二泊目 新人研修② クロさん
『お電話ありがとうございます。クロトホテル宮崎でございます』
(イイ声だよなぁ)
支配人と副支配人より会社の概要。ホテルの細部というよりは大枠を伝える期間が終わり、いよいよ現場の者が
基本的にはマンツーマン。
トレーニング専用のシフトを設ける人的余裕はないので、ある程度お客様対応をしつつもマニュアルに沿って教えていく。事務所のホワイトボードに貼られたシフト表を見る限り、今月のトレーニングはほとんど蛍が担当するようだった。
赤神は勤勉。
知っていることであったとしてもきちんとメモを取り、疑問があれば説明の邪魔にならないタイミングで質問する。学ぶ姿勢からも人柄がにじみ出る。
これが場所を選ばない一流というものかと
「……あの、黒木さん?」
「あっ」
(いかん、素で聞き惚れてた……)
今は事務所のデスクに座り、マニュアルに沿って蛍が宿泊客。赤神がホテリエとして電話対応のロールプレイをしていた。
蛍はその柔らかくもあり、しかし頼りがいも感じられるはっきりとした声にすっかり聞き入っていたのだった。
「いや、赤神さん。声の抑揚が完璧で……」
「恐れ入ります」
「──すみませーん! クロさん、ちょっとだけフロントいいですかー?」
「あ、はい。赤神さんはマニュアルの復習をお願いします」
「はい」
本来この時間は三人でフロント対応をしているのだが、トレーニングがある際は一人が事務所に下がる形となる。
今は午後六時。ちょうどビジネス利用の宿泊客で込み合う時間帯。
蛍は同僚の要請に応じて、急いで表にでた。
「次にお待ちのお客様、たいへんお待たせいたしました。こちらで承ります」
「──黒木くん、こんばんは」
表に出ると、数人並んでいた。
次に並ぶ者を案内するため、蛍が指先の揃った手で目の前のカウンターを指し示すと、毎週木曜日に出張で宿泊する常連の
「こんばんは、西村さま。こちらはもう暑いでしょう?」
顔を見るや否や、客側からは見えない位置にある手元のパソコン画面には、西村の予約情報が既に表示されている。
と同時に台の上には旅行業法により定められた、客が自分の情報を記入するための宿泊カードが既に置かれていた。
「いや、ほんとに! 暖かいというよりは暑いよね~。汗が……」
「ふふ。お疲れ様でございます。本日はご一泊、禁煙のシングルルーム、ご朝食付きで承っております」
しっかりと西村の目を見て予約の確認をする。
「うん、間違いない。ありがとう」
(後ろにお客様が並んでるからな。西村さまもさすが、お話しながらしっかりサイン済み)
宿泊カードには、既に西村のフルネームが。
クロトホテルでは会員登録をすると、会員カードがもらえる。
それをチェックインで提示すれば、宿泊カードには署名のみで手続きが済む。
事前に会員情報として、住所や生年月日などをホテル側で取得しているからだ。
万が一情報に変更がある際は速やかに申し出なければならない。
「ゴールデンウィーク、忙しかった?」
口を動かすと同時、西村は
それを慣れたように胸元のポケットにしまう。
「そうですね。やはり例年通り、たくさんのお客様にお越しいただきました。駐車場もほとんど満車で」
蛍も同様。西村と視線を交わしつつ手元を操作し、ルームキーを収納するキーケースに部屋番号を記入する。
「黒木くんも、お疲れさま。今日もよろしくね」
「はい。どうぞごゆっくり、お
この間、わずか二十秒。
蛍が指の揃った右手で指し示した先には精算機があり、西村は説明も受けず慣れた様子でそちらへと向かった。
(これがビジネスホテル……なんだよなぁ)
もちろん、初めて利用する者。
毎回すべての案内を望む者。
海外から訪れる者。
ホテルを訪れる者には、色んな者がいる。
ホテリエは相手のあらゆる情報から、望んでいるであろう案内の仕方を見極める。
今回に限れば常連客の西村に合わせ、必要最小限かつ間違いのないよう予約確認の案内に、雑談を交えた蛍の臨機応変な対応。特別な伝達事項もなし。そこへ並ぶ者に配慮した西村の気遣いが合わさり、まさに一瞬でチェックインが終わった。
チェックインが混んでいない時は、むしろ西村は蛍とよく話をした。
手続きが速いだけでも、正確なだけでも足りない。それはあくまで前提条件だ。
目の前の人物に寄り添ったおもてなし。
それこそ、ホテリエが経験によって培う能力。
それでもやはり赤神が勤めていたホテルと違うのは、宿泊客がホテルの従業員と接する時間の長さ。クロトホテルに限らず、どのビジネスホテルにも言えることだ。
出発も精算機で自動のチェックアウト。
価格帯がちがうというのはその分サービス内容も違い、それは人員の配置が減ることに直結する。
──この一瞬で、ホテルを好きになってもらえるかどうか
そこが、蛍のホテリエとしての課題であり、醍醐味でもあった。
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