二十八泊目 楽しむ心
「福岡弁? 博多弁? すこし、宮崎弁に似てますね」
「イントネーションですか?」
「あー、そうなのかな?」
遅番を終え、ロッカーにて着替える二人。
「『ばり』とか、こっちで全然使わないものもあれば、語尾の『けん』とか『ちゃ』とかは一緒だな~って思う時もあります」
「宮崎で『ばり』は、なんて言うんですか?」
「『てげ』ですかね」
「へぇ……、あれ? でも──」
「『てげてげ』はテキトーとかほどほどって意味なんですけどね」
「あ、やっぱり違うんですね。超スゴイって意味かと」
「ふつうはそう思いますよね~」
県内出身者の多いクロトホテル宮崎店。
こういう話題になるのも、赤神という存在が招いた結果だ。
「おもしろいなぁ」
「関東ご出身ですと、九州はやっぱり新鮮な土地ですよね」
「ですねぇ」
赤神は宿泊客と接していない時も、ずっと楽しそうに過ごしている。
それは、元々ホテルの仕事が好きだということもあるが、初めて触れる文化や風土に触れてわくわくしているのだろう。
宮崎を訪れる県外客。
このホテルにおいてその視点にもっとも近い感覚を持つのは、赤神だ。
「……」
「では、僕は今日試泊なので」
「はい。お部屋の感想、またうかがいますね」
「はい。お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
ぱたんと扉の音が響いた。
静寂と共に訪れるのは、決まって思考の渦だ。
「……ふう」
赤神は、すごい。
もちろん人間、誰にだって不安や悩みはあるはずだ。
だが少なくとも初めての土地で、ああも楽しそうに毎日を過ごせるのは一種の才能だろう。
『違いを楽しむ心』というのは、確かに接客業において心の安寧を保つのに重要な役割を果たす。
(おれ、だせぇな)
蛍は楽しめていない。
慣れた土地、見知った同僚、そんな環境ですら違いを楽しめていない。
蛍は赤神に嫉妬のような感情を抱いていた。
日中に感じた『ここに居てはいけないような』感覚。
それが特に良くない。
赤神は特別、蛍を脅かしたいわけではないのに──
「……帰るか」
思考を振り払うには、自分を鼓舞するよりも場所を切り替える方が早い。
荷物をまとめ終えると蛍は足早に家路に向かった。
◆
「だーーーー」
帰宅後、自分にミスはなかったか。忘れていることはなかったかと今日という一日の振り返り。そうして今度はうだうだと、不甲斐ない自分への禅問答を繰り返した蛍。
仕事から疲れて帰ってきたというのに、自分で自分を痛めつけるかのような一人反省会。気付けば二時間経っていた。時刻は二十四時を過ぎそうだ。
「朝風呂にすっかぁ……」
こういう時は決まって眠れなくなる。
心配事の大半は起こらない、考えても無駄だ……ということは幾度と本を読み知っているものの、染み付いた自分の癖はちょっとやそっとじゃ変わらないのだ。
シフト勤務の接客業、加えて二十四時間営業。
万が一にも遅刻をすると他の誰かが確実に残業だ。
入浴を朝にすれば、どれだけ眠くてもその時間を逆算して起きることができる。
社会人になって得た蛍なりのライフハックである。
接客業でなかったらそれが意味を成すかは分からないが。
「げ」
翌朝。
近所の家々へ新聞を届けにきたバイクの音を聞き届け、眠りについた蛍。
スマホで設定できる限りの目覚ましをかけ、なんとか時間に余裕をもって起きることができた。
寝転がりながら日課の天気予報とニュースの見出しチェックをしていると、不意に連絡が届く。
《いつ帰ってくると?》
無機質な文字列からは、あらゆる感情が見え隠れしている。
対面した時には考えられないほどの遠慮がちで、待ちわびていることを隠すかのようにシンプルな言葉。忙しい毎日を送る蛍に対し、母親なりに気を遣ってはいるのだろう。
しかし蛍にとっては、なんとか平穏を保つ日々にもたらされた突然の嵐のようだった。
「はぁ……」
車で二時間もかからない距離に住んでいる両親の元へは、仕事柄不規則な時間の中に生きていることもあり滅多に帰らない。
母親と接することで今以上に自己肯定感を失うと、いったいどうなるのか。
予想もできないことが起こるよりも、互いに適度な距離感を保つ方が何倍もいいのだ。
「だりぃ~」
親に対してこんなことを思うことすら、自分を責める要因になる。
蛍は大人になって論理的に母親の『言葉の過ち』を諭すことも考えたが、世の中にはいろんな考えの人がいて、自分の想像も及ばない者がいることは充分に分かってきた。
本でもよく読んだ。
他人を変えることはできない。自分の心持ちを変えるしかない。
確かにその方が何倍も話がはやい。
話に出てくるような『ポジティブマインド』を身に着けることは中々に難しいが、自分さえ我慢すればいいというのは同じこと。
愛と憎しみの両方が本当のことで、感謝と苦しさの両方が本当のこと。
明るい未来が約束されているわけでもないのに、人生で最も身近で切り離しがたいコミュニティに波風を立てるのは、得策とは言えまい。
なんとか家族というものをやっていくには、知らない振りをするのが一番手っ取り早いのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます