第九話 エスタン村にて
✿✿一日目。ヴィクトル・ボージョン✿✿
僕の名前はヴィクトル。
のどかなエスタン村で木こりをしている。
大昔はこの村も観光客で賑わっていたらしいけど、今、この村に訪れるのは風変わりな旅人か、国の役人さんくらいなものだ。
あ、そう言えば先月は、聞いたこともないところの人が来て、村で説明会を開催したんだった。なんだったっけ? クレイドルとかいうのを村に建てたいから、だったかな?
ところが前に開かれた説明会では、僕の頭が悪いのか、さっぱり分からなかった。ここいら一帯が少し温かくなるというし、とても大きな木が立つというのが気になって、一応は賛成している。
だけど、もう少し分かり易く説明してくれないかな。今日、参加する説明会では、少しは簡単になっていることを期待するばかりだよ。
うん……?
あれは役人さんと、もう一人は猟師のドナさんだな。二人でこそこそと何を話しているんだろう?
ドナさんが公然と反対して、説明会で騒ぐから説得でもされているのかも知れないなあ。
さて、今日の見回りも無事に終わって家に着いた。何事もないのはいいことだ。
説明会までのんびりと……
コンコン
うーん、寛ぎたいのにいったい誰だろう?
はいはい、今、開けますよ。
……やあ、アンナじゃないか。何か用かい?
なに? 一緒にクレイドルの建設に反対しないかだって?
いくら幼馴染の君の頼みでもそれはできないな。自分の頭で考えて判断するよ。僕も大人だからね。
あ、もうそろそろ出かけないと説明会に間に合わない。アンナ、たまには集会所まで一緒に歩こうじゃないか。
なんだい、もじもじしちゃって。幼馴染なんだから、いまさら照れることはないだろうに。
――ああ、そういう仕組みだったんだ。
今日のネージュさんの説明はとても分かりやすいなあ。時間が経つのもあっという間だよ。
うわあ。
ドナさんがまた大声で騒ぎ始めてしまったよ。恐いなあ。
隣のアンナなんて、すっかり怯えてしまっているよ。
アンナ、今日はもう帰ろうか。
膝が震えて歩きにくい?
じゃあ、僕がおんぶしてあげるよ。遠慮しないで。
……どうしてまたもじもじするんだい?
この村で数少ない幼馴染なんだから、照れてないで大人しく僕におんぶされたらいいよ。
ね?
**二日目。アンナ・マレ**
私の名前はアンナ。
このエスタン村に一軒だけの洗濯屋で働いているわ。
今日も元気に預かった洗濯物を干していたら、マダム.コルニュを先頭に説明会で見たネージュさんと役人の……、確か、マチューさん、だったかしら。それから名前を聞いたけどすっかり忘れてしまったラヴクラフト財団の人が二人、合計五人がぞろぞろと歩いているのを見かけてしまった。
あの人たちはきっと、マダムを誑かして悪いことをしようとしているんだわ。そのための下調べをしているのよ。
そうなったら、お仕事なんてしていられるものですか。あとをつけて悪事の現場を押さえてやるんだから。説明が上手な人なんて大体が詐欺師なのよ。
「君、ずっと尾行してきているけど、いったい何のつもりだ。すぐに帰りたまえ」
ぐ……、私の尾行に気付くなんて、この役人、……そうだ、マチューだ。マチューという男もなかなかやるわね。いかにも仕事が出来ない雰囲気のくせして。
「まあまあ、ドリーブさん。いっそのこと、その子にも村を案内してもらったらいいんじゃないかしら?」
「そうよねえ。ネージュさんの言う通りだわ。アンナ、あなたも一緒に来なさい」
さすがマダム。その通りよ。私が近くでインチキを見抜いてあげますから、安心して下さいね。
――おかしい。
休憩しながらもうかれこれ三時間は村の中を歩き回っているのに、全然しっぽを出さないなんて。
おかしなことなんて、遠くからドナさんが見ていたことくらいだわ。
ヴィクトルなんかは、私を見つけた途端に手を振ってくるし、ほんと、恥ずかしいからやめてほしい。
そうそう、何も無い村はずれの丘に行ったときに、ネージュさんが「ここがいいわね」って言ってた。木も草もろくに生えてない丘の何がいいのかさっぱりだわ。
そう言えばもう一つ気になることがあったわ。
あのマチューとかいう役人がネージュさんを見るときの、あの目。
あれは明らかに恋をしている男の目だ。
ネージュさんって見た目四十代で、マチューは二十代前半ってところ。
つまり、二十歳差。
いい、実にいいわ。
マチュー、あなたの恋はこのアンナが見届けてあげる。だから、思い切りぶつかって砕けてみせるがいいわ。
**三日目。アンナ・マレ**
今日はネージュさんが来てから二回目の説明会。今度こそ文句を言ってやる。昨日のことで絆されたりなんかしてないんだから。
ドナさんは、今日は来ていないわね。よし。
と、意気込んだものの、ネージュさんの説明は一昨日と同じで、やはりとても分かり易い。
しかも今回は[テンイ]というクレイドルの一部を触らせてくれた。とても軽くて薄くて、そして本来はほぼ透明なのだとか。
これは到底、私の知識で揚げ足をとれるものではない。
昨日のこともあるし、私も賛成しようかしら。
✿✿一日目。二日目。三日目。マチュー・ドリーブ✿✿
「初めまして、ムッシュ.ドリーブ。しばらくの間、よろしくお願いいたします」
初めて彼女を見たとき、私の体を電気が走った。それくらいの衝撃だった。
資料によれば五十歳とのことだったが、年齢などどうでも良い。
短く切り揃えられた美しい黒髪に、均整の取れた柔和な顔のパーツ。
これが東洋の美というものか。
このような美しい女性が、ごく一部の粗暴な反対派から傷つけられることなど、黙って見ていられようか。
説明会まであと二時間もないが、暴れないように説得しにいかなければ。アイコウさんは私が守るのだ。
「うるせえ。政府の役人どもの言うことなど、誰が聞くか」
ああ、駄目だった。出入り禁止にするにも、彼は大声でわめくだけで、人や物を殴るわけではないから、実績が足りない。それに、全員にきちんと説明をしたいというマダム.コルニュの方針にも反することになる。
やむを得ないが、見守ることしかできないのが現実なのだ。
それにしてもアイコウさんの説明のなんと素晴らしいことか。実にすんなりと私の心に入ってくるではないか。
「――馬鹿なことを言うな! その金だって、俺たちが払った税金なんだぞ! そんな言葉に騙されてたまるか!」
ああ、例の人物が予想通り、大声でわめき始めてしまった。こうなればもう、あれしかない。
「えー、本日の説明会はここまでとします。ここまでです! 皆さん、気を付けてお帰り下さい!」
どうだ。中止にしてやったぞ。
これで暴言を吐き続ける理由を消し去れたが……、マダム.コルニュが恐ろしい形相でドナを叱り始めてしまった。
けれど、アイコウさんたちを避難させるなら今のうちだ。
「さあ、あとはマダムに任せて、我々も退出しましょう」
「そう、ですね。ありがとうございます」
私に向けたその微笑みの、なんと控えめで可憐なことか。
そうだ。彼女とお近づきになるには、あの方法があるじゃないか。
その日の夜、私は秘密裏にある人物を訪ねて、とある依頼をした。これが成功すれば、アイコウさんともっとお近づきになれることだろう。
翌日、クレイドルの基幹技術の建設候補地を、マダム.コルニュの案内で午前中から見て回った。
それにしても、途中からちらちらと視界に入り込んでくる、あの娘はいったいなんなのだ。これでは私の計画に支障が出るおそれがある。現にドナ氏は遠くから見ているだけではないか。
「君、ずっと尾行してきているけど、いったい何のつもりだ。すぐに帰りたまえ」
帰れ帰れ、とっとと帰れ。私の計画を邪魔するんじゃない小娘。
「まあまあ、ドリーブさん。いっそのこと、その子にも村を案内してもらったらいいんじゃないかしら?」
は!? 私の聞き間違いか? いやしかし、この私がアイコウさんの言葉を聞き違えるはずがない。
「そうよねえ。ネージュさんの言う通りだわ。アンナ、あなたも一緒に来なさい」
よりにもよって、マダム.コルニュまで。
おお、なんということだ。
結局、ドナ氏は遠くから見ているだけだったじゃないか。
そして三日目。
アイコウさんとしては二回目の説明会。ラヴクラフト財団としては五回目となる説明会の日。
彼女は一昨日の説明会と同じように、実に分かり易く説明を行なっている。その顔たるや、こういうときは東洋では菩薩様のようだ、と形容するのだろう。
しかし、アンナとかいう昨日の小娘が、最初、険しい表情で聞いていたから、何か企んでいるのではないかと思ったが、[テンイ]のサンプルを触った途端に随分と表情が柔らかくなった。
分かるぞ。君もアイコウさんに恋、しちゃったんだな。
❄――✿ 用語 ❄――✿
【ラヴクラフト財団】
2550年頃に突如として歴史の表舞台に現れた科学技術集団。
【バルバラ・コルニュ】
エスタン村の村長。高齢女性。クレイドルの建設に賛成している。
【マチュー・ドリーブ】
クレイドル建設のためにフランスの中央政府から派遣された役人。二十代前半の男性。
【ネージュ・アイコウ】
ラヴクラフト財団の上席研究員。中年女性。
【ドナ・ブコー】
エスタン村の住民。クレイドルの建設に反対している。中年男性。
【ヴィクトル・ボージョン】
エスタン村の住民。木こり。クレイドルの建設に賛成している。十代後半の男性。
【アンナ・マレ】
エスタン村の住民。両親の経営する洗濯屋で働いている。クレイドルの建設に反対していたが賛成派に転じた。十代後半の女性。
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