二十九泊目 伝えること、伝わること
「こん中に飲み屋かラウンジはあっとね?」
「恐れ入りますが館内の飲食店はあちらにございます、レストランのみとなっております。夜にはお酒の提供もございますので、よろしければ──」
「お父さん、たかがビジホになん求めちょっとね。ほら、行くど」
「お気を付けて、行ってらっしゃいませ」
今日は土曜日。
結婚式に伴う団体客は一年を通して見かけるが、六月の土曜日は特に利用が多い。
クロトホテル内に宴会場はないが、近隣の結婚式場には宿泊施設がないところも多い。業界は違えど、持ちつ持たれつの関係だ。
今回の団体予約では、主役である新郎新婦が参列者たちの支払いを事前に一括で終えていた。しかし、チェックイン自体はまばらなことも多い。
新婦の叔父と叔母にあたる二人は一番に到着し、荷物だけを預け会場へと向かっていった。
「……」
言葉が痛い。
その『たかが』を担う者たちの熱意は、彼らに届かなければ意味がない。
ネットの普及で情報収集も容易になった現代は、それだけ宿泊客の事前期待も大きい。
立地、部屋、設備、外観、内装、特典、口コミ。
あらゆるものを把握した上でやってくる。
『たかが』を超えるために必要な『感動』は、ハードルが上がり続ける期待を超えてこそ初めて生まれるのだ。
だからこそおもてなしという概念があるのだろう。
難しい。
誰かに何かを好いてもらうのは、本当に難しいのだ。
「クロさん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
斜め後ろに控えていた赤神は、こっそり耳打ちする。
ロビーには誰もいなかったので、蛍は特に背伸びをして赤神に耳打ちする必要もなかった。
「それより」
赤神が実際に団体利用で混み合うロビーを見ることになるのは、今回が初めてだ。
「名簿を見る限りは、個別でご案内した方がよさそうですね」
例えば親戚同士。
年に一回は会うような間柄の利用であれば、誰か代表者一名に手続きをしてもらい、他の者に利用方法を伝えてもらうことも希望があれば構わないだろう。
しかし今回に限れば苗字が同じ者はほぼ居ない。
新郎新婦の友人が大半のようだ。
県内在住者同士の婚礼なので、自宅から来ている者も多いのだろう。
「なるほど……」
赤神の元いたホテルにはいわゆる宴会部門があり、婚礼や宴会が自ホテル内である。団体での利用というのはそうしたケースや、ツアーでの利用がほとんどのようだった。
利用目的は同じだが、しかしビジネス利用の者らと同様に個別での手続き。
それも、婚礼が終わる時間帯は皆同じだ。
たしかに混み合うだろうな、と納得した様子で赤神は頷いた。
「大変お待たせいたしました。お次でお待ちのお客様──」
「お待たせいたしました! こちらで承ります!」
「かしこまりました。では、領収書の宛名をご変更いたしますので、少々お待ちくださいませ」
蛍、谷口、松浦の三人がフロントに立ちひたすら口を動かしていた。
赤神はその様子を見守りつつも、列の形成を補助するためにロビーで
蛍たちが喉の渇きを潤す間もなく、チェックインを受ける者からは次々に質問が飛び交う。
「へー機械でチェックアウト?」
「もちろん、混み合っていなければフロントでも承りますので、ご遠慮なくお申しつけくださいませ」
「朝ごはん、食べる時間あるかなぁ……」
「よろしければランチやディナーで、後方のレストランの金券としてもお使いいただけます。万が一、お時間がない場合には宮崎のお土産品との交換も承りますので、お申しつけくださいませ」
「宮崎は十年振りなんですよね~」
「さようでございましたか! では宮崎駅周辺の景色は、ずいぶんと違って見えるでしょうね」
「温泉はないと?」
「恐れ入りますが館内に大浴場はございません。よろしければ、周辺の温泉施設をご案内いたしましょうか?」
(──あっ)
すると、蛍の視界の端に新たな来訪者が見えた。
自動ドアを潜った女性は、車椅子利用者だ。
混み合っていることを予想していなかったらしい女性は、ロビーの様子を見ると怯んでいた。
(まずい)
車輪を操作して向かう先は、ロビーの待合いスペースだ。
恐らく自分がチェックインを受けると時間が掛かると思い、他の宿泊客に遠慮しているのだろう。混雑が解消されるまで待つつもりらしい。
蛍は目の前の者に笑顔を向け温泉施設を案内しつつも、内心焦っていた。
なにがおもてなしだ。
逆に気を遣わせてしまっている。
それでも列はまだ続いているし、谷口と松浦だって手が離せない。
本来の彼女の順番であるはずの場所には、既に別の者が収まっている。
どうしたらいい。
(こんな時──)
自分がもう一人、居たらいいのに。
そう頭を過った時に視線を感じた。赤神だ。
どこか蛍の心を鎮めるような優しい眼差しは、「安心して」と言っているかのようだ。
(……あ)
その意味はすぐに分かった。
「あれ? お客さま──」
「俺より先にあっちの人、してあげない。先に着いちょったげな」
「! かしこまりました! 教えていただきありがとうございます!」
谷口は車椅子の女性にはまったく気付いていなかったようだ。
自分のカウンターが空いたというのに一向に手続きへ来ない男性客に問うと、赤神が男性客へと伝えた情報が谷口にもたらされた。
(視野広いなぁ)
ちょうど玄関を真横に見るように立って、列に並ぶ宿泊客と話していた赤神。
視界の端に映った情報を逃さず、本来の順番を覚え、会話を終えたあとにフォローに回ったらしい。
谷口は急いで案内に必要な道具を持って待合いスペースへ向かった。
車椅子を利用する者が手続きをするには、カウンターは高すぎるのだ。
(すごいな)
ほんとうにすごい。
ホテリエ経験が長いとはいえ、ここは初めての土地だ。
宿泊客に自分が分からないことを問われる可能性もある。それなのにその表情は常に明るく、混雑するロビーでも一際輝いていた。まったく物怖じしていない。本来の力を惜しみなく発揮している。
彼は自分とは違う。いいことだ。
違う視点をもたらす存在というのは、接客業においてとてもいいことだ。
なのに蛍の心はずっと晴れないでいる。
嫉妬によるものだとは分かっていても、ダメな自分と赤神を比べ一人で勝手に落ち込んでしまう。
赤神はわるくない。
わるいのは、いつだって自分の心だ。
◆
「私も失念しておりましたが、土曜日はそもそもビジネスご利用の方も普段よりは少ないですね。案内の仕方はビジネスでのご利用と、観光でのご利用かでもまた違いますでしょうし」
平日に混み合った時と比べると、列の進み具合というものはずいぶんと異なっていた。
赤神はその理由を自己分析し、所感も述べる。
的確な分析に称賛を送るほどの余裕は、蛍にはなかった。
「……」
「クロさん?」
「…………あ、すいません。今日は、疲れちゃって……」
「ずっとお話されてましたもんね」
赤神だって一日立ちっぱなし。それなりに口も動かしていたはず。
柔らかな笑みは今の蛍にとって、同僚の前で疲れを見せてしまった自分を責める材料となった。
「そ、そうだ。お部屋、どうでした?」
「あ。すごくよかったです! 部屋にアイロンとアイロン台があるのは、ビジネスでお越しの方には特に喜ばれますよね」
「ですです」
「デスクも広くて作業がしやすいですし……。なにより、部屋の広さはびっくりしますね」
「一般的なシングルより広めに作られていますからね」
初めて見た時には自分も驚いたな、と蛍は当時を懐かしんだ。
「朝食もよかったです。宮崎の名物料理には手書きのPOPも添えてありましたし、固定メニュー以外にも季節のメニューや日替わりなんかがあったりで」
「なにか気に入ったものはありましたか?」
「デトックスジュース? ……ですかね。入れ物もオシャレで。やっぱり出張の多い方は健康を気にされていらっしゃいますし、女性のお客様にも喜ばれるでしょう」
「あれフルーツの味がして美味しいですよね」
誰かが喜ぶであろうことを想像して仕事の話をするのは、今の蛍にとっては心地よかった。自分というものを意識せずに済むからだ。
「あとは、混み合った時の様子……どう思われました?」
おもてなし係としてもう一つの課題を今回目の当たりにした赤神。
ホテルを訪れるすべての者を歓迎したいというホテリエの心は、混雑時にはなかなか伝わりづらいのが現状だ。
「そうですね……どうしても、チェックインカウンターが三台ですので。今回のようにロビーでアテンドをしながらお声がけするのはマストですよね。チェックイン以外の用事で並ばれている方がいらっしゃれば、私でも対応できることがありますから」
「ですね」
赤神から見ても、どうしても解消できない混雑というのは存在するようだ。
当たり前の話なのだが、蛍にはファンタジーの世界に住むように見える赤神をどこか魔法使いのように思っていたので、意外に思えた。
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