三泊目 新人研修③ ようこそ、宮崎へ


『恐れ入ります、その日はあいにく禁煙のお部屋が満室でございます。もしよろしければ、喫煙のお部屋を消臭させていただくか、すこし広めのお部屋でしたら禁煙がご用意できます。いかがいたしましょうか』

「うん、クッション言葉も代替案もバッチリ。ポジティブな提案でお伺いできてる。赤神さんさすがですね。まあ、うちの店舗は全室禁煙なのでアレですけど」

「ありがとうございます」


 今日もけいは事務所にて赤神のトレーニング。

 電話対応のロールプレイも、マニュアルを通してつちかったさまざまな情報を交えた実戦形式で行っている。


「いやぁ、さすが赤神くん。飲み込みはやいね~」


 目の前のデスクよりひょっこり顔を覗かせるのは、遅番の責任者──チーフの日髙花織ひだかかおりだ。髪が長いので、おくれ毛を出すこともなくしっかり一つにまとめている。


「日髙さん」


 新人研修が終わるまで、入社したての従業員というのは大抵緊張がほぐれていない。

 トレーニングにも必要以上に集中してしまうため、小休憩をよく挟むように心がけていた。先輩が雑談を振るのが合図である。

 もっとも赤神にいたっては、緊張感を保ちつつも余分な力は上手に抜いているのだが。


「赤神くん、宮崎来てどんくらいやっけ?」

「ほぼ一か月ですね」

「えー!? じゃあ、アレやわ。クロくん、マニュアルもいいけど宮崎のこともいろいろ教えてあげんといかんね」

「まぁ、そう……ですね」

「マニュアルにもちょいちょい観光案内のロープレとかあるけどさ。やっぱ、バリエーションって大事やと思うよ?」


 蛍よりも一回り年上。34歳の日髙は、面倒見のいい姉御肌タイプ。

 年下男子二人の様子を、よく見守っていた。


「宮崎のこと、……そうですね。暖かい土地というのは、すでに実感しています」


 五月の中旬だというのに、既に蒸し暑い陽気を赤神は肌で感じているようだ。


「あはは。特に市内やと、冬場雪が降るだけでも大騒ぎやけんね~。年一回あるかな~くらい。やけど、宮崎は土地が縦に長いし、山間部と平野部でも気温がちがったりするからね。そういう、地域でのちがいっていうんやろか? 探検しがいがあるかもしれんよ」

「なるほど。車はあるので、休日に散策してみます」

「宮崎、宮崎……」

「どうしたの? クロくん」

「あ、いえ。宮崎店ならではの、お問い合わせ……何があるかなと」

「そうやねぇ。……海! 神話! スポーツのキャンプ! チキン南蛮に宮崎牛……うーん、釜揚げうどん?」


 同じ地域出身の二人が唸っていると、赤神は楽しそうに二人を眺める。


「最近は餃子もよく話題になりますね」

「まぁ、少なくともマンゴーと地鶏はぜったい聞かれるやろね」

「ですね」

「有名な果物店が経営してるカフェとか、新鮮な鶏を仕入れてる居酒屋とか……やっぱり、場所の確認だけでも自分の足で行ってみると案内しやすいかも」

「先日オススメのお店が載っている地図はいただきました。参考にしますね」

「うんうん」

「あ、そうだ。赤神さん」

「はい?」


 自分の名に応えるのにすら、にっこりと笑顔を添える。


(い、いちいち眩しい……)


「『日向夏ひゅうがなつ』、って知ってますか?」

「なんとなく名前だけは……。柑橘系の果物ですよね? どういうものかは、食べたことがないので正直……」

「収穫時期は、いつ頃だと思います?」


 蛍がそう言えば、意図を理解した日髙がにやついた。


「ええと。…………八月?」

「いえーい!!」

「ちょ、日髙さん。僕は真面目にですね……」

「?」

「ふっふっふ。正解は……秋以外!」

「へぇ? 『夏』なのに、ですか」

「あ、いや。もちろん最盛期は初夏……まさに今なんですけどね。でも、ふつうに一月とかから見掛けることもありますよ」

「どういう味なんですか?」

「見た目は黄色い小ぶりのグレフルって感じ? やけど、味はもうちょい酸っぱくなくて、ふわふわした中の皮と一緒に食べるんよね」


 その酸味と甘みを思い浮かべた日高は、うっとりとした表情を思い浮かべた。


「グレフル?」

「もう日髙さん……。グレープフルーツです」

「あぁ! ふふ」

「実家は砂糖かけて食べてたよ」

「え! 砂糖ですか」

「そのままでも美味しいけどね。砂糖、マジで合う」

「うちもそうでした。日髙さんと僕は、県南出身なんです。醤油をつけて食べるお宅もあるとか」

「へぇ……! やっぱり、地方の食文化は面白いですね。まだまだ知らない美味しいものがあるんでしょうね」

「そうそう。だから、クロくん!」

「はい?」


(すっげーイヤな予感……)


「今度休み合う日、赤神くんを案内してあげんといかんよッ!」

「あー……」


 嫌というわけではない。むしろ、その時になってしまえば楽しめる。

 ただ、人と接することが『好き』だが、『得意』ではない蛍にとって休日を誰かと過ごすことは、仕事と同様緊張感を伴うものだった。

 仕事で莫大なエネルギーを消費する蛍にとって、休日は『寝て』『一人で好きなことをして』『エネルギーを充電』する日であった。


「あの、僕は一人でも──」

「いいや、よくない! クロくんも、ゲームばっかりせんでたまには外で過ごさんと~」

「そ、そうですね……はい」

「黒木さん、あの。情報だけいただければ」

「あ、いえ。日髙さんの言う通りなので、たまには外に出ようかと……」

「あと、クロくんのことはクロくんって呼んでいいよ」

「なんで日髙さんが決めるんです?」

「いいわぁ、呼びやすいし!」

「まぁ、いいんですけど……」

「では、『クロさん』と呼ばせていただきますね」

「はい、どうぞ」


 蛍の意図しない場面で呼び名が決まってしまった。

 わるい気はしないのだが、やはりどこかくすぐったい気持ちになった。


「ついでだし、道案内のロープレしたら?」

「いや、赤神さんまだ周辺情報分かんないでしょう」

「少しでしたら歩いて確認していますので、構いませんよ」

「おお」


 さすが元コンシェルジュ。下調べに余念がない。


「じゃ、じゃあ。ロールプレイに入る前に、周辺情報おさらいしましょうか」

「はい」


 蛍はホテル周辺の地図を描くようにして脳内に思い浮かべた。


「ではホテルをご案内する時に、一番の目印になるものは何があるでしょうか?」

「隣のコンビニ、近くにある大型書店……それから、ええと」


 赤神も同様に脳内に地図を描いているのか、時折視線を外しながら答えた。


「初めてお見えになる方は大通りから入ってくると思うので、〇△社の大きな電光掲示板も覚えておいてくださいね」

「なるほど」


 クロトホテル宮崎は、宮崎駅の西側に位置している。

 宮崎駅西口より真西に伸びる高千穂通たかちほどおり

 飲食店が軒を連ねる繁華街とは対照的に、通り沿いは企業のビルが多く立ち並んでいた。

 その通りを一本北に入った所にホテルはある。

 クロトホテルの客層がビジネス客メインなのもそうした理由だ。

 周辺には他社のホテルもいくつかあるので、目印を伝える際には充分気を付けなければならない。


「あ、そうだ」

「?」

「僕らと赤神さんの感覚が違うので一応お伝えしておくと、車でご利用の方が非常に多いので、ご注意くださいね」

「そうか! 車道の向きも考えなければ……」

「ですです。なので、まずはお車か徒歩でお越しかの判断が重要ですね。ホテルがある方とは逆の車道を走っていらっしゃるのでしたら、また案内が変わりますから」


 蛍は自分がホテリエになりたての頃、自分もよく気をつけていたことを赤神に伝授した。


「初めての土地、初めての場所。ホテルに電話を掛けるというのも緊張を伴いますし、不安も多いかと思います。特に赤神さんは他県からお越しですから、そのお気持ちはよく分かるかと」

「ええ。肝に銘じます」


 人間は慣れる生き物だ。

 地元の人間が案内するのと、客と同じ地元ではない者が案内するのとではまた違うだろう。それもきっと赤神の武器になるに違いない。

 蛍はそう確信した。


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