第七話 くそったれ
「こちら特任大使タデアシュ・メテルカ。付与された高官権限に基づき、統治AIチトーに相談権を行使する」
翌日、私は停戦条件の見直しについて、我が国の政治を司る人工知能チトーの意向を確認することにした。元より大統領を通して全権を委任されているのだから、わざわざこんなことをする必要はないと思う者もいるかも知れないが、わが国では大抵の政治的なことは彼に相談をしなければならない決まりになっているのだ。
かく言う私も、彼の推薦によって今の使命を与えられた身である。その判断が正しかったのか間違っていたのかは、まだ分からないが、少なくとも公務員の端くれとして、国のルールは尊重しなければならない。
もっとも、相談の内容は大統領にも通知され、チトーが可としたことでも、大統領が否と言えば、実行できないのだが。
『よく来た、特任大使タデアシュ・メテルカ。何を相談したいのかね?』
大使館の大型モニターにかつてのユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズを模した顔が浮かび上がり、借り物の声がスピーカーから再生される。
「現在、北アフリカ同盟と行なっている、和平を見据えた停戦交渉ですが――」
そうして私は現在までのザイヤート氏の公式な主張と本音を説明した上で、こちら――マケドニア連合共和国の主張するクレタ島の返還云々といった条件を、これこれこのように変更したいが、どう思うかとぶつけてみた。
『うむ、うむ。このまま戦争が長引けば、我が国の国力が大きく損なわれることは目に見えておる。北部アフリカ同盟が仕掛けてきた戦争とはいえ、現状はこちらに分がある。当初の条件も悪くはないが、我が国の未来を考えれば得策とは言えまい。よって、先ほどの条件であれば、間違いなく向こうも承諾し、早期の和平につなげられるであろうな。その方法で進めたまえ』
「畏まりました」
『他に、相談はあるかね?』
「いえ、ありません。ありがとうございました」
お礼を言うと、大型モニターに映し出されていた顔は予告もなく消え去り、ただの置物に戻った。
さて、チトーとの相談で一つ分かったことがある。
「こちら、ブライダに特命で赴任しているタデアシュ・メテルカです。内務省AI政策管理局のマルチナ・シムコヴァーさんをお願いします」
私はそれを確認するため、内務省に勤める旧知に電話をかけた。
「はい、シムコヴァーです。久しぶりね、メテルカ特任大使殿」
「すまないが、そういう皮肉は苦手でね、早速、用件に移りたいのだが」
「そう、相変わらずつまらない男だこと。まあ、いいわ。わざわざブライダから掛けてくるんだから、重要な話なんでしょ?」
「その通りだ。実は――」
「――その話、本当?」
彼女は私の話を時おり相槌を打ちながら聞いていたが、最後の反応はひそひそ話のように小さな声になっている。
「本当だとも。だから、過去七年間のログを全て洗いだして欲しいんだ。君なら簡単だろう?」
「簡単に言ってくれるわね。当然、出来るわ。この私でも何日かかかるけどね」
「何日くらいだ?」
「あなたねえ、人にものを頼むときはもう少し丁寧に言えないの? ……ふぅ。……四日。四日はかかる」
「分かった。よろしく頼む」
その翌々日、チトーに相談した停戦条件について、大統領府の判断は〈否〉だった。戦争継続を訴える国民が大多数だのなんだのと書かれているが、意地でも当初の条件で交渉をまとめるようにとの、つれない返事だ。このまま戦争を継続することが国家の破綻につながるということに、大統領府が気付いていない可能性すら邪推してしまう。
それにしても、半ば想定していたこととはいえ、実際に〈否〉を突き付けられるのは、精神的にこたえるものがある。だが、まだまだ時間はある。早いに越したことはないが、成し遂げてみせようではないか。
―― ❄ ――― ✿ ――
「ええ、そうです。はい。……はい。ですので、非公式な折衝はこれまで通りに続け、正式な交渉の再開についてはもう少し待って頂きたい」
本音を言えば、全権を任された交渉の担当者同士が一刻も早く停戦をしたいと望んでいる現状、世論や本国など無視してしまいたいところではあるのだ。けれど、まだ時は成っていない。
もう少し。もう少しで時は成る。
私の予想が正しければ、今日の昼過ぎにもシムコヴァーから届くであろう吉報によって、国内世論を変えることが出来るのだ。
そうなれば、大統領府も条件を変えざるを得ないだろう。
ああ、そのときが待ち遠しくてしょうがない。
早く、早く、早く。
逸る気持ちを弄ぶかのように、ただ時間は進み、十四時を過ぎても彼女からの連絡は来なかった。
だが、十五時に差し掛かる少し前、執務室にビービーと耳障りな音が響き、大型モニターにビデオ通話の着信を知らせるメッセージが表示される。
すわ待望のものかと反射的に思ったのだが、しかし、この音は違う。
この耳障りな音は本国からの緊急入電の音だ。
「入電許可」
このようなタイミングで緊急の用事となれば、尋常なものではないだろう。果たして大型モニターに映し出された瘦せっぽちの外務大臣の目は落ちくぼみ、いつにも増して生気を失っているように見えた。
「タデアシュ・メテルカ特任大使。緊急事態が二つ発生した。よく聞き、適切に判断するように」
「は!?」
「君の疑問に答えている時間はない。一つ目は汎アラブ連合がパキスタンと共にインドに宣戦布告した。ブライダが攻撃される可能性は高い。速やかに帰国するように。二つ目は――」
二つ目はなんだっただろうか。あまりにも現実離れしていて聞き取れなかった。いや、耳には確かに入っていたのだが、私の頭に入ってこなかったのだ。大臣はそんな様子を察したのか、何度か繰り返してくれたように思える。それも思い込みかも知れないが。
それでも緊急の指示であったことに変わりはない。
私は急いで北部アフリカ同盟のブライダ事務所へ音声通信をかけた。
「私は、マケドニア連合共和国大使のタデアシュ・メテルカだ。火急の要件につき、ザーヒル・ザイヤート殿へすぐに繋いでほしい」
そうして待つこと一分か二分。長いような短いような時間に私は呼吸を整える。緊急だからこそ、冷静に伝えるためだ。
「やあ、我が友メテルカ殿。火急の用件とは物々しいが、実は私も君に伝えなければならないことがあるのだ」
「そうですか。では、私の方から手短に。我がマケドニア連合共和国は北部アフリカ同盟構成国の主要都市に向け、核弾頭を搭載したミサイルを発射したことを通告します。着弾予定時刻は十六時三十分とのこと」
「そうか。お互い辛いことだな」
「お互い、と言うと……、まさか」
「貴殿の想像の通りだ。我が北部アフリカ同盟もマケドニア連合共和国の主要都市に向けて、核弾頭を搭載したミサイルを発射したとの連絡が……、待て。このサイレンはなんだ!?」
「サイレン? 聞こえませんが」
「そちらは窓を閉め切っているのだろう。窓を開けてみるといい」
そう言われて窓を開けてみれば、外には確かにサイレンが鳴り響いていた。
「これは、空襲警報……、いや違うな」
しかし、サイレンの意味はすぐに分かった。私は、サイレンから遅れて小型の広域ネット端末に流れ始めたメッセージを凝視した。
〈ただちに地下シェルターに避難せよ。インドが我が国の主要都市に向けて核ミサイルを発射したと発表。着弾予定時刻は十六時三十分。繰り返す――〉
「……友よ。今は一刻も早く避難することが最優先だ。停戦の話はこのくそったれな状況を生き延びてからにしようではないか」
それからのことはよく覚えていない。
無我夢中で職員と妻子、それから緊急時のアクセスキーを持って、大使館の地下に作られたシェルターに避難した。
着弾予定時刻の前後には一度か二度、大きな揺れが起こり、狭く密閉されたカプセルのような空間で妻子を抱きしめて何とか自分を保った。
こんな恐ろしい経験は、もう二度とご免だと、何度も何度も思いながら。
―― ❄ ――― ✿ ――
翌日、朝六時のアラームで目が覚めた。
いつの間にか眠っていたらしい。
起きていた職員とともに、備蓄品と機器の動作状況を確認して回る。
外の線量計も問題なく作動しているようで、一千ミリシーベルトを示していた。もしかしたらと淡い期待も持っていたが、やはり生身で地上に出ることができる数字ではない。
二日目。シェルターの端末に繋がれた広域ネットワークの回線が限定的にではあるが、使えることが分かった。しかし、本国にはつながらなかった。本国も多くの被害が出ていることが伺える。
あれから一週間経った。
過去の資料によれば、一週間も経てば人間が活動できるレベルまで放射線量が下がるとのことだったが、未だに五百ミリシーベルトを超えている。
あれから二週間経った。
放射線量は下がらず、いつ終わるか分からない閉鎖空間での生活が続いている。食糧と空気はあと三週間はもつだろうが、妻と娘はすっかりと痩せてしまった。職員たちの中にも、どうも怪しい者がいる。早く外に出られることを願う。
三週間目。
ようやく五百ミリシーベルトを下回るようになった。
最近気が付いたのだが、大昔の無線アンテナの通信機械があり、周波数を調整すれば近傍の同じような境遇にある人々と会話が出来る。これにより、妻と娘の顔に生気が戻ってきたのはいいことだ。
けれど、少し前に精神に異常をきたした職員の命は、もう戻らない。
四週間目。
放射線量がついに二百ミリシーベルトを下回った。
何部屋かあるとは言え、シェルター内には既に腐臭が漂い始めていたから、実にありがたい。シェルターの頑丈なハッチを職員と交代しながら手回しで開け、外へ踏み出す。
久し振りに見た太陽の光に目を細めながら、一歩二歩と、ざらざらとした地面を歩き、溶けた鉄のような臭いに鼻を曲げれば、目の前に広がっていたのは瓦礫の山と化した町だった。
そこにかつてのブライダの面影を見ることは到底できない。
けれど、今は妻子とともに生き延びることが出来たことを喜ぼう。
同時に、夢を抱きながらもシェルターで自ら命を絶ったザイヤート氏のことを悼み、私は空に向かって、何度も何度も、声が枯れるまで叫ぶのだ。
「くそったれ! くそったれどもめ!」
+-+-+ records over +-+-+
――発掘サレタ乙類KTJ-16817330664000163374号文書ノ復元及ビ再生ガ完了シマシタ。
――コノ記憶ヲ廃棄シマスカ?
ハイ
>> イイエ <<
❄――✿ 用語 ❄――✿
【汎アラブ連合】(Pan Arab Coalition。略称PAC)
2205年にイラン、イラク、サウジアラビアが中心になって設立した、比較的緩い協力体制。
マケドニア連合共和国と北部アフリカ同盟を始めとした戦争については、中立を貫いており、各国の外交活動の場ともなっている。
ブライダはサウジアラビアの地方都市だったが、気候変動の影響により、旧来より生産していたレモン、オレンジなどの柑類類や小麦などの穀物生産量が大幅に増加した。
2517年、中国の要請に基づき、パキスタンと共にインドに宣戦布告を行なったが、直後、主要都市が核ミサイルによって壊滅的な被害を受けた。
【北部アフリカ同盟】(North African Economic and Military Alliance。略称NAEMA)
2200年、第四次世界大戦の気配が漂ってきた頃、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドによって締結された経済・軍事協力同盟。
マケドニア連合共和国およびNATOと戦争を行なっていたが、実質的に動いていたのは、リビア、チュニジア、アルジェリアの三か国だけである。
2517年、マケドニア連合共和国の核ミサイル攻撃により、その三か国の主要都市は壊滅した。
【マケドニア連合共和国】(United Republic of Macedonia。略称URM、または、マケドニア)
2401年に成立した、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)とアルバニア、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ジョージア、およびこの物語の世界でポーランドとイランによって分割統治されていた旧トルコ地域からなる他民族連合国家。
2510年、NAENAからの宣戦布告を受けて、主にリビアと戦争を行なっていた。
2517年、リビアの核ミサイル攻撃により、多くの都市が壊滅した。
【タデアシュ・メテルカ】
ブライダのURM臨時大使館に赴任した若き外交官。
映画俳優もかくやと思わせる長身の好青年だが、妻子もおり、色恋沙汰には興味がない。
停戦合意の糸口をつかむために、ザーヒル・ザイヤートと個人的な接触を繰り返し、友人のような関係になった。
AIチトーとのやり取りから、URM大統領の不正を疑う。
ブライダ駐在時にインドの核ミサイル攻撃を受けるが、シェルターに逃げ込み、妻子共々生き延びた。しかし、避難中にザーヒル・ザイヤートが亡くなったことを知り、悲しみに打ちひしがれた。
【ザーヒル・ザイヤート】
停戦交渉のため、ブライダにあるNAEMA事務所に駐在しているNAEMAの外交官。
タデアシュに「岩のよう」と評された、厳つい見た目をしている。
個人的には、早めに停戦をしなければならないと考えており、NAEMA首脳部の方針には疑問を持っている。
ブライダ駐在中にインドの核ミサイル攻撃を受け、シェルターに避難したが、自国の行ないに憤り、絶望して自ら命を絶った。
【統治AIチトー】
URM設立後、数年で設置された政治向け高性能AI。
全ての政策や国の方針、法改正等は、チトーに相談してから実行に移され、または廃案になる。
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