四泊目 心が休まる部屋


「……」


 打ち付ける水音が、どこか遠く感じる。

 蛍は、シャワーの合間にその日起きた出来事を思い返すのが日課となっていた。


(あれって処理したよな……? あ、そうだ。帰りに引き継いだやつどうなったか明日確認しておかないと……。てか、あれって発注したっけ? それも確認しておかんと……)


 ゆっくりくつろぐための入浴とは程遠い。

 まるでその日の自分を追い立てるかのようだった。


 完璧主義。心配性。

 どれもが当てはまるかもしれないし、もしくはホテリエとしてのさがなのかもしれない。


 蛍は、職場においてはミスがほとんど無いことで認識されている。

 同僚間でのダブルチェック以外に、自分が担当したことはセルフチェックを欠かせない。


 それは育ってきた環境のせいというのもあった。

 気に入らないことがあれば怒号が飛んでくる。そんな場所だった。

 他人に迷惑をかけることを極端に恐れている。とりわけ自分がミスをしていないかについては、一種の強迫観念のようなものを感じる。


 特に最近は赤神のトレーニングを担当しつつ宿泊客への対応をしているため、気が分散されている。余計にミスをしていないかの心配が募っていた。


「ふぅ」


 全身をバスタオルで拭き、ひと時の安らぎを得ればまた現実へと帰る。


「…………あー」


 床に積まれた本の山。

 洗い物の溜まったキッチン。

 決められた日に出せずに溜まりに溜まったゴミ。

 畳まれた布団を、まるで使わせないとでも言うように積まれた洋服。


 蛍は、どうして自分はこうなのだろうと。


 職場で得たはずの自己肯定感を、自宅でまた失う日々を送っていた。



 ◆



「今日は部屋の案内がてら、インスぺに行きましょうか」

「インスペクションですね」

「はい」


 インスペクション。

 客室の清掃が終わったあとの、部屋の点検のことだ。


「清掃の方も、チェッカー担当者が一度してくれていますからね。お掃除の具合というよりは……どちらかと言えば、経年劣化が見られる部分ですとか、少し水の流れがわるいですとか、傷ですとか。設備面ですね。清掃の方も限られた時間の中で一生懸命清掃してくださっています。皆さんから見たら問題ない部分も、私たちの目で見ると実はちがって見える部分もありますし。定期的にランダムに行っています」

「備品や消耗品はわかりやすいですけれど、設備だと長年お勤めでないと違いがわかりにくいですもんね」

「ですです」


 快適に過ごすための部屋。

 きれいで清潔で必要な物があり、物が乱雑に置かれていない整った部屋。

 蛍はお客様に『お寛ぎいただける部屋』というものを、よく分かっていた。


「赤神さんと、部屋タイプの案内がてらインスぺ行ってきます」

「「はーい」」

「はい、行ってらっしゃい」


 事務所内にいた総支配人の加賀美、副支配人の蛯原えびはら、チーフの日高が返事をした。


「赤神さん、宮崎店の部屋数は覚えていますか?」

「はい。180室です」

「正解です」


さすがだな、と蛍は赤神を感心した様子で振り返る。


「エレベーターはお客様と同じものを使っても?」

「はい。新しめの店舗には従業員用のがあるみたいですけど。うちはないので」

「そうなんですね」


 エレベーター前に到着すると、従業員用のカードキーを認証機器にタッチしてエレベーターを呼び出した。

 先に蛍が乗り込み、扉を手で押さえ赤神が乗り込む。


「部屋タイプはもう覚えましたか?」

「はい。すべて禁煙ルーム。1フロアに、シングル12、コーナーダブル4、ツイン3、トリプル1……でいいですか?」

「はい、合ってます」

「よかった」


 赤神は安心したように微笑んだ。


「すごいですね、部屋タイプごとの数も覚えてるなんて」

「ありがとうございます。覚えるのは、得意みたいです」


 それは謙遜でも、自慢でもなくただの事実であるかのように平淡な応えであった。


「じゃぁ、シングルから」


 201号室と書かれた部屋を開け、蛍と赤神は部屋の点検を一緒に行った。



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