十六泊目 チキン南蛮と夕日


「甘い香りがする」

「甘酢、いいですよね」


 蛍と赤神の目の前に用意されたのは、チキン南蛮。

 鶏肉が一枚丸っと揚げられ、それがトンカツのように縦に切り分けられている。

 上から掛かる白いタルタルソースはとろりとしていて、肉の側面から落ちそうで落ちない。

 肉の下からは控えめにサラダが顔を覗かせており、ボリューム満点の一皿だ。


 宮崎料理といえば必ず名前が挙がるであろうその料理。

 蛍は赤神のためにと、特にチキン南蛮で有名な洋食店を訪れた。


「宮崎の人って、やっぱりよくチキン南蛮食べるんですか?」

「ん~どうでしょう? おれはよくスーパーの総菜で買うから食べますけど。自分で作るのは、ん~……唐揚げとかと同じ頻度? 一人暮らしはそんなにですかね」

「お惣菜では定番なんですね」

「弁当屋さんとかも、定番メニューですね~」


 蛍は自分のチキン南蛮歴を思い起こしながら言った。


「ここのは、ゴロゴロしてないんですね」

「ゴロゴロ?」

「なんと言うか、もも身のぶつ切り? 唐揚げみたいになってて……」

「ああ、そうですね。ここのは鶏の胸肉ですからね」

「へえ」

「店や各家庭でソースが違ったり、甘酢に工夫したり……意外といろいろ種類ありますよ。まあ共通して言えるのは、全部美味しい」

「ふふ、なるほど」


 チキン南蛮のルーツには諸説あるものの、元々は鶏の胸肉を使用したまかない料理が起源。現在は食感のいいもも肉が使用されることも多々ある。


「じゃ」

「いただきます」


 ナイフとフォークも用意されているが、箸もある。

 蛍は箸を、赤神はナイフとフォークを使って早速チキン南蛮を一切れ口元へと運んだ。


「──んまっ」

「あま!」


 蛍が慣れた様子で口を動かせば、赤神は噛んだ瞬間わずかに驚いた。

 チキン南蛮に染み込んだ甘酢が思っていたよりも甘めだったらしい。

 驚きつつも赤神はそれを平らげた。


「宮崎の料理って、けっこう甘めの味付けって言いますよね」

「暑いからですかね?」

「どうでしょう? インドも、チャイティーとかめっちゃ甘いらしいですよね」


 これも地域性なのだろうと思いつつ、蛍は先にサラダを平らげてチキン南蛮、たまにライスを口に頬張った。







「食べたー」

「お腹いっぱいですね」


 店を後にした二人。辺りはすっかり陽が傾き、西の空が赤い。


「大淀川、夕日綺麗に見えるんですよ」

「いいですね」


 今いる場所から二人の家までは、大淀川に掛かる橋を渡らなければならない。

 これ幸いと蛍は赤神に、宮崎の隠れた名スポットを教える。


「逆方向ですけど、見といてくださいね」

「はい」


 北から南に車を走らせると、助手席側の赤神からは若干見づらい。

 蛍は赤神に右手を見ておくよう念押しつつ運転した。


「──ほら」


 市街地の道路に沿って進むと、橋へと差し掛かる。

 宮崎県と鹿児島県の一部を通り、日向灘ひゅうがなだへと注ぐ雄大な川。

 宮崎県を代表する河川と言ってもいい大淀川に掛かるいくつかの橋は、宮崎市の交通の要と言ってもいいだろう。

 車、人、あるいは電車、汽車。あらゆるものが川を渡る。


「……、すごい」


 そんな一部となった蛍と赤神。

 西──蛍たちにとって右手の方を見れば、何にも遮られない陽の光が日中とは違う色を纏い、徐々に遠くに見える山々へ沈もうとしている。

 届いた光は街を、人を、宮崎市を橙色に染め上げ、大淀川の水面に道を描くよう東へと伸びた。


 二人が渡る橋は同じ市内に掛かるものだというのに、水面の光は扉のようにも見え別世界へと誘っているかのようだった。


「明日も頑張ろうって、思えるんですよ」


 何てことはない日常の一コマ。

 帰宅する者、これから出かける者、市民にとって当たり前の光景。


 ただ、当たり前というにはあまりにも綺麗で幻想的な光景は、何の変哲もない日々が輝かしいものに思える。


「正直、宮崎って都会みたいに何でもあるわけじゃないですけどね。おれは結構好きですよ」


 陸の孤島とも比喩される土地。

 だが蛍にとって長年住んでいても知らないことは多くあり、とても興味の惹かれる土地でもあった。

 それは別に、宮崎に限った話ではないのだろう。

 蛍にとってはたまたま宮崎であった。それだけだ。


「今日、楽しかったです。ありがとうございます」


 そしてそれは誰かと共に過ごすとまた違った景色になるのだと、蛍は一日を通して改めて気付いたのだった。


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