九泊目 電話対応と突然の雨


『なにか、ご不明な点はございませんか? ……はい、かしこまりました。それでは七月二十日、木曜日。ご一泊、シングルルーム一部屋。〇〇〇〇様のご宿泊で、わたくし赤神がご予約承ります。当日はどうぞ、お気をつけてお越しくださいませ。…………ありがとうございます。失礼いたします』


(完璧じゃん)


 そろそろマニュアルも終盤。

 クロトホテルでは電話も多くかかってくるため、新人研修の終盤は実際の電話対応とマニュアルでの座学を平行して行っていた。


「空室状況の確認も、予約画面の操作も問題ないみたいですね」

「基本的なところは、そうですね。また不明点があればおうかがいします」

「はい、遠慮なくおっしゃってください」


 赤神は数本の電話を受けたが、いずれも予約の電話であった。

 前職ホテリエ。かつマニュアルを使っての練習もしてきたため、難なく受け答えできていた。


 以前使っていたシステムとは異なると赤神は言ったが、要領は同じのようで難なく使いこなしている。


(今日は木曜日……。チェックインは多いけど、予約の電話は週初めほどじゃないな。ネットからの予約がほとんどだし、トレーニングしながらでも大丈夫そう)


「──あ」

「どうしました?」


 今日の遅番の責任者、チーフの松浦が声をあげる。

 蛍たちが使うパソコンのモニターと背中合わせで備えられたモニター。

 そこから覗き込むようにひょっこり顔を出す松浦は、問いかけた。


「ねぇ、今日って天気予報、晴れからくもりやったよね?」

「そうですね。僕は一応折り畳み傘持ち歩いてますけど」

「外、見てん」

「「?」」


 促されるままに蛍と赤神は事務所内にある窓の外を見る。


「げ」

「降ってきましたね」


 見れば、大雨とはいかないまでも傘を差さなければびしょ濡れにはなる量の雨が降っていた。


「赤神さん」

「はい?」

「覚悟しときましょう」

「?」

「今日はトレーニング……もう、できません」

「??」


 蛍がそう断言すると、赤神は心底不思議そうな顔をした。


「宮崎市の中心ってさ、駅から繁華街までが歩いてだいたい十五分くらいなんやけど。地下鉄とか、地下街みたいなのないからさ」

「……?」

「ホテルってうちだけやないやん? 空港線も都会みたいにあんま本数無いし。時間が近い便で到着したお客様たちが、空港から宮崎駅まで電車やバスでやってきて、それぞれ自分のホテル目指してタクシーを拾う……」

「と同時に、繁華街と離れたホテルに宿泊中のお客様が、夕飯を食べるために繁華街まで向かう。あるいは、うちにご宿泊のお客様が少し遠い場所に用事がある……どちらにせよ、傘をお持ちでない方が屋根のない道を十五分歩かないという話です」


 そう言えば赤神は察した。


「……! タクシーですね!?」

「そう! タクシー争奪戦、始まるぞおおおおぉ!」

「はぁ」


 気が重い。これから起こるであろう修羅場に耐えるため、蛍は水筒のお茶を一口飲んで気持ちを切り替えた。






 それからは内線、内線、たまに外線。

 とにかく電話の嵐だった。

 文字通り雨のように着信音が降り注いだ。


『はい、フロントでございます。……ええ。ただ今、あいにくタクシー会社がどこも一杯のようでして。……はい、わたくし共も掛けてはみますが、お時間は掛かるかと存じます。 ……はい、フロントにて販売しております。かしこまりました。一本ご用意してお待ちしております』


 赤神が受けた内線は、販売用の傘がないかの問い合わせのようだ。


「傘、在庫あとどのくらいだろ」

「この前発注してたから、大丈夫とは思うけど~」

「一応確認してきますね。赤神さん、分からないことがあれば松浦さんに聞いてください」

「はい」


 こういったことを想定して、店舗には貸出用と販売用の傘をそれぞれ置いていた。

 貸出用ははっきりとした色味にクロトホテルの文字。

 販売用は無地のビニール傘ではあるものの、常に在庫を数十本も備えておくくらいには需要がある。


 今日は販売用の傘がよく好まれた。

 明日の天気予報が、朝から雨なのだ。


「あっ、備~えあればぁ~、憂~いなぁしぃ~」

「松浦さん、現実逃避しないでください」


 急に歌舞伎のような口調で歌い始めた松浦を嗜め、蛍はフロントに状況を伝えに行き傘を用意した。


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