二十五泊目 お客様目線


「おつかれさまで──」

「えー、ぜったいこっちのがいいわぁ」

「そッスかね~?」

「……どうしたんですか?」


 赤神は休み。蛍が久しぶりに一人で遅番に入る日だった。

 事務所に入ると、日高と谷口が何やら言い合っている。

 加賀美と蛯原は微笑みを浮かべて様子を見守るだけだ。


「黒木くん、お疲れさまです」

「支配人、お疲れさまです。……なにかありましたか?」


 蛍が谷口と日高に目を向ける。

 言い争っているわけではないが、意見は割れているようだ。


「いいえ? 彼らなりに紡いでるんですよ、きっと」

「?」

「あー、クロくん。ちょっと来てよ~」

「あ! クロさん、ちょっといッスかー!?」

「??」


 呼ばれて日高の前にあるモニターをみて、合点がいった。


「どっちの写真がいいと思う?」


 さっそく、赤神の提案した英語のツール。

 それに使うための写真を二人が選んでいるところだったのだ。

 前日に数枚、イメージを固めるために蛍と赤神で撮影した写真のデータであった。


「えーっと……、どっちもいいかなぁ。なんて」

「いやいや、クロさん! 笑顔で案内しているホテリエ映ってた方が、印象バッチリでしょ!」

「は~~? 目の前に本物のホテリエがおるんやから、こっちには導線わかるような写真がいいやろ~」


 まるで姉弟のように和気あいあいと意見を出す二人。

 精算機の利用方法を説明する文に添える写真を選んでいるようだが、ホテリエが笑顔で案内している写真と、人は映っていないがフロントの位置から精算機を見るように撮った写真。どっちがいいのかを互いに主張しているようだった。


(……やっぱ赤神さん、すごいな)


 谷口と日高の様子を見るだけで、蛍には赤神のすごさを眼前に突き付けられたかのようだ。なにせ、二年前に蛍がおもてなし係を担当した際にはスタッフ間でこんな議論は生まれなかったのである。


 加賀美の言った、『課題には全員で取り組めるような内容にすること』。

 これを自分は実現できなかったのだ。


 それが赤神の手にかかれば、即日スタッフ間の意見も活発に交換され、ツールもすぐさま出来るようになっている。

 他人と自分を比較することに意味はないと分かっていても、そうしてしまうのが人間だ。


「えーっと……チェックインで精算機使ったらある程度の操作に慣れる可能性が高いですし……。チェックアウトの案内を、ホテリエが映っている写真にしてはどうでしょう?」

「「なるほど~~」」


 谷口と日高、両方の意見の落としどころはこの辺りだろう。

 蛍は二人の意見を尊重できた様子にほっと胸を撫でおろして、フロントに出る前に引継ぎを受けた。








「……え? 機械でやんの? なんで?」


 五十代後半だろうか。

 案内を受けた男性客は不思議そうな顔をしていた。

 ふだんは精算システムの異なるホテルに宿泊しているようだ。


 宮崎に存在するホテルだけでもその仕組みは様々。

 チェックイン時の支払い、チェックアウト時の支払い。

 精算機での支払い、フロントでの支払い。プランによってはオンラインカード決済のみの支払い。あるいは飛行機とのパック予約で、現地での予約変更ができないパターンまで。


 宿泊客が混乱するのも無理はないのだ。

 自分たちにとっては機械を使うことが当たり前だとして、宿泊客にとっては初めての経験なのかもしれない。

 その視点を忘れず、言葉を選ばなければならない。


 蛍はいつものように頭の中をフル稼働させた。


(機械に違和感なのか、手間の問題なのか……)


 宿泊客の言った「機械でやんの? なんで?」という言葉は、どういった感情からくるのか。蛍の予測では、


 ・機械でチェックインすること自体への嫌悪感

 ・一度フロントを介して、さらに精算機へ誘導される手間への違和感

 ・初めての経験による戸惑い


 のどれかだと考えた。


 一度口から出た言葉は取り消せない。

 だから傷つけないよう間違わないよう。先にたくさん考えて、考え抜いて、それからようやく言葉を発する。それも瞬時に。


 蛍にとってホテリエは、確かに天職のはずだ。

 ずっと人の顔色をうかがって生きてきた。

 それが自分を守る目的から、他人が喜んでもらうためのものになれば、楽しいに決まっている。


 稀に言われる言葉に内心ひるみつつも、蛍は不安を取り除くように宿泊客に答えた。


「少々お時間いただいてもよろしければ、フロントでご精算承ります。チェックインが混み合った際、待ち時間の短縮になるようにと導入されたものでして、精算後すぐに領収書も発行されます。差支えはございませんでしょうか?」

「あ~、なるほどね。べつに急いでないし、こっちでやってよ」

「かしこまりました」


 ほっとした。

 間違わなかった。


 ただ、いきなりマイナスからのスタート。

 『好き』になってもらえるかどうかは、自分次第だ。


 蛍は緊張感を覚えつつも、笑顔を忘れずにチェックインを受けた。


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