女にとっては町全体が花園に見えていたんだろうね」


 赤神の母親は、迷ったことだろう。

 好きなものどちらかを選ぶとなった時。

 彼女はきっと、自分以外の幸せも願った。


「颯真が小さかったから、日本で仕事も思うようにできない。わたしもなるべくお花を買ったりしたけど、そういうことではないよね。どうしても日本に戻ってからの彼女は塞ぎがちになってしまって……充分に話し合った結果、颯真がある程度大きくなってから別々の道を行くことにしたよ。結果的に彼女は世界中で個展を開いているから、わたしも颯真も、納得していることだけどね。仲も良好だから、心配しないで」


 にこりと安心させるように微笑んだ。


「話は少し逸れたけど……。颯真が今こうして笑えているのも、黒木くんとクロトホテル宮崎の皆さんのおかげです。本当に、ありがとう」

「赤神さん……」


 大仰ともいえる深い礼を、蛍は送られた。


(おれの方こそ……)


 赤神には助けてもらってばかりだ。

 どちらが先輩か分からないくらい。

 まして、自分の心の内も明かした。

 友人としても、助けてもらってばかり。


「俺からも、ありがとう」


 隣から送られた感謝の言葉にそちらを向く。


「トレーニング期間が終わっても、またご飯に行きましょうね」

「……! はい、もちろん!」


 そろそろ遅番もひとり立ちとなる赤神。

 年上で後輩。年下で先輩。

 なんだかそんなことを考えていたことが、遠い昔のようだ。

 赤神はすでに、蛍にとって大切な仲間だった。


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