番外編 郷土の料理~冷や汁~


「えー! 日本一周、でございますか?」

「そうそう。バイクで大分から南下してきたところ」


 蛍がチェックインを受けているのは、バイクで日本一周をしているらしい男性客。

 自分よりは年上だが、それでも若いと称すことができる外見。

 旅そのものに興味を持つ蛍は、まるで有名人を前にしたかのように興奮した。


「わー、すごいですね……!」

「タイミング的に今しかないかなぁって。せっかくだし数日宮崎県内ぶらついてから、次鹿児島かな?」

「フレキシブルに旅程を組んでいらっしゃるんですね」

「まあね。なにがあるか分からないし」


 男性客が言うには、ちょうど転職を考えるタイミングだったらしい。

 仕事を辞め次の仕事先を決める前に、前々からやりたかったことをやっているとのことだ。


「宮崎の旨いものって、何があるかな? 正直、ぜんぜん下調べしてなくて」

「そうですね。ご存知のものも多いかもしれませんが、代表的なのはチキン南蛮。地鶏の炭火焼、宮崎牛。冷や汁などがよく挙げられますね」

「……ひやじる?」

「さようでございます。初めて耳にされますか?」

「だねぇ。冷たいの?」

「はい。魚の風味と味噌のコク、きゅうりや豆腐のさっぱり感が合わさった冷たいかけご飯で、もとは麦飯にかけて食べられていたそうです」

「へぇ」

「朝食会場でもご用意がございますよ」

「え!? そうなんだ、ラッキー」

「よろしければぜひ、お召し上がりくださいませ」


 さっそく朝食無しのプランから、朝食つきに変更した男性。


「教えてくれてありがと」

「いえ、お役に立てましたなら幸いです。ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 ほくほくとした様子でチェックインを済ませ、エレベーターで部屋へと向かっていった。


「──冷や汁、ですか」

「赤神さん」


 となりで話を聞いていた赤神は、さっそく蛍に尋ねた。


「私も朝食会場でいただきましたが、冷たいってのが意外ですよね」

「お茶漬けとか、熱い出汁をかけて食べるご飯はありますよね」


 話に聞いただけではなかなか味の想像がつかない。

 食べなれない冷たいものならなおさらだ。


「クロさんは、冷や汁ってよく食べるんですか?」

「僕ですか? いえいえ、滅多に」

「じゃあ、よかったら今度、うちで一緒に作りませんか?」

「──えっ!?」


 赤神の急な申し出に、すっかり蛍はたじろいだ。


「ほら、私だけクロさんの家を拝見させていただいたのもあれですし……」

「そ、それは光栄なんですが、……なんで冷や汁なんです?」

「暑い季節ですし?」

「そりゃそうですけど……」


 そう。郷土料理とはいうものの、家族の食卓はともかく一人暮らしの独身男性が作るには、なかなか候補に挙がらない料理。他の名物料理だってそうだ。

 暑い時期には特に自炊する気も起こらず、蛍は休日の昼食には地元のうどん屋で『冷やしうどん』をよく食べていた。

 自炊を滅多にしない者にとって、米を炊くことさえも一大イベントなのだ。


「では、あとで松浦さんか蛯原さんにレシピ聞いてみます」


 よく料理を話題に挙げる二人の女性。

 クロトホテル宮崎内で料理のことといえば、この二人に聞くことが慣例だった。



 ◆



「お、お邪魔します……」

「どうぞ」


 自分の住むアパートよりも築浅に見える住居に、恐る恐る足を踏み入れた。

 蛍は緊張しながらも滅多に訪れない他人の部屋への好奇心も隠せない。

 キョロキョロと玄関を見回すと、自宅とは比べ物にならないほどおしゃれな空間であった。


(イメージどおり過ぎる……)


 モテそうな男性の部屋。

 変に気取ったわけでもなく、デザイナーズマンションなわけでもないが、シンプルな中にもセンスの良さが光る。


 玄関は生活感を出さないよう、一足以外の靴はすべて収納へ仕舞い込んであった。

 それだけでも自宅とはぜんぜん違う。

 廊下の右と左にはそれぞれ浴室とトイレ。

 廊下をまっすぐ進むと、リビング、キッチンに寝室。

 1LDKだという一人暮らしには充分な間取りであることもが、なによりフローリングの床がしっかりと顔を覗かせていることに蛍は驚きを隠せない。

 それだけで広々とした空間に見えた。


(いやぁ、ふつうの部屋ってこんなか)


 本やゴミに隠された自宅の床が気の毒に思えてきた。


「冷蔵庫、こっちです」

「あ、はい。おじゃましま~す……」


 真っ白な壁と日当たりのいい部屋に迎えられると、蛍は気持ちのよい部屋とはこういうものかと再確認した。


「テーブル使ってください」

「はい」


 対面式のキッチンは、蛍の自宅よりは広いものの。

 青年男性二人が並ぶには若干スペースの余裕はない。

 蛍が買い物袋から二人掛けのダイニングテーブルの上に食材を取り出し、カウンター越しに材料を赤神へ手渡した。


「いりこでいいんですね」

「魚介の風味ってのが重要なんですかね」


 味は分かるが作り方は今一つな蛍。

 蛯原よりもたらされたレシピの真意は不明だ。


「きゅうりを除けば、お味噌汁を作るみたいですね」

「ですね」


 味噌はもともと赤神の家にあるものを使用する。

 いりこ、豆腐、きゅうり、シソ、ごまを手渡し終え、改めて蛯原の書いたレシピメモを確認した。


「じゃあ、クロさんは……」

「すりごまですね」


 事前に役割分担を決めていた二人。

 赤神はいりこの頭とはらわたをとって、フライパンで炒る担当。

 蛍はごまを軽く炒ってすりごまを作る。


「なかなか一人暮らしですり鉢、持ってないですよね」

「お料理される方は持ってるんでしょうけどね」


 本来、ごまや魚、味噌なんかを混ぜるときはすり鉢を使う料理だ。

 ただ赤神も蛍も持っていないと伝えると、蛯原はそれ用にレシピを書いてくれた。


「じゃ、やりますか」

「やりましょう」


 二人はさっそく調理に取り掛かった。







「で、……できたぁ」

「おー」


 炒ったごまを厚めのビニール袋に入れて、空き瓶を転がしてすりごまを作った蛍。

 赤神が担当したいりこと味噌を混ぜ、混ざったら豆腐を手でつぶすようにほぐしてさらに混ぜる。


 少し冷ましたぬるめのお湯を入れて溶かしたら、輪切りにしたきゅうり、シソを加えて完成。

 かなり簡略化した作り方だが、見た目はそれっぽい。

 郷土料理を手作りしたということが重要なのだ。


「ふつうは冷蔵庫で冷やすんですかね?」

「さ、さあ……たしかにお店で出てくるやつは冷たいですけど」


 あとは好みの問題だろう。湯もすっかり冷めきった。

 蛍と赤神は、さっそく炊き立てのご飯と共に用意して、席につく。


「じゃ……!」

「いただきます」


 つやつやの湯気が立つ白いご飯。

 その上に味噌の色をした汁をかける。

 ごろごろと粗目の豆腐ときゅうりが一緒になってご飯へと降り注ぎ、一気にボリュームを増した。


「おお~」


 初めて自作した宮崎の料理に、赤神は感動を覚えたようだ。

 スマホで写真を撮ると、ほかほかなご飯と冷たい汁を一緒に口へかきこんだ。


「……? ……んー! 冷たくて美味しい。しかも、食感が……なんだろ。おもしろい?」

「きゅうりのざくざくと、とうふの柔らかさ。それにあったかいご飯と冷たい汁が合わさって、口の中大変なことになってます」

「あはは。一瞬脳がバグりそうですよね」


 お茶漬けのように温かいものを想像して食べると、あまりのさっぱり加減に一瞬戸惑う。

 だが、その爽やかな口当たりが夏の暑さにぴったりで、食欲が無くともあっという間に食べ終わりそうだ。昔ながらの夏場を乗り切るための知恵だったのだろうか。


「ご家庭の味って、どんなのがあったんでしょうね」

「ネギは絶対合いそうな雰囲気」

「あーたしかに。……あと、ワカメとか?」

「もう味噌汁ですね、それ。赤神さん、ほんと味噌汁好きだな……」


 蛯原によれば、みょうがやしょうがを混ぜることが多いらしい。

 味噌は表面を火で炙って焦がすとさらに美味しいとか。

 昔は『ご家庭の味』のように、作り方もさまざまだったようだ。

 いろんなアレンジ方法があるのだろう。


「なんか、……宮崎に限らずですけど。旅先で知った料理を自宅で再現するっていうのも、おもしろそうですよね」

「たしかに。そういう別の楽しみがあると、自炊めんどいって気持ち、なくなるかな~」

「仕事の日はなかなか、難しいですよね」


 動機付け。

 『どうして』と問うのは、何もネガティブな感情を呼び起こすだけではない。


 宿泊客が『このホテルに泊まりたい』と思うこともそうだ。

 面倒な家事を、工夫して楽しくできるようにするのもそうだ。

 なぜ宮崎を訪れるか。旅の目的もそうだ。


 そうした問いは、魅力の再発見にも繋がるだろう。


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