三十三泊目 見えない相手
「ねぇ、この日学会やけどさ。予約の入り込み、なぁーんか遅くない?」
「おや、なんだか楽しい予感ですね」
「イヤーな予感しかしませんってぇ、支配人」
ある日の早番休憩時、そんなチーフたちの声が聞こえてきた。
「学会の日ですか?」
「そー」
「黒木くん」
「あ、はい」
「赤神さんとおもてなし係の取り組み、ありがとうございます。特に谷口くんがとても喜んでいましたよ」
「恐れ入ります」
実際谷口は海外からの宿泊客に対し、蛍と赤神が作成したツールを用いて基本の案内はできるようになった。
踏み込んだ質問へは周りを頼ることで、谷口が経験値を積みつつも宿泊客に迷惑を掛けることはなかった。
「もうすぐウェブ会議があるので、そちらの準備もよろしくお願いしますね」
「はい」
近々、各店舗のおもてなし係がウェブ上で集う。
取り組みの共有や、特殊なお問い合わせの例などの共有。あるいは外部の講師を招いて知識の共有。
その時々の織り成す会執行部がプログラムを決めているのだが、今回は取り組みの共有と外部講師の講話の二本立てであった。
「赤神さんの遅番ひとり立ちももうすぐですし、なんだかワクワクしますね」
「ちょっと支配人~。この日雨予報やからぜったい混みますってぇ。ワクワクどころかドキドキですわ」
もう何年も勤めている者にとって、予約の事前入込が多いか少ないかどうかは感覚の問題だろう。
蛍は勤めて四年だが、それでも確かに学会利用の団体客を除いた予約が少ない気がした。
「タクシーの電話だけならいいんやけどねぇ」
「学会で利用の方もタクシー利用されるでしょうからね」
どこかワクワクしている加賀美とは裏腹に、他の者たちは不安に襲われた。
◆
「ネット止めたああぁぁ!?!?」
「
チェックアウトが終わり、チェックインの時間まで比較的来客も少ない時間帯。
事務所では雨音をかき消すような悲鳴が響き渡っていた。
「お疲れさ──うわ」
「大変ですね……」
次から次に掛かってくる鳴りやまない電話。
チーフの日高と松浦が電話に対応し、副支配人の蛯原はなにやらホワイトボードに引継ぎを書き足していた。
「お疲れさま。引継ぎ、ちょっと待ってね」
「はい」
出勤した蛍と赤神も電話対応に加勢する。
蛯原が『昼間に電話が殺到した』旨をホワイトボードに記入した理由がわかった。
「お電話ありがとうございます。クロトホテ──」
『ちょっと! 何回電話かけたと思ってんの!? 出るの遅くない!?』
「お待たせしてしまい、大変申し訳ございません。ただいま電話が混み合っておりまして──」
『そう! それよ! なんでどこのホテルも電話出るの遅いの!?』
(やっぱり市内全体でこうなのか)
海外からの参加者も見かけるほど大きな学会。
毎週出張で利用したり、宮崎という土地に馴染みがない者からすれば、仮に部屋が満室だったとしても電話が繋がらないのはおかしいと思うことだろう。
『都会ならまだしも』という気持ちは、蛍にもよくわかった。
「ご不便お掛け致します。わたくしの予想にはなるのですが、本日は雨模様でタクシー予約が多いことと、市内で大きな学会が行われており当日予約のお電話で混み合っているからだと思われます」
『……じゃあ、なに? 満室?』
「はい。せっかくお電話いただいたところ申し訳ございませんが、本日は──」
ガチャッ。
最後まで言い切る前に電話は切られた。
それについて何かを思う間もなくすぐさま規則的な音が響き渡る。
「お電話ありがとうございます。クロト──」
『部屋空いてる?』
「申し訳ございません、本日はあいにく満室でございます」
機械的にならないよう、声色や抑揚に気を付けて伝える。
『今べつにゴルフの大会とかそういうのないよね? 平日、しかも宮崎なのに……満室? お宅、嘘ついてないよね?』
(疑われてしまった……)
「心苦しいのですが……本日はお部屋タイプに限らず、全館満室でございます」
『なんかあるの?』
「はい。本日は宮崎市内で大きな学会が開催されております。そのため私どもだけでなく、市内のホテルは予約が混み合っているかと存じます」
『へー。……で? こっちは明日、大事な商談があるんだけど? どうしてくれるの?』
「ご要望に沿えず、誠に申し訳ございま──」
がちゃり。
「…………ふぅ」
「大丈夫ですか?」
「いや、赤神さんすごいな。冷静……」
「皆さん、やっぱり学会のことは初耳だったようですね」
「アーティストのイベントは何となく情報見掛けても、学会はなかなか見かけないですもんね」
苦しいな。でも、客は彼らなりに宿が取れないことで焦っている。
その焦りから行き場のない怒りをぶつけているのだ。
宿泊したいと思われていて、そして迎えたいと思っても提供できないこともあるのだ。
「むずかしいなぁ」
小売り業のように商品が宿泊客の手元に渡るわけではない業種。
飛行機の席数のように上限のある部屋は、可視化しづらい需要の元に利用される。
空間という見えないものが商品であるホテル業にとって、おもてなしの前提はホテルを訪れること。あるいは予約が取れること。
心を届けたいと思っていても、時にはそれすらままならないこともあった。
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