二十一泊目 頭の中


 その日のチェックインは、いつも以上に混雑していた。


「大変お待たせいたしました──」


 蛍を含めた三人のホテリエが意識せずともその言葉を忘れないほど、列に並ぶ宿泊客の苛立ちはよく目に映った。


 それもそのはず。

 宮崎において、『列を成す』。

 この現象は、県内の者も県外の者もあまり馴染みのないものだからだ。


 例えばスポーツキャンプシーズンといった、繁忙期。

 有名で、元々混み合うことが分かっている店。

 そんな場所なら誰もが混雑を簡単に予想できる。

 ただ、何のイベントもない平日。

 時間でいうと三分以上立って並ぶということは、中々ないだろう。






「いや~~~~、クロさんあざすあざす!」

「いえいえ」

「たまたま重なっちゃったね」


 赤神のトレーニングを中断して応援に来た蛍に、谷口は礼を言う。

 時任は宿泊客が記入した宿泊カードを整理しながら、誰にも非が無いタイミングのわるさを嘆いた。


「……」


 蛍は少し緊張気味だ。

 というのも、宿泊客の苛立ちというのは誰にも非がないタイミングのわるさへの苛立ちだ。それが分かっていても体が自然と強張る。

 母親の姿が重なり、罵詈雑言が飛んで来るのではないかと反射的に不安に襲われていたのだ。


「クロさん?」

「……ん?」

「顔色わるいよ?」

「あ、いえ……大丈夫です」


(心配掛けんようにせんと)


「そう? 無理せんでね」

「オレ体力はあるんで! なんかあったら、言ってくだせえ!」


 元野球部だという谷口は、ドンッと胸元を手で叩いて言った。


「あっ──」


(そうだ。今、聞いてみるか……?)


 おもてなし係の取り組み。店舗の課題、あるいは目標。

 それを決めるための意見を募るため、谷口には先日赤神が聞いた。

 時任とは二日会っていなかったため、ここで初めて聞くことになる。


「ときと──」

「白石様の領収書、作ろっと」


 話しかけようとすれば、時任は常連の白石の領収書を作ろうとしていた。

 白石の会社の規定で、精算機の領収書ではなく手書きの領収書を指定されているのだ。

 回収したレシートを見ながら、時任は手書き領収を記入し始める。


「……ん? クロさん、何か言った?」

「い、いえ」


(……やめとくか)


 今この瞬間、蛍の頭の中には多くの場面が駆け巡った。


 ・時任へさらりと話題を投げかけ、スムーズに事が進む場面。

 ・時任へ話題を投げかけると、「今忙しいから後でね」と言われる場面。

 ・時任へ話題を投げかけるとちょうど宿泊客が入店し、領収書どころか質問もできない場面。


 ホテリエとしてあらゆる事態を予測できることは確かに武器だ。

 だが、『自分』のことになると、時としてそれが妨げになることもある。


「……」


 蛍は人と接することが『好き』だが、『得意』ではない。


 この尋常ならざる思考の連続の元に多くの他人を挟んでしまうと、それだけ多くの思考パターンが増え簡単に許容量をオーバーしてしまうのだ。


 蛍が休日に寝すぎてしまう理由の一端は、きっと自分の思考の深さにあると確信していた。



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