八泊目 原点


「お先に失礼いたします」

「お疲れ様でした」


 蛍と赤神が、事務所の出入り口にて挨拶をする。


「お疲れサマっしたー!」

「お疲れ様でした」

「オツカレー」


 主にチェックインを受けることになる遅番の内、蛍と赤神は夜勤の者らが来る一時間前に終わるシフトであった。


「クロさんは、帰りどこか寄ったりするんですか?」


 更衣室に着くと、二人は制服から私服に着替える。

 勤務中よりほんのわずかに砕けた言葉遣いになる赤神は新鮮だな、と思いながらけいは答えた。


「うーん。遅番だと、24時間営業のスーパーで割引の総菜を買ったり、コンビニに寄るくらいですかね?」

「自炊はあまりされないですか?」

「やれて、休みの日くらいですね~」

「ふむふむ」

「赤神さんは? 遅番の日はご飯どうしてますか? なんとなくですけど、自炊もしっかりされるイメージです」

「自炊、しますね。……というか、こちらに来てするようになりました。以前は通勤が車ではなかったので、帰り道に同僚と飲んだりとかもあって」

「あー、宮崎って車社会ですもんねぇ」

「こっちだと飲みに行くとしたら、休み前ですかね」

「そこはやっぱ、都会とはちがうかもですね」


 宮崎の交通事情は都会と比べると大きく異なる。

 地下鉄はなく、電車移動も駅と駅が離れているので都会の感覚とはちがい、長距離の移動をするものと捉えている感覚がある。


 県民の主な生活の足は車。

 主要道路脇にある店は駐車場も広く、特に都会の者がコンビニの駐車場を見るとその広さに驚くことだろう。


「……話ぜんぜん違うんですけど」

「はい?」


 着替え終わった二人が更衣室を出て駐車場へと向かう。

 赤神は、どこかおずおずと話を切り出した。


「クロさんは、学生の頃からホテリエを目指していたんですか? なりたいと思ったきっかけとかがあったんですか?」


 どこか遠慮がちな赤神を安心させようと、何でもないように蛍は答える。


「……僕は元々、旅行業界志望だったんです。学校も、ホテルと観光両方を学べる専門学校で旅行コースを選択していたんですよ」

「! そうでしたか」

「まぁなんやかんや色々あって、結局ホテルになったんですけど……。むしろ天職だなと、今では思いますよ。きっかけというか、こっちでは旅行会社の求人がなかったという感じですね。あって大卒オンリー」

「……」


 蛍は自分を開示する、という行為が苦手だった。

 すらすらと気の利いた言葉の出てくる『ホテリエ』としての蛍は、別の誰かのようだった。

 プライベートで人と関わる際は、当たり障りのない言葉を並べてその場をしのぐ。

 そうして生きてきた。なにせ、存在するだけで機嫌を損ねていたのだ。


「赤神さんは? もともと目指していたんですか?」

「僕は、……」

「?」


 気のせいだろうか。

 赤神はどこか言いづらそうに言葉を濁す。

 スイスに留学もするくらいだ。

 人と接するのが好きだとか、元々興味のある業界だとかいろいろありそうなものだが。


「その……父がもともとホテリエでして。海外でコンシェルジュも経験していたんですよ」

「へぇ! 初耳です」

「まぁ、父に憧れていたのもあるし、もともと英語を使う仕事には就きたいと思っていましたし」

「うちのスタッフで親がホテル業界だった人はいないので、赤神さんのお話は貴重ですね」

「そんなに大した話ではないんですけどね。興味があったことと、たまたま重なる部分があったといいますか。……それで、クロさんと同じです。やっていく内にこの仕事が天職だと思うようになりましたね」

「何事も、きっかけはなんでもいいんでしょうね~」

「ですね」


 完璧な存在である赤神と意外な共通点を見付けた気がして、蛍はどこか安心したような、驚いたような気持ちになった。


「では、また明日」

「はい。お疲れさまでした」


(うおー、カッコいいな)


 国産の赤い乗用車。スポーツカーではないが車高が高くなく、運転好きな者が好みそうなデザイン。それが似合うのもまた、赤神らしい。


(……赤色が好きなんだろうか?)


 赤神との会話は、そのほとんどが仕事に関すること。

 互いに自身に関する話はあまりしたことがない。

 休憩中に休日にしたことや、宮崎の店の話をする程度だ。


 蛍も自分のことを進んで話すタイプでもない。

 仕事柄、推測することにも慣れすぎた。

 赤神自身のことに関して疑問が生じても、それを直接聞こうとはしないのであった。


(こういうとこがなぁ)


 仕事でのお客様とのコミュニケーション。それについてはある程度の自信があるというのに。

 プライベートでの人間関係というものは、どうにも勝手が分からない。


 制服を脱いだ自分を、蛍はどうしても好きになれずにいた。


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