六泊目 言葉の違い
「『お客様も人であり、また私たちも人である』」
「『お客様を素敵にお迎えできる私たちが幸せであり、またその幸せがお客様を幸せにする』」
「──はい、ありがとうございます」
カードサイズの紙を見ながら、赤神は読み上げた。
「最後の一行は空白です。そこには、赤神さんの想いが入ります。記入いただいてもかまいません」
「なるほど……。自主性も感じられるクレドですね」
「最近はクレドを取り入れるビジネスホテルも増えたそうですが、うちは同価格帯だと最初に取り入れたそうですよ」
「へぇ……! それは、興味深いです」
「そ、そうですか?」
「ええ。ぜひ経緯をお伺いしたいものです」
「うーん。その辺は支配人とかの方が詳しいので……」
「今度聞いてみます」
勉強熱心だな、と素直に
「クレド……ホテリエとしての心構え、信条。ぜひ赤神さんも、自分のクロトホテルのホテリエとしての想い、見つけてくださいね」
「はい」
言って、蛍はどことなく後ろめたい気持ちに駆られた。
それは未だに自分がその空白を埋めることができていないからだった。
(自分なりのホテリエとしての心構えなら、いくつも持ってる……。でも、クロトホテルが掲げる他の二文には、『自分』も大切にするという意味が込められてるし……)
最初、自分がトレーニングを受けた時には素晴らしいホテルだと思った。
クレド以外にも従業員を大切に育てようとしている気風がいくつも見受けられた。
だが、いざ自分がそれを設定しようとするとどうしても『他人』のことしか言葉がでなかった。
(おれは……)
制服を着たホテリエとしての自分がとても好きだ。
しかしここで言う『幸せ』とは、仕事もプライベートも関係なくという意味だろう。ならば制服を脱いだホテリエではない自分はどうだ?
きっと、何者でもない。
そのことにどこか焦りを感じている。
「────クロさん?」
「っ! ぁ、えーっと。も、持ち歩いてもいいですし、うちではロッカーの内側に貼って出勤前に確認する人も多いですよ」
「ロッカーですか! なるほど、いいですね」
赤神は、ナイスアイデア! とでも言いそうなほど感心している様子だった。
「……以前のホテルでは、やはり持ち歩いていらしたんですか?」
「そうですねぇ……あとは、ミーティング室には掲示もされていたので、自分のロッカーに貼る人はいなかったと思います」
「僕たちは持ち歩けるんですけれど、女性の制服だと季節によってはポケットの容量が限られるんですよ。なので、持ち歩くのは男性スタッフが多いですね」
「たしかに、ペンやメモ帳だけで一杯になりそうですね」
「ですです」
「……!」
「……?」
高級ホテルの制服というのはどういうものだろうと思いを馳せていると、蛍の視線はどこか輝く目をした赤神とぶつかった。
「ど、どうかされましたか?」
「あ、いえ。その……ち、違っていたら申し訳ないのですが」
「はい」
「『ですです』っていうのは、『そうです』の意味ですよね?」
「えっ?」
「あまり聞きなれないもので」
(うわ、マジ? 方言には気を付けてたつもりだけど……これ、そうなんだ。めっちゃ無意識)
「あ~~、すみません。無意識に方言? 使ってたようで」
「いえ、たまーに他所の場所でも耳にはしますが、宮崎の方は特によく使っているなぁと思っただけですので。……むしろ、使ってください!」
(ええ?)
思いがけず盛り上がる赤神に、蛍はついていけていない。
「抑揚はどうしようもないんですけど。日本全国……いえ、世界からお客様がお見えになりますからね。言葉はなるべく標準語をと気を付けたいんです」
「はい、お気持ちは承知しております。……ただ、私の地元にはあまり方言というものがなかったもので。地域の特色を感じられるというのは、本当に素晴らしいなと思います」
「は、はぁ。ありがとう、ございます?」
「クロさんが普段から気を付けていらっしゃるのも分かります。たまにでかまいませんので、そういった宮崎ならではのお話もおうかがいできると嬉しいです」
「わ、わかりました……」
他の地域のことを知りたいという気持ちはとてもよく分かる。
旅先では誰もがその地域特有の食べ物であったり、観光名所を巡るだろう。
ただ言葉となると、宮崎の中でも更にいろんな方言がある。
蛍はホテリエになりたての頃、特に言葉遣いには気を付けた。
その時に方言を矯正することになんら抵抗はなかったが──
(言葉も、地域の個性のひとつ……か)
言われてみれば当たり前なのに、どこか他人事であった。
それはやはり蛍にとって、『自分』という存在が二の次になっているからなのだろう。
自分を大切にすることと、地域を大切にするということ。
それが繋がる部分もあるのだなと、蛍は赤神の言葉で初めて気付くのだった。
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