番外編 偶然を手繰り寄せる


「──あれ? 新人さん?」

「はじめまして、西村様。赤神と申します。いつもご利用いただき、誠にありがとうございます」

「おおお……イケメンだね……」


  眩しいものでも見たかのように、常連の西村は目を細めた。


「黒木くんももう四年? かぁ。はやいねぇ~。そりゃ後輩もできるよね」

「時間ってあっという間ですよね」


 蛍の付き合いもほぼ四年。

 西村は週のほとんどを出張で周っており、今のところ転勤や異動はないようだ。


「それにしても……クロギくんに、アカガミくん……かぁ」

「「?」」

「アカとクロ。二人とも、色の名前だね」

「た、たしかに」

「いいコンビになりそうだね」

「ぜひ西村様にも見守っていただきたく存じます」

「あはは」

「あ、そうだ」


 なにやら赤神は、いいことを思いついたとでもいうように蛍の方を見た。


「?」

「西村様。近々、クロトスペースにてお読みただけるよう、新しい本を一冊購入予定なのですが……なにか、おすすめの本はございますか?」

「ああ、あそこのね」


 言われて西村は右後方を振り向き、会議室やクロトスペースに繋がる自動ドアの方を見た。


「おすすめかぁ。……僕はあんまり、物語系は読まないんだけど」

「あくまで参考としておうかがいするだけですので、どういったジャンルでも構いませんよ」

「そうだなぁ。僕が今読んでるのは、健康ごはんのレシピ集?」

「え! 失礼かもしれませんが……意外です」


 いつもスーツで訪れる西村のイメージは、『できるビジネスマン』といったところ。

 蛍の中での印象は、仕事の付き合いでいつも外食をしていて自炊はしない……そんなイメージを持っていた。


「いやいや、僕もそう思うよ。歳のせいかな?」

「どこかお体に不調が?」

「んー。病気ではないんだけど、ほら。若い頃に比べれば疲れやすくなったり、健康診断でも数値が良好だったのが、経過観察になったり……。これからのことを考えて? 週末は自宅で奥さんが作ってくれるからお任せしちゃってるけど、平日の出張先でどういったごはん食べたらいいかなぁって参考に」

「ははぁ、なるほど……」

「ほら、最近『サステナビリティ』って言葉、よく聞くじゃない? 物もそうだけどさ。長生きするなら自分の体のことも、ふだんから考えなきゃでしょう? 持続可能な選択。孫もできたからさ」

「! おめでとうございます」

「ありがとう。いやぁ、かわいいよね」

「ふふ。お料理をされるわけではないんですか?」

「だねぇ~。奥さんの料理好きだし、平日は難しいから……僕がやるとすれば老後かな? レシピにさ、こういう食材にはこういう栄養が含まれていて~って解説が書かれてるから、いいんだよね。僕が読み終わったら奥さんも読めるし」

「まさに持続可能な……」

「あはは、たしかにね」

「なるほど、レシピ……料理とか、栄養。そもそも健康に関するジャンルか。いいですね」

「性別問わず興味のあるジャンルですし」

「お、役に立ったならよかった」


 人のいい笑みは、飾らないものだった。

 西村はリラックスした様子で自分のことを話す。

 特に昨今は個人情報を伝えることに慎重になっている。西村が、蛍をはじめクロトホテルへ親しみやすさを覚えている証拠だろう。


「西村様、ご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます。……最後に、もう一つよろしいでしょうか?」

「「?」」


 赤神がもう一つ問おうとする。


(なんだろう?)


 蛍にも想定外な申し出であった。大人しく聞いておくことにした。


「持続可能な選択……サステナビリティには『環境保護』『経済発展』『社会開発』の三つの柱がございます。西村様をはじめ、わたくしがお客様に教えていただきたいと思うのは『経済発展』についてでしょうか。お客様方のニーズの変化が目まぐるしい速度で駆け抜ける昨今……西村様が、わたくしどもをお選びいただいている理由はどのようなものがございますでしょうか?」

「!」


 それは『おもてなし係』、『織りなす会』そのものの存在意義だ。

 先ほどのようにアンケート形式で問うことは蛍もよくしてきたが、このようにストレートに聞くことは初めてであった。


「へー。赤神くんって、誠実なんだね。常連だと良いことばかりを挙げるわけじゃないだろうし」

「恐れ入ります。ご期待に応えるためには、その期待されていることを知らねばなりません。ホテリエは本来、それをわずかな手がかりから察するものなのでしょうが……わたくしは、お客様に直接おうかがいするのも手段の一つだと考えております」

「飾らないんだねぇ」


 赤神の言う通り。

 彼の父親が言った、『声にならない声』を拾うのが従来のおもてなし。

 宿泊客はそれを伝えていないからこそ、それが実現された時に『まさか』だと思うわけだ。

 赤神の手法は驚きによる感動のハードルを自ら上げてしまうものである。


「……でも、僕はすごく良いと思う。もちろん、『そんなこと自分で考えろ』って思うお客さんもいるだろうからね。君たちはそれをしっかり見極めていると思うから心配してないけど。僕も営業の仕事だから、わかるよ。選択肢ばかりが増えていく世の中で、世の中の最適解が分からなくなる。多様性も時代と共に社会に反映されていって、消費者ニーズもどんどん変わっていく。時代に置いていかれないか、不安になることもあるよね」


(時代に置いていかれる……か)


 『時代遅れ』という言葉の意味すら、現在は変わってきた。

 もとはデザインやセンス、つまりは流行についてを表すものだったが、現在は社会環境に準じているかという意味合いもある。


「あくまでできる範囲のことは自分たちで考えて、取り組んで、失敗して成功して。でも、そこからさらに良いものにしたいと考えた時に、顧客に問うこともぜんぜんアリだと思う。むしろ、それがこれからのスタンダードなんだろうし。昔からこの手のダイレクトメールってあるけど……意外と手間だったりするし。返事をするのは面倒だけど、こうして面と向かって聞かれたら全然面倒に思わない。むしろ、僕を信頼してくれてるなぁって嬉しくなるよ」

「西村様……」


 そんな風に思われていたとは。

 蛍は家族の話を聞いただけで西村の人生の一端に触れた気がしていた。

 だが、こちらの都合を迷惑にならない範囲で話すことも、なんだか西村の心に触れたような気分になる。


「で、選ぶ理由だけど……。うーん。ま、わるいところ? 要望? から先に言わせてもらうと──」

「「……!」」

「大浴場がないこと?」

「ああぁ……」


 それは本当によく言われることだ。

 過去には『大浴場さえあれば、文句なしにサイコー!』と言う別の常連客もいた。


「こればっかりはどうしようもないよね。気にしないで。入りたい気分の時は、僕も遠慮なく他のホテル泊まるし」

「は、はい……」

「それくらいかな? みんな親切だし、立地もいいし。値段も平均的だし、部屋も広いし。会員の制度も文句ないし。朝食もいいけど、仮に要望あったらレストランの人にその場で言うし……でも。赤神くんの問いもそうだけど、これだけならきっと多くのホテルがそうだよね」

「そう、ですね」


 日本全国の、同価格帯のホテルは皆そうだ。

 蛍が旅行で宿泊先を選ぶときですら、『立地』が一番の条件にくる。


「僕は自分でも無意識なんだろうけど、黒木くんと初めて会った時に『宮崎の家はここにしよう』と思ったんだと思う」

「え? 私、ですか?」

「それはどういった経緯かおうかがいしても?」

「もちろん。……黒木くんと初めて会ったときは、夏だったんだよね。クロトホテルの制服は各店舗でちがうんだけど……あ、僕どこに行っても系列に泊まるから知ってて。で、今もそうだけど、夏場の宮崎店はアロハシャツ着てるんだよね」

「はい。もうそろそろ衣替えかと」

「そうでしたか。楽しみです」

「で、僕出張の時はいろんなホテル泊まってたから、特にこだわりとか無いんだけど……。逆に言うと、どこのホテルにとっても毎週泊まるような常連じゃないんだよね」

「なるほど。利用のスパンが長いと」

「そうそう。でさ、その時のチェックインは女性の人にしてもらってね。黒木くんは隣で聞いてただけなんだけど……そしたら僕、精算機の使い方よく分からなくてさ。それに気付いた黒木くんが、案内のためにとなりに来てくれて」

「あ」


 その時のことが、よく思い出される。


「『西村様、よろしければわたくしがご一緒に操作いたしましょうか?』って言ってくれてさ。……僕、自分で名乗る前に名前を呼んでもらったの初めてで。しかも、チェックイン受けてない人に」

「わたくしもこちらでお世話になって思いました。どのホテリエも、『自分事』にできているんですよね」

「そうなのよ。で、研修終わったばかりの若干ガチガチに緊張気味な声に、フレッシュな笑顔。おまけにアロハシャツでしょ? あれ、僕宮崎に旅行で来たんだっけ? ってなっちゃって。仕事の疲れ、忘れちゃったよね」

「あはは」

「ガチガチでしたか……」

「なんか、大したことじゃないんだろうけど……その場で会員登録させてもらったよ。うまく言えないけど、自分でも気付かないうちに感動したんだろうね」


 感動。

 心が動かされること。刺激により感情が触発されること。


 それは何も、大仰なことだけにとどまらない。

 些細なことでもそれをもたらすことができるのだ。


「きっかけはそれで、あとは純粋に部屋の広さとかが好きかな。アイロンも部屋にあるから便利だし。もちろん新しくできたホテルとか、たまに別のホテルにも足を運んでるけど、結局いつも帰ってくるよね」

「嬉しいですね、黒木さん」

「いや、本当に……ありがとうございます」


 きっと他社のホテリエだってそうだ。

 蛍だけが優れているとか、そういう話ではない。

 西村は、その感動をクロトホテル宮崎で味わった。

 そのたまたまは、蛍と、クロトホテルの人材育成の徹底力が生んだもの。


 もし何かが欠けていたら、その『たまたま』は生まれていなかったかもしれない。


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