十一泊目 休日のふたり


(今日も午後か……)


 せっかくの休日だというのに。

 蛍は十三時を示す時計を恨めしそうに見る。

 昨夜は遅番から帰宅後、深夜一時に寝た。つまり十二時間睡眠である。


 布団は畳まれたまま。

 疲れからか床で寝落ちしていた蛍。忙しい時期にはいつものことだ。


 一応、今さら意味はあるのかと思いつつも日課である天気予報とニュースの主な見出しをスマホでチェックした。


「…………はぁ」


 ホテリエという仕事は本当に天職だと感じている。

 宿泊客と接することや、彼らの笑顔を見ることが本当にうれしい。

 だが、夜勤もある仕事なため睡眠が安定しないことも多かった。

 眠りが浅い人もいれば、寝すぎてしまう人もいる。

 蛍は後者であった。

 その原因も、シフトが不規則という以外にも何となく把握している。


「…………英語勉強してぇな」


 夏のはじめに宮崎市内で大きな学会が行われる。

 観光協会が公開しているコンベンションカレンダーを見るに、今回は理系の学会のようだった。

 人が集まるイベント事とホテルは、無関係とはいかない。

 参加人数が数百人のものもあれば、時には千人規模の場合も。

 そういう時、当日予約に慣れている者たちは宿を取れない場合がある。


 先日のドイツからの宿泊客は、恐らくこの関係者だったと蛍は予想する。

 国内からの参加者が主な学会もあれば、海外から参加者が集まる学会もあった。

 であれば、せめてホテルに関する英語は復習しておきたい。


 だが物が散乱する部屋を見渡せば、とてもではないが勉強する気が起きない。


「ステバ行くかぁ」


 星と鳥がモチーフのロゴが有名なチェーンのカフェ、ステラバーズ。自宅から徒歩圏内に一店舗ある。

 昼食も兼ね、静かでおしゃれなカフェにて勉強しようと蛍は準備を始めた。



 ◆



 軽食とコーヒーを受け取ると、さっそく読書ができそうな席を見付けた。

 蛍がそこに目掛けて進んでいると、


「──あれ、クロさん?」

「!?」


 急に右手のテーブルから声が掛けられる。


(この声は……!)


「ぐ、偶然ですね……赤神さん」


 きっちりとした仕事中とはまた違った、明るい髪をおろしたイケメン。

 ふだんよりゆるめの雰囲気は、仕事中よりも若々しく感じる。

 ノートパソコンで動画を観ていたのか、ワイヤレスのイヤホンを外していつもの爽やかな笑顔を向けた。


 蛍の胸中は同僚の珍しい姿を見られた幸運よりも、気まずさの方が勝つ。


「休憩ですか?」

「え、あ、いやぁ。……英語、勉強しようかなと。家だと集中できなくて」

「奇遇ですね、俺もです」

「え?」


(英語ペラペラだと思ってたけど、……貪欲なんだな)


 仕事中よりは幾分か砕けた物言い。

 しかし、やはり赤神の本質は変わらない。


「さ、さすが赤神さん」

「よかったら、一緒にしませんか?」

「えっ!? えーっと……」


(正直……一人の方がはかどるんだけど)


 学生の頃、友人と一緒に宿題をやった記憶は一切ない。


(これが陽の者かぁ……)


 蛍にとって勉強とは一人で行うものだった。

 しかし、せっかくの同僚からのお誘いを断るわけにもいかない。

 蛍はおずおずと同じテーブルの向かいに腰かけた。


「あ、そうだ」

「?」

「めどが立ったら、一緒にご飯行きませんか? うち近いんで、車出しますよ」

「!?」


(家、近いの──!?)


 衝撃の事実。

 歩いて店を訪れた蛍だったが、それは赤神も同じだったようだ。


「え、えーっと」

「あ。無理にとは言いませんよ、もちろん。でも出掛けるなら連休初日の方がいいかなって」

「あー……」


 休みが一定ではないサービス業ではあるものの、たまに連休もある。

 今回は二連休で、今日はその初日だ。

 蛍も赤神の意見には全面同意する。

 休みが二日あるとすれば、一日は家でゆっくりしたいタイプだからだ。


「……そういえば、宮崎。案内するんでしたね」

「いえいえ! そんな、ほんと。自分で行くんで」

「いやいや、そういうわけにも」


(どうすっかなぁ)


 本音を言えば一人で休みたい。

 最近は付きっきりのトレーニングで、あまり心に余裕がなかった。

 この連休でゆっくりして、心の充電をしようと思っていた。


 だが、赤神に宮崎を紹介したいという気持ちも嘘じゃない。

 行くまでは腰が重いのだが、行けば絶対に自分も楽しめると分かっている。


「え~~っと……。明日も、よかったら……一緒に出掛けます?」

「え!?」

「もし用事なければ」


 蛍はチーフの日高に宣言した通り、赤神を誘った。


「……ご迷惑でなければ、いいですか?」

「ええ、もちろん」


 そう言えば、赤神は素直に喜んだ。

 いつもの感じでにっこり、というよりはくしゃっと。柔らかい表情で。


 仕事中のシワの無い制服を身に纏い、髪をしっかりとセットした赤神。

 目の前の、少し胸元の見えるネイビーのカットソーにチノパンを身に纏ったゆるめな赤神。

 どちらも、蛍の目にはなんだか同じように映った。

 それが無性に羨ましい。


「じゃあ、二時間をめどに」


 店が混んできたら早めに帰りましょうと赤神が言ったのを合図に、蛍は先に軽食を食べ英語の本を読んだ。



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