第二十五話 雪原で待ち受ける者

「おはようございます、施設長。最近は薄い本を献上できなくて、まったく申し訳ありません」

「ミハル・カザハナ、君はそんなことを気にしていたのか。私なら問題ない。いざとなれば、自らアリアケ、マクハリ、イケブクロ、ナカノに出向くだけだ。君は君の使命を果たしたまえ」


「僕の、使命……。施設長はなぜ記憶採掘官になったのでありますか?」

「愚問だな。……薄い本のためだ! 君はどうなんだ? 君はどうして記憶採掘官になったんだ?」


「それこそ愚問ですよ。エロのためです」

「よく言った。それがまだ君の心を突き動かしているのなら大丈夫だ。……頑張れよ、ミハル・カザハナ」


 ああ、オリアナさん、僕、一生あなたの部下でいたいよ。

 だけど、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。

 誰だ。感動的な師弟の会話を邪魔するやつは。


「あ、フレーリン先輩、おはようございます」


 アンセルム先輩だった。僕じゃ勝てない。無理。


「おはよう、カザハナ。ところで施設長もカザハナも、記憶採掘官の使命はそうではないはずですが?」

「え?」

「え?」

「え? ……あー、仕事。施設長もカザハナも、仕事をしましょう。仕事をすれば思い出しますよ、きっと」


「あ、マンディス施設長。言い忘れておりましたが、次回の採掘は西之島周辺で実施する予定です。屋外採掘の申請は本日中に行ないます」

「未踏領域か。死なないようにな。それから距離が遠い。申請内容の是非を判断するのに時間がかかりそうだから、早めに出すように」


 自分の作業ブースに入った僕は、早速、屋外採掘の申請書を作ろうと西之島までのルートを調べるが、どうにも距離が遠い。PwFが近くの父島まで船を出すこともあるようだが、それも一か月に一度か二度で、一般人の立ち入りが禁止されているくらいだから、通常の移動手段はない。

 そうなると、お店も休憩所もない中、スノウビートルで旧小笠原海嶺を走るルートしかなさそうだ。しかも、丸三日かけて父島、そこからほぼ西の方向の西之島へ向かわなければならず、無事に辿り着けるかどうかも怪しい。


「はっはっはー! 困っているようだな少年!」

「二十三歳なので少年じゃないです」

「細かいことは気にするな、少年!」


 いきなりブースのドアを開けて、高笑いするオリアナさんが入ってきたではないか。いや、入ってきてはいないな。絶妙に通路との境目を越えていない。


「あの、困っているのは確かですけど、何の用ですか? あと、覗いてたんですか?」

「少年が困っていたら覗きたくなるものだ。気にする事はない」


 くっ……。この人、なんて曇りのない目をしていやがるんだ。


「……それでご用件は?」

「おお、西之島への移動の件なんだがな、民間の空中機動船、つまり飛行カーゴシップなどをチャーターしてみてはどうかと思ってな」


「でも、お高いんでしょう?」

「そうだ。高いし、カルイザワブランチの予算からは出せないぞ」


「自腹は流石にちょっと……」

「ノン! 君にはアトランティエ・ラヴクラフトという強力なお財布……、げふんげふん。強力なクライアントがいるじゃあないかあ。君に西之島を採掘するよう唆したのも、どうせあの魔女なのだろうから、利用してやればいいのさあ!」


「流石は二級記憶採掘官殿です! 早速相談してみます!」

「おいおい、私に惚れるなよ? 私に惚れていいのは二次元のイケメンだけな――」

「あ、ドア閉めますね」


 オリアナさんのお陰で、目の前がにわかに開けた気分だ。早速、アトランティエさんに連絡してみよう。

 えーと、忙しいだろうから音声通信じゃなくてテキストメッセージで、送信っと。返信が来るまで必要な機材のリストアップを……


 ポッポー、ポッポー


 今ではほとんど見掛けることがなくなった鳩の鳴き声。

 その通知音とともに、リーフィのホログラムモニターから浮かび上がったのは、アトランティエさんからのメッセージだった。

 異様に早い。

 やはりアトランティエさんくらい忙しい人になると、文字入力も達人の域なのだろう。

 内容はオリアナさんの予想よりも少し条件が良いもので、スノウビートルに乗ったまま輸送できる財団所有の飛行カーゴシップを手配する、というものだった。西之島を指定した時点でそのように言ってくれれば良かったのにと思わなくもないが、これも何か思惑があってのことだと考えれば納得……いや、うーん、どうなんだ?

 だけど、これで未踏領域の調査が現実的になったと思えば、胸も躍るというものだ。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 翌朝、アンセルム先輩立会いの下にカルイザワブランチから持ち出す物品の確認をする。ファル助、スノウビートルの使用権限のダウンロード、多針スタンガン、何かに使うかもしれない麻袋、何かに使うかもしれない丈夫なロープ。それらをスノウビートルに詰め込み、先輩の「気を付けろよ」という言葉を背に受けて、財団指定の待ち合わせ場所へ向かう。

 だが、カルイザワブランチからやや離れた場所にある少し開けた雪原には、飛行カーゴシップらしきものは見当たらなかった。

 見えるのは浅間山と林、そして雪原に佇むサンタクロース。そいつは、腕組みをしてじっとこちらを睨むように見ていた。


 僕の頭に屹立する二つの思考。

 一つは脳みその容量を奪い尽くさんばかりの巨大なクエスチョンマーク。

 もう一つは、あれが財団の職員だという不思議な感覚。

 僕はそれを確認するためにスノウビートルを前進させる。

 ……近づくにつれて明らかになるのはそのサンタクロースの異様さだった。

 ぼてっとしているはずの体型は、服の上からでも分かるほど分厚い筋肉で構成されている逆三角形ボディ。白く長い立派なヒゲはなく、無精ひげが口の周りを覆い、優しいはずの目許にはいかついサングラスがかけられていて、殺気しか感じられない。


 こんなサンタクロース、嫌だ。子供が泣いちゃうよ……。


 目の前の光景を表現するのであれば、殺意を溢れさせたアンセルム先輩がサンタのコスプレをした挙句、何故か先回りをして待ち構えていた、そんな印象である。

 だが、アンセルム先輩から果たし状は受け取っていないし、叩きつけられてもいない。こっそり背中に貼られたりもしていないはずだ。だから僕は直感を信じた。謎のラヴクラフト財団の職員だという直感を。


「おはようございます。RSCの三級記憶採掘官、ミハル・カザハナです」


 スノウビートルを降り、身長二メートルはあろうかという、巨大な筋肉の塊を見上げて挨拶をするや否や、ゴツンという鈍い音が聞こえ、そして気を失った。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「ふが!? ……サンタ!? サンタ! サンタさんどこ!? プレゼントもらわなきゃ!」

「マスター、落ち着いてください。サンタクロースは既に絶滅しています」

「そっか、絶滅しちゃってたんだっけ……ってそうじゃない。ここ、どこ?」


 目を覚ました僕はどうやらスノウビートルの運転席に座っていて、窓の外には金属製と思しき壁が見えた。


「ここはラヴクラフト財団が所有する飛行カーゴシップの格納庫です」


 そうか。

 もう、後戻りはできないんだ。

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