二十七泊目 渡されたバトン


「では、がんばりましょう」

「はい」


 マニュアルによる座学やロールプレイを終えた赤神。

 電話対応も問題なし。

 今日からはさっそく、フロントに他のホテリエと肩を並べて立つ。

 胸元には新人だと宿泊客に伝わるよう、『研修中 赤神』と書かれた簡素な名札が輝いていた。


「数日は私の様子を側で見ながら、マニュアルで学んだことを現場感覚で結び付けてくださいね」

「かしこまりました」


 事務所内とはちがい、適度に緊張感のある会話。


「今日の夜は試泊だっけ?」

「はい。楽しみです」


 時任に言われ頷く赤神。

 いよいよフロントデビューとなった赤神の感覚は、トレーニング期間を経てすっかりクロトホテルのホテリエとしてのものになった。


 だが先日の精算機のように、ホテリエは宿泊客の目線に立つということを忘れてはならない。そこで、宿泊客のように客室に泊まることもトレーニングの一環として機会が設けられている。


「朝食もおいしいですよ」

「わ、そうだそうだ。チキン南蛮、あるんですよね」

「ですです」

「朝からうれしいな」


 赤神は朝食に思いをはせた様子でにこにこと笑った。


「「「──いらっしゃいませ」」」


 すると、玄関の自動ドアが開く。若い男性二人組だ。

 三人のホテリエは笑顔で迎えた。


「こんにちは」

「あ、こんにちは。すみません、チェックインしたいんですけど……」

「かしこまりました。ご予約を確認いたしますので、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 カウンターを隔て蛍の前へとやってきた二人組。

 赤神は蛍の応対をその眼で学ぶため、若干カウンターよりも引いた位置に控えている。


(シングル二部屋かな……?)


 服装から見るにビジネス利用というよりは、旅行での利用に見えた。

 ただ、明日宮崎で仕事があるために前乗りで利用の可能性もある。

 可能性を一つ一つ考慮して、言葉の手札を徐々に増やしていった。


「小林です」

「小林さま、ありがとうございます」


 手元のキーボードで名前を打ち込む。

 コバヤシを含む宿泊者は、二名ヒットした。


「恐れ入ります、フルネームをお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「はい。小林雄輝こばやしゆうきです」

「ありがとうございます」


 絞り込めば、確かに一件ヒットした。


(……ん)


 が、シングルではない。

 コーナーダブルの二名利用が一部屋だった。

 ダブルとは、ダブルベッドが一台の部屋。

 同性で利用することはもちろんあるだろうが、目の前の二人の様子を見るに適度に距離感を保った間柄だ。友人関係のように見える。


 この瞬間、蛍の頭には五つの可能性が浮かぶ。


 ・ツインの二名利用よりも安かったために、部屋タイプを確認せず誤って予約した

 ・二人は恋人関係である

 ・二人は友人関係だが、ベッド一台でも問題ないほどの関係性

 ・連れとは別の部屋だが、利用人数を間違えて入力した

 ・そもそも予約者が違い、部屋タイプを知らない


 それらを考慮して、告げた。


「小林雄輝様、ご予約誠にありがとうございます。本日の御一泊、お部屋タイプはコーナーダブルを二名様ご利用。ご朝食は無しのプランで承っております」

「「え」」


 左後ろに控えた赤神が、唸ったような気がした。


「あれ、僕、ベッドが一台の部屋予約してました?」

「ちょっ、俺イヤだぞ!」


(予約間違いだったのかな)


「ご予約の重複があるといけませんので念のためお伺いしたいのですが、お連れ様は別でご予約されていらっしゃいますでしょうか?」

「いえ! してないです」

「かしこまりました」


 予約間違いが判明すると、小林と連れは「あちゃー」「どうすんの」と不安な様子になる。

 蛍は安心させるようにまずは伝えた。


「別のお部屋もご用意できますので、どうぞご安心くださいませ」

「「! よかった~」」

「シングルがお二部屋、もしくはベッドが二台で一部屋のツインもご用意できます。ご希望のお部屋タイプを教えていただけますでしょうか?」


 蛍はインターネットからの予約が間違いだった場合の流れを一通り二人へ説明し、元の予約をキャンセル。ツイン一部屋で新たに予約を作成することとなった。


 通常のチェックインの手続きと異なり、若干の間が生まれる。

 ホテリエ三人はまったく気にしていないのだが、予約を間違ったことでホテルに迷惑を掛けてしまったと萎縮する二人。気まずそうに待っている。

 蛍はどうにか安心してもらいたいなと予約を作成しながら、思考を巡らせた。


「──よろしければ」

(お)


 そこへ赤神が気を利かせて申し出た。


「お待ちの間、こちらのタブレット端末でわたくし共のホテル情報をご覧いただけます。お二方は、クロトホテルのご利用は初めてでいらっしゃいますか?」

「「は、はい」」


 二人はまた違った緊張感を覚えたようだ。

 赤神のスタイルの良さや顔立ちに目を奪われたのか、驚きを隠さない。


「この度はご利用、誠にありがとうございます。……では、簡単にではございますが、わたくしからご案内させていただきます」


 そう言うと、カウンターの横にあったタブレットの画面を操作する赤神。

 台に置かれたそれは、混み合う時間帯にクロトホテルのプロモーション動画を流しており、チェックインの手続きを待つ間手持ち無沙汰になる宿泊客への心遣いであった。


 赤神は映し出された自店舗、他県にある店舗の情報などを一緒に観ながら優しい声色で解説していた。


(助かった)


 赤神が申し出なければ、蛍が予約を作成しながら会話も続けなければならない。

 両方を同時に行うのは集中力が必要だ。


「え、博多にもあると?」

「へ~」

「お二方は、福岡からお越しですか?」

「はい。ちょっと宮崎に用事があって」

「今回、初めて来たんすよ」


 そう言う二人はすっかり緊張感もほぐれていた。

 たった一度のやり取りで、どこか赤神を兄貴分のように慕っているようにも見えた。


「左様でございましたか! では──」


 二人が宮崎に来るのは初めてという情報を引き出した赤神。

 さすがだ。その情報があるのと無いのでは、手札の選び方が異なる。


「よろしければ、こちら。周辺の地図になっております。ご利用なさいますか?」

「あ、助かります」

「そうだ。夕飯まだ決めてないんですけど、近くでお兄さんのオススメあります?」


 すっかり二人のお兄さんとなった赤神。

 恐らく二人の視界には、『研修中』の文字は映っていないのだろう。


「実は、わたくしもお二方と同じく県外出身でして。宮崎には最近引っ越してきたのですよ」

「あ、やけんか」


 ようやく胸元に気付き、納得した二人。


「──ですのでこちらの黒木より、チェックインの案内後にお伝えさせていただきます。わたくしも一緒に勉強させていただきますね」

「あはは」

「この際一緒にいろいろ聞いちゃいましょ~」


(さすが……)


 ちょうど蛍の予約作成が終わったタイミングで、何の違和感もなく案内のバトンを渡した赤神。自分が客の立場であっても、『お兄さん』と思ったことだろう。


 さらに言えば、宿泊カードに住所を記入する前に出身地を聞いた赤神。

 個人情報に厳しい昨今、それにすら嫌悪感を抱く者もいるはず。

 あえて聞き、自然と自分の情報を渡すことによって宮崎の情報に明るい蛍を立てつつも、二人との距離を縮めたのだ。

 見事と言わざるを得ない。


「大変お待たせいたしました」


 比べるものでもないのに。

 蛍はなんだか、ここに居てはいけないような気持ちに襲われた。


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