二十二泊目 恐れる心


「赤神さんって、すごいですよね」

「え?」


 ぽつりと言った蛍の言葉は、二人だけしかいない空間にはよく響いた。


「どうしました? 急に」


 ロッカーの中に仕舞った私服に着替えながら、赤神は問う。


「いえ……」


(なんて言えばいいんだろ……赤神さんって、素直ですよね? いやいや、なんだそれ)


 蛍が赤神に言いたいのは、フランクに他人に意見を求める時の心持ちのことだ。

 彼だってハイクラスホテルのコンシェルジュを経験した人物。

 相手の立場になって物事を考えるのは自分以上にやってきたことだろう。

 それでもなお恐れずに、自分の言葉や意見を相手に伝えることができる。


 考えすぎて動けないことが多い蛍からすれば、まさに自分の理想とする姿だ。


「えーっと……上手く言えないんですけど、人に意見を求めるのを素直にできるのがすごいっていうか」

「?」

「え、ええーっと」


 上手く言葉を紡げない。

 なにせ、もしその行動を言い換えるとすれば、『人に頼るのが上手い』といった表現もできる。聞きようによっては違和感を持たれるかもしれない。

 赤神に失礼のない言い方。それを蛍は脳内で、見た目では想像もつかないほどのせわしなさで考えていた。


「その、……おれ。赤神さんが……羨ましくて」

「……!」


 いろんな意味を込めた。

 見目も、その器用さも、人柄も、何もかもを。

 自分が彼であったなら、人生とはどうなっていただろう。

 そう想像させるほどに蛍にとって赤神は、とてつもない人物に見えていた。


「私が、ですか?」


 眼を見開いて赤神が言うと、蛍はなんだか気恥ずかしさを覚えた。


(ちょ、言い方……マズったか……)


 仮に自分が同じことを言われたら反応に困るだろう。

 分かっていた。

 分かってはいたが、他に表しようもなかったのだ。


「それは、光栄です」


 にこり。いつもの笑顔に何らかげりはない。


「例えばですが。どういったところをそう思うのか、参考までにお伺いしても?」

「え!?」


 そう素直に問えるのもまた、蛍にはない部分だった。

 プライベートなことで『どうして』と素直に口にできること。なんだか、自分だけがそれを神聖視しているのではないかと、蛍は居心地のわるさを覚えた。


「み……見た目もそうですし、勤勉で、人当たりもよくて……それから──」


 さきほど言った、『人に意見を素直に求める』点。

 先日の一件から、考えすぎて動けない自分との差を目の当たりにしたことを、蛍は赤神にほんの少し明かした。

 それは蛍が滅多に他人に話さない、自分の深部に触れるような話題だった。


「……なるほど」

「もちろん、赤神さんにもいろいろあると思うんです。……でも、それをお客様にはもちろん、僕たちにも見せないわけじゃないですか。初めての場所で分からないことも多いはずなのに、不安を感じさせないというか……。そんな中でも積極的におもてなし係に立候補したり、同僚に意見を求めたりして……」

「たしかに……留学もしましたし、多少怖気づくことは以前より減りましたね」

「怖気づく……?」


(おれ、……怖い、のか?)


 恐れる? ……何を?


「クロさんは私のことを『素直』と言ってくださいますけど、実際のところそれは少し違います」

「?」

「こういうと尊大に聞こえるかもしれませんが、昔より……他人に嫌われることに躊躇ちゅうちょがなくなったんですよ」

「……え?」


 蛍には、赤神の言わんとすることがまるで分からなかった。


「我々のようにお客様や同僚問わず他人を、まるで家族のように心を寄せて接していると……時折分からなくなるんですよね。自分を大切にするという感覚」

「っ!」


 蛍はどきっとした。

 それはまさに、自分が分からないことだ。


「私の場合、前職を経て吹っ切れたんです」

「吹っ切れた?」

「はい」


 にこり。やはり笑顔に陰りはない。


「『もっとわがままに生きてもいい』と言われても、人生難しいですよね。ほんと」

「それって……」


 聞いてもいいことなのだろうか。

 蛍は、薄々感じていた赤神の前職であった『何か』。

 それは他人が勝手に足を踏み入れてもいい領域なのか、判断できなかった。


「うーん。少し長くなるかもしれませんし……今度、ご飯。行きましょう?」


 赤神は私服へ着替え終わると、ロッカーの扉を閉じながらそう答えた。


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