第三章 西暦2548年 アメノミハシラ

第八話 バルバラ・コルニュ

✿✿一日目。バルバラ・コルニュ✿✿


「ようこそお越しくださいました。マダム.ネージュ・アイコウ、ムッシュ.マチュー・ドリーブ。エスタン村を代表してお二人を歓迎しますわ」

「再びお会いできて光栄です、マダム.コルニュ」

「初めまして、バルバラさん。今回はよろしくお願いします」


 ――私の名前はバルバラ・コルニュ。


 フランス中央高地アヴェロン県のエスタンという村で村長をしている。

 豊かな水と山野に囲まれ、フランス一美しいとまでいわれた風光明媚なこの村も、気候変動による景気の悪化により、すっかり経済が衰えてしまった。けれど、そのような環境でも、幸いなことに農林牧畜関係は大した影響も受けず、慎ましいながらも、食べるものには困らない豊かな生活を送ることができていた。

 ではなぜ、私の目の前にフランス政府の役人であるマチュー・ドリーブと、ラヴクラフト財団などという聞いたこともない団体のエンジニアたちがいるのか?


 話は少し遡るのだけれど、或る日、農業食糧大臣を始めとした共和国政府の偉い方々が、ぞろぞろと村にやってきて私に言ったのだ。『祖国のための実験に協力してほしい』と。

 実験とは何か? もちろん、そんな口のきき方はしていないのだけれど、何の実験をするのかと訪ねれば、『マダム.コルニュ、巨大なパラプリュイでエスタン村を彩るための実験さ。さぞかし華やぐことだろうね。大昔のヴァレリー・ジスカール・デスタン閣下もきっとお喜びになるはずだよ』と不器用なウインクをしながら仄めかしたものだった。


 このご時世に大規模なアートを行なう気概がまだあったのかと、そのときは二つ返事で承諾したものだけれど、後日になってムッシュ.ドリーブと、彼と一緒に挨拶に来た財団のエンジニアから聞いた話では、アートのことではないそうだ。

 アートでないのなら巨大なパラプリュイとは、いったい何だったのか。これまでに聞いた話を総合するなら、それはクレイドルと呼ばれる巨大な構造物のことだった。


 さて、これ以上、村の大事な客人を待たせるわけにはいかないわ。きちんと接待をしなければ、ね。

 それにしてもネージュ・アイコウのお顔は、どこかで見たことがあるわね。いったいどこで見たのかしら? たしか、髪の毛もショートボブの黒髪だったような……


「ところでマダム.アイコウ。あなたは、日本か中国か。アジアの方の血が入っているようね」

「あら。分かりますか」


「ええ。……あれはまだ氷期が本格化する前、私が花も恥じらう乙女だった頃かしら。この村にもアジア系の人が住んでてね、とは言っても一か月だけだったのだけど、あなた、その人にどこか似ているわ」

「まあ。そうだったんですか。確かに私には日本人の血が流れております」


「やっぱりそうなのね。すっかりお婆ちゃんになってしまったけれど、まだまだ私の推理は冴えているわね」

「……んっんっー」


 久し振りに外の女性との会話を楽しんでいるというのに、あの政府の小役人と来たらわざとらしく咳などして私の楽しみを奪おうとするのだ。許せないわ。


「マダム.コルニュ、そろそろ本日の説明会の打ち合わせを行ないませんと」

「あらまあ、そうだったわね。でも、必要な説明はもう、あなたが済ませているのではなくて? ムッシュ.ドリーブ」


「え? ええ、勿論ですとも、マダム」

「ほらね。そういうことなら、私はもっとマダム.アイコウとお喋りを楽しみたいの。老い先短いお婆さんの楽しみを、邪魔しないで下さるかしら?」


 そうすると、この優柔不断の塊のような癖毛で目元が弱い男は、途端に居住まいを正して私に言うのだ。


「ほら、あの、えーっと、最近の村の皆さんの様子はどうですか? 賛成が多いとか反対が増えたとか」

「あらそうね。それはもっともだわ。あなたもそういうことが言えるのね」


 ネージュ・アイコウが説明するのは、今回が初めてだ。村人にどういう傾向があるかだけでも説明するのは悪くない。


「マダム.アイコウ。いいえ、ネージュさんとお呼びした方がいいかしらね?」

「ええ、構いません」


「ありがとう。なんだかあなたとの距離がぐっと縮まった気がするわ。それでね、これまでの説明会のことなんだけど、ほとんどの住民が大人しく聞いていたわ。最後まで黙って聞いていて、そして質問もしなかった。それから、お恥ずかしいことに一部だけど騒ぐ人間がいるの。情報はこんなところで大丈夫?」

「マダム.コルニュ。アイコウさんなら問題ありません。大丈夫です」


「ムッシュ.ドリーブ。私はネージュさんと話していたのよ? どうしてあなたが答えるの?」

「……」


 マチュー・ドリーブはすっかり黙ってしまったが、女同士の会話に割り込んでくる男など、大抵ろくなものではないのだから、そのままずっと黙っていてほしいものだ。


「あのマダム。私はもちろん大丈夫です。説明会で色々言われるのはいつものことですから」

「あなた、それはダメよ。文句を言われることに慣れてしまっては絶対ダメなのよ。いいこと? 文句を言ってきた相手には倍以上に言い返しなさい。徹底的に、ぎったんぎったんに。分かった?」


「ぎったんぎったんですね」

「そうよ、ぎったんぎったんよ」


「分かりましたわ、マダム。私、やってやります」

「ええ、その意気よ」


 そうして、私たちは石造りの村役場を出て、すぐ隣の集会所へと場所を移した。説明会の開始まではあと二時間弱。

 集会所へ着くなり、彼女――ネージュさんはお付きの二人の技術者に指示を出しつつ、自身もテキパキと機材の準備を進めていた。

 優柔不断な小役人はきっと準備を手伝うだろうと思っていたのだが、着いて早々に別件で用事があるとかなんとか言って、集会所から出ていってしまった。そうして説明会の開始三十分前にようやく戻ってきた頃には、どうも気落ちしていたようだから、上役か何かに怒られでもしたのだろう。フランス政府も、もっと気の利く人間を寄越してくれれば良いものを……


 それはともかくとして、説明会での彼女の説明はとても分かり易く、頷きながら聞いている住民が非常に多かったように見えた。全住民に対して三回に分けて行なう説明会の最初がこれなら、きっとみんな分かってくれるに違いないわ。

 あの気が利かない小役人もうっとりして聞いているもの。


 だけど、ああ。ドナの奴め。なんてこと。いかにもな難癖を付け始めてしまったじゃないの。


「あの、このクレイドルとかいう技術ですけど、こんな巨大なものどうやって建てるんだ?」

「それについては、当財団の機密事項に当たりますので、詳細にお答えすることはできませんが、導入が決まれば、皆さんが見ている前で建ててご覧にいれます」


「つまり、嘘ってことだな」

「嘘ではありません。実験に成功しています」


「嘘をつけ! 今すぐにここで見せられないから、適当なことを言っているだけなんだろ! 俺たちを騙して金を巻き上げようたって、そんなことは許さねえぞ!」

「私たちはフランス共和国政府から代金を頂きますので、あなた方からは一切頂きませんよ」

「馬鹿なことを言うな! その金だって、俺たちが払った税金なんだぞ! そんな言葉に騙されてたまるか!」


 もう見てられないわ。ここは私が二、三発引っぱたい……


「えー、本日の説明会はここまでとします。ここまでです! 皆さん、気を付けてお帰り下さい!」


 私がドナを引っぱたく前に説明会を終わらせるなんて、気が利かないなんて思って悪かったかも知れない。

 しかし、以前の説明会でも聞く耳をもたなかったドナをこのままにしておくことは、私が許さない。


「こら! ドナ坊!」

「ひゃあ! バ、バルバラさん……」


「子供の頃から話はちゃんと最後まで聞くように言ってきたのに、どうして聞けないの! いい加減にしなさい!」

「だけど、だけどさぁ」


「だけども何もあるものか! 今日という今日は引っぱたいてやる! ケツを出しな!」

「そ、それだけはやめてくれよ。俺だってさぁ」


 そう言うとドナはいかにも気落ちした様子で集会所から出ていってしまった。

 そんなにお尻ぺんぺんされるのがいやだったのだろうか。

 いい年をした大人なのに困ったものだわ。



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【ラヴクラフト財団】

 2550年頃、突如として歴史の表舞台に現れた科学技術集団。


【バルバラ・コルニュ】

 エスタン村の村長。高齢女性。クレイドルの建設に賛成している。


【マチュー・ドリーブ】

 クレイドル建設のためにフランスの中央政府から派遣された役人。二十代前半の男性。


【ネージュ・アイコウ】

 ラヴクラフト財団の上席研究員。中年女性。


【ドナ・ブコー】

 エスタン村の住民。クレイドルの建設に反対している。中年男性。

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