三十五泊目 織り成す


『──以上が、宮崎店からの報告でございます。ご清聴ありがとうございます』


 店舗の課題と取り組み。

 それから直近の事例により改善した報告を、スライドにまとめてウェブ上の会議で発表した。


 特に先日の学会があった日では海外からの宿泊客で、ホテルの利用方法に関する質問をした者はほとんど居なかった。目に見える成果といってもいいだろう。

 団体予約に関しては、引き続き模索していく課題として報告をあげた。


(当たり前だけど日本語も流暢だな~)


 スライド作成は蛍と赤神が協力してまとめたものの、発表は赤神に一任。

 蛍は会議室にて赤神がマイクに向かって話す様子を横に控えて見守った。

 緊張した様子もなく堂々と発表する赤神が、入社間もないホテリエだと気付いた者はどれだけいるのだろう。


『宮崎店の赤神さん、ありがとうございます。それではここで、五分ほど休憩を挟みたいと思います』


 司会を務める者がそう言うと、モニターの小窓に映し出された他店舗の者たちが一瞬「あれ?」とした表情を浮かべる。それもそのはずだ。


「ふう……」

「お疲れさまです」

「ありがとうございます」


 マイクとカメラをオフにし、ペットボトルの水を口に含んだ赤神を労った。

 この後の予定は小休憩を挟んで数店舗の発表を聞いたのち、外部から講師を招いた講話が行われる。


「……にしてもまさか、赤神さんのお父さんが講師だなんて」


 赤神誠一。

 ウェブ会議のスケジュールに書かれた名前は、赤神の父親のものだった。


「俺もですよ。聞いていませんでしたから」

「あはは。まさにサプライズゲストですね」


 クロトホテル側から打診したに違いないが、それにしたってだ。


「父のことはともかく……、この熱量。ほんとうに素晴らしいです」

「ここにいる全ての人が、『おもてなし』について真剣に考えて、店舗で実行してきたわけですから」


 それは何も仕事に限らない。

 アーティストのライブ、スポーツの試合。

 なんらかの熱意を持った者たちが、真剣に同じものを目指して成す。

 その熱量は胸を熱くさせることだろう。


「身が引き締まると共に、頼もしくもあります。同じ想いの人が、同じ会社にこんなにいるだっていうのが実感できるので」

「わかります」


 赤神は真っ黒な小窓たちを見つめて言う。


「どんなお話ですかね」

「ね。俺も、仕事で会うことは初めてなので楽しみです」

「へぇ、初めてなんですね」


 広い会議室。クーラーも入れているというのに、蛍と赤神は期待に胸が熱くなる。


『──では、時間ですので再開いたします』


 司会の男性は、さっそく次に発表を行う店舗の名前を読み上げた。



 ◆



『みなさん、はじめまして。赤神誠一と申します』


(わー……かっこいいー……)


 上半身しか映し出されていなくとも何となく伝わる。

 背筋の良さ、心地よい声音、頼りがいのある雰囲気、優しい目元。

 きちんと整えられた髪、上質なスーツ。

 どこか加賀美にも似た雰囲気を感じさせる男性は、赤神の父親だ。


「父さん、相変わらず若いなー」

「ふふ」


 どこかズレた感想を述べつつ、嬉しそうにする赤神。


(……ん? ていうか、なんかどこかで……)


 赤神誠一をじっと見ていると、加賀美に似た雰囲気を差し引いてもどこか見覚えがあるような気がした。


『本日はこのような素晴らしい場にお招きいただき、感謝いたします。お客様や仲間のためにできることを考え続ける『織り成す会』……、わたくしもとても胸が熱くなりました。……さて、わたくしのプロフィールは事前に資料でご覧になっていらっしゃるかと思いますので、割愛させていただきますね。さっそくですが、一つ皆さんにおうかがいさせてください。みなさんには、『一生の思い出』となるような、感動した出来事というものはございますか?』

「「……」」


 赤神誠一のトークテーマは『ホスピタリティの先にあるもの』だった。


『……この言葉を聞いて、すぐさまあの事だ! と頭に浮かんだ方。お答えいただいた方は、その記憶をどうぞ大切になさってください。わたくしも長年、ホテルやホスピタリティ関係の仕事に従事しておりますが、未だにどれそれと一瞬で断言するにはむずかしいお話です』

「僕もあり過ぎてなのか、無さ過ぎてなのか。一瞬では浮かばないですね……」

「私もです」

『……と、いうのも人間の記憶は断片的なものです。……すこし言い方を変えましょう。過去ホテルに宿泊した際、ホテリエにしてもらって感動したこと。これならどうでしょう? ……ほんの少し心が動いた場面というものを限定的にしてあげると、なんとなぁく思い出しやすくなるのではないでしょうか』


(たしかに)


 大量の記憶の引き出しを片っ端から開けて『一生の思い出』を漠然と探すよりも、『ホテル』で感動した場面とインデックスを設けた方が思い出しやすくなる。


『それもそのはずです。一例ではありますが、一生の思い出で挙げられる多くは結婚、出産、あるいは家族旅行、恋人との記念旅行、学友との卒業旅行。人間のライフステージに基づいたものほど記憶に残りやすい。鮮烈な記憶というのは、自分が体験したことが大前提。それに人生の節目が結びつけば、まちがいなく記憶に残ることでしょう』

「そう考えるとビジネスホテルって……、人生の節目で関わる機会は少ないですね」

「……そうですね。考えられるのは受験や旅行での利用でしょうか」

『……ですが、もう一つ。一瞬で脳裏に蘇るような、そんな一生の思い出としてよく耳にするものがあります』

「「?」」

『好きなものです』


 蛍と赤神は、分かったような分からないような。そんな表情で互いの顔を見合わせ、再びモニターへと視線を戻した。


『大好きな俳優の方と会えた。大好きなアーティストのライブに行った。大好きなテーマパークに足を運んだ。特に五感すべてで体験したこと。きっと、よい思い出になりますよね』

「あー……僕だと、大好きなゲームの十年振りの新作を発売日に買いに行った、とかですかね。たしかにわりと覚えてるかも」

「私は納車の日でしょうかね」

『ホテルの性質上、人生で必ずしも訪れる場所かどうかはわからない。まして世には多くのホテルがございますから。そもそも自分のホテルを利用してもらえるかなんて、誰かの人生の一編において奇跡のような確率です。ホテリエは、その奇跡のような確率で出会った皆さまとひと時を過ごす。本来出会うはずのなかった方々と』

「「……」」


 そう改めて言われれば、蛍はとても稀有な仕事に就いていると思った。

 訪れる者の多くは県外や国外からの宿泊客。

 自分が外に飛び出したわけでもないのに、異なる文化や習慣の者たちと出会う機会があるのだ。


『そんな方々に自分たちのホテルを真っ先に思い出していただくにはどうすればいいか。……そう、好きになっていただく。ファンになっていただく。そうして、人生の一部に加えていただくこと』


 今や『ホテル』とネット上で検索するだけで、多くのホテルを一覧に見ることができる。

 選択肢が増えていくばかりの時代の中で、クロトホテルの名を覚えてもらう。

 それだけでも相当なものだ。


『わたくしは詳しくないのですが、最近の言葉でいいますと『推し』と言うのでしょうか? お客様にとってのそれに、なりたいですよね』

「推しホテル、いいですね」

「言い方が今っぽい」

『……では、お客様にとっての推しホテルになるにはどうすればいいのでしょうか。それは全てのホテルにとっての課題であり、目標です』


 選ばれるホテルになるには。

 ハイクラスだろうがビジネスだろうが、形態は関係ない。

 たくさんある中の特別になるには、どうすればいいのだろう。

 蛍にも誰にも、答えは分からない。


『わたくしはこう考えています。徹底することを当たり前に続けていくこと。……こう聞くと、簡単そうに聞こえますよね』


(徹底することを、当たり前に……続けること)


 なんとなく赤神誠一の言いたいことが蛍には分かった。

 言葉で言うのは簡単だが、それはとても難しいことだ。


『難しいことであるのは皆さんの方がご存知のはずです。お客様にホテルを好きになっていただく要素はいくつもあると思います。ホテルの外観、内装、設備、立地といったハード面から、ホテリエの感じのよさ、ポーター、コンシェルジュサービスといったソフト面。あるいは料金、好きな作品とのコラボルームといった要素まで。思いつく限りでも相当な数です。これらを全て、時流やお客様のご意見を汲んで徹底するのは、果てしないことのように思えてしまいます』

「立地とかはもう、どうにもできない部分ですしね」

「ですね。それこそ、好きになっていただいて。例えどこにあっても足を運びたいと思っていただく他ないですよね」

『……でも、逆に言えば。それらが全て徹底されていたら……どうでしょう? 『そこまでやるのか!?』といった、驚きの感動が生まれると思います』

「完全に、【俺たちの考える最強のホテル】だ……」

「ふふ」

『人材育成一つにとっても、例えばクロトホテルはマニュアルの更新を随時行っていらっしゃると聞きました。新しい店舗が増えたらすぐに店舗数を書き換えるような。マニュアルの徹底。それはお客様からは見えない部分です。それすら手を抜かない。その徹底力はホテリエの自信となり、いつかお客様に還元される。……本当に素晴らしいとわたくしは思います。一歩ずつでいいんです。完璧であるかは問題ではありません。常連のお客様の名前をすぐに覚えられなくとも、前回お話した内容さえ覚えていればそれだけできっと喜んでいただける。その次に繋がるような期待感を生む姿勢を好きになっていただく。ホテルもホテリエも、取引先の方々も。皆さんの姿勢を、好きになっていただく。ファンになるって、そういうことだと思います』

「姿勢を好きになってもらう……か」

「我々も人間ですので完璧超人ではありませんが……しかし、お客様のために何ができるかを考え続ける。それは、重要ですよね」


 織り成す会の存在はその最たるものだ。


『日本でよくサービス業の境地として挙げられるテーマパークも、非日常の徹底。それが、お客様の心をとても掴んでいると思います。徹底力が生んだ、そこに行けば絶対に楽しい、嬉しい気持ちになるという安心感にも似た期待。季節のイベントや新規イベントでサプライズ感も味わえます。本来お客様には選ぶ権利がある。多くの中から選ばれるのには、わけがある。もちろんわたくしも様々なホテルに宿泊するのが趣味ですので、新規開拓というのも楽しみの一つです。大事なのは名前を憶えていただき、選択肢の一つに挙がること。そのためにお客様一人一人と向き合い、仲間と助け合い、自分が楽しく生き生きと楽しむ。言うは易く行うは難し、でも──応援したくなる姿というのは、なにもゴールに到達した姿だけではないでしょう』


(そうか……)


 ホスピタリティ。おもてなしの心。

 誰かをもてなしたい。歓迎したい。

 相手は今、なにを感じているのか。

 どうすれば喜んでもらえるのか。

 どう言えば、伝わるのか。


 そんなことを考えながら宿泊客と接するホテリエ。


 蛍にとってそれらは自然にできるものだった。

 元は母親の機嫌を損ねないよう、気持ちの先回りをして行動をすることが常だったからだ。しかし、それが相手の喜びを願う心からもたらされるものとなり、蛍は仕事を楽しいと思えるようになった。

 ホスピタリティの先にあるものは宿泊客の幸せ。

 では、その先は──?


「? どうしました、クロさん」

『ホスピタリティの先にあるものを、常に思い描きながらお客様を元気にお迎えくださいね。声にならない声に、耳を傾けていきましょう』


 赤神の方を見る。


「いや。ホテルってチームワークが大事ですよねって。僕だけホスピタリティマインドあってもどうにもならないっていうか」

「なんです急に。当たり前じゃないですか」


 宿泊客はもとより、自分も、仲間も、何もかも。

 幸せであれ。



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