第六話 非公式会談

 顔合わせから一週間後、汎アラブ連合の立ち合いの無い、非公式な会談をザイヤート氏と行なった。


「Mr.ザイヤート。私の提案を受け入れて頂き、ありがとうございます」

「こちらこそ。お互いの腹を割って話さなければならないだろうと思っていたところだ」


 正直、ザイヤート氏がのってくるとは思っていなかったのだが、彼はすんなりとこちらの招待を受け入れた。

 そのことで、まずは懸念していたことの一つがただの杞憂だったと分かり、私は安堵する。


「ブライダはもう長いんですか?」


 今日は交渉ではない。相手の人となりを確かめるのが目的だ。だから、当然のように世間話をしなければならない。何事も、目的に合わせた会話が必要なのだ。

 ザイヤート氏がこの会談を何に利用するかは分からないが、私の目的はともかくそういうことだ。


「……そうだな。かれこれ七年になる。メテルカ殿はどうだ?」


 七年、と言われれば頭に浮かぶのは、やはり開戦のことなのだが、それをここで口に出すのは、無粋ぶすいというものだ。


「私は、今日で二週間ですね」

「そうか。ここはいいところだろう?」


「ええ、本当に。食べ物は手軽に手に入りますし、本国と比べると、気候も随分と過ごしやすい」

「ほんの五十年前まではここが荒地に囲まれた町だったというのだから、自然というのは実に気紛れだ」


「リビアも昔は乾いていたそうですね」

「その通りだ。メテルカ殿はよく勉強しているな」


「それほどでもありませんよ。当然の知識です」

「そうかも知れないな。……そして地球規模の寒冷化によって大気の流れが変わり、十五年ほどで食糧生産の主役が中東やアフリカ北部に移った。この次はどこに移ると思う?」


「あなたはリビアの食糧生産がいずれ落ち込むと思っているのですね?」

「そうだ」


「そんなことを私に話してしまっていいのですか?」

「構わないさ。少し考えれば誰にでも分かることだ。それに、隠せるものでも、隠すようなものでもない」


「ああ、そういうことなんですね」

「そういうことだ。さて、今日は有意義な話ができたと思っている。この会談はこの後も?」


「もちろんですとも。Mr.ザイヤート」

「そうか。それは楽しみだよ、メテルカ殿」



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 北部アフリカ同盟首脳部の思惑とは違うようだが、ザイヤート氏が停戦に前向きなことは、前回の非公式会談でなんとなくは分かった。だから、その後の公式な場での交渉が二回とも平行線で終わったとしても、それは些細なことだった。……あの御仁が役目を降ろされない限りは、であるが。

 その間にも本国の意向は変わることなく、クレタ島の返還とリビア本土にある三つの港湾都市の領有化はまだかと、再三再四にせっつかれる始末だった。

 そういう考えも理解できなくはないのだが、私の使命は、あくまでも停戦をなすことが第一なのである。統治AI[チトー]と大統領から全権を託された私に、催促するような真似は慎んでもらいたいものだ。

 とは言え、このままでは何の進展もないことは事実だ。遠く太平洋の戦線は一進一退の攻防が未だに続いているそうであるからして、その方面からは難しいだろう。


 ……何か、忘れているような気がする。

 はて、何を忘れているのだろうか。停戦交渉に関わることは間違いないと思うが……。

 ああ、そうだ。二回目の非公式会談だ。

 ザイヤート氏も楽しみにしていると言っていたのだから、一席設けなければ大変に失礼だ。これは緊急に準備をしなければならない案件だ。幸いにして、ブライダのマーケットでは手軽に、とは言えないが、誰でも食材と酒を購入することが出来る。

 ここは大使館のシェフに腕によりをかけさせて、ザイヤート氏の心を開かせる食事会でも開かねば私の気が収まらない。

 配給券が必要な本国の状況からしてみれば、随分と贅沢なことに聞こえるかも知れないが、これで停戦に必要な情報が聞き出せるのであれば、実に安いものではないか。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「仮初の我が家へようこそ。Mr.ザイヤート」

「今日はお招き頂きありがとう。何が出てくるのかとても楽しみだ」


 ザイヤート氏の顔は相変わらず岩のようにごつごつとしているが、今日は少し柔らかそうにも見える。


「念のための確認ですが、ハラルだけ、ということはないですか?」

「問題ないよ。君のことだから私のことも調べているのだろう?」


「ええ、その通りです」

「そうでなくてはな」


「今日はマーケットで購入した食材を、当大使館付きの一流シェフが腕によりをかけて調理し、提供いたします。是非、最後までご堪能下さい」

「そうさせてもらうよ。そうそう、私からの手土産だが、生憎とリビアには酒がなくてね、事務所にあった招待客用のワインを失敬してきた」


 よほど楽しみだったのか、そういうザイヤート氏の顔はもはや岩などと形容して良いものではなく、子供のような表情を見せ始めていた。

 しかし、この状況。大使公邸とは言うが、大使館とは渡り廊下でつながっていて、ほとんど大使館と一体化している。そのようなところに一人でのこのことやってくるのだから、ザイヤート氏はよほど肝が太いのか、あるいはよほど停戦したいのか、どちらかだろう。もちろん、会食の誘いを断るのは失礼だという文化で育ってきた可能性も排除はできない。


 けれど、それはやはり停戦したいとの思いからくるものだった。

 私とザイヤート氏、それから黙々と調理と配膳をこなす初老のシェフ。最初のうちは静かなものだったが、時間が経つにつれて酒も進み、私も彼も、どうにも口が緩くなっていた。

 私もザイヤート氏も二言目には、戦争なんぞろくでもない、早く戦争を終わらせないと財源が持たない、本国の連中は何もわかっていないなどと、周囲に漏れでもしたらろくでもないことになるようなことで意気投合したものだった。


「メテルカ殿。貴殿はあれを読んだことはあるかね?」

「あれ、とは?」


「あれだよ、あれ。貴殿でも分からぬか。うーむ」

「流石にあれだけでは分かりませんな」


「おお、思い出した。確かイワン、いや、ケントだったか? イギリスの探検家の話だよ」

「ああ、イアン・ケンドールですね。察するに、冷え始めた世界を自分の足で確かめたイアンの探検日記のことでしょうか」


「そうそう、それだよ。やはりメテルカ殿は博学だな」

「いえ。ところでその本がどうかされましたか?」


「あの本には、太平洋で漂流した挙句、吹雪に守られた常春の楽園に流れ着いたという話があってな。もしその話が本当なら、我らも人工的に吹雪を起こして広大な楽園を作り、このような下らない戦争を一刻も早くなくしたいと思うのだよ」

「あの話でしたら私もよく覚えておりますが、吹雪の内側が楽園などというのは、いかにもお伽噺のようで、イアン・ケンドールの作り話なのではないかと思っています」


「ふむう。やはり貴殿でもそう思うか」

「しかし、夢はありますな。そのようなことが実現出来れば、煩わしいことこの上ない停戦交渉などやらずに済んだものをと、私は常々思うのです」


「貴殿がそれを言うようでは、そちらの首脳部にも困ったものだな。ところで、老人の戯言だと思って、もう一つ話を聞いてくれんか?」

「調印式がないのであれば、いくらでも」


「ふはは。実を言うとな、そちらやNATOと停戦し、さらに和平までなったら、その次のステップも必要なのではないかと考えておる」

「ふむ? 次のステップとは? 生憎と見当もつきませんが」


「そのようにしてうまく話を引き出そうとでも思っているのだろうが、私はそんなことなど関係なく話すぞ」

「それは重大な機密漏洩ですね」


「そうだ。これは私の最重要機密事項でな、和平の後は我らの北アフリカ同盟、そちらのマケドニア連合共和国、それからここ汎アラブ連合、最後はEUも巻き込んだ国際協力組織を作ろうと思っておるのだ。その際には是非、貴殿にも参加して欲しい。どうだ?」


 ザイヤート氏の構想を聞いて、私は目頭に熱を感じた。酒に酔っているせいもあるかも知れないが、富める立場にある者が協力を口にしたのだ。今後十年か二十年かで、北アフリカ同盟諸国の食糧生産量が急激に悪化することも、当然、考慮してのことなのだろうとは思うが、自分と同じようなことを熱をもって考えていた人物が、目の前に現れたことに感動したのだろう。

 私は迷うまでもなく「是非に」と返事をした。


 この交渉はきっと成功する。きっと成功させなければならない。



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【汎アラブ連合】(Pan Arab Coalition。略称PAC)

 2205年にイラン、イラク、サウジアラビアが中心になって設立した、比較的緩い協力体制。

 マケドニア連合共和国と北部アフリカ同盟を始めとした戦争については、中立を貫いており、各国の外交活動の場ともなっている。

 ブライダはサウジアラビアの地方都市だったが、気候変動の影響により、旧来より生産していたレモン、オレンジなどの柑橘類や小麦などの穀物生産量が大幅に増加した。


【北部アフリカ同盟】(North African Economic and Military Alliance。略称NAEMA)

 2200年、第四次世界大戦の気配が漂ってきた頃、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドによって締結された経済・軍事協力同盟。


【マケドニア連合共和国】(United Republic of Macedonia。略称URM、または、マケドニア)

 2401年に成立した、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)とアルバニア、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ジョージア、およびこの物語の世界でポーランドとイランによって分割統治されていた旧トルコ地域からなる他民族連合国家。


【タデアシュ・メテルカ】

 ブライダのURM臨時大使館に赴任した若き外交官。

 映画俳優もかくやと思わせる長身の好青年だが、妻子もおり、色恋沙汰には興味がない。

 停戦合意の糸口をつかむために、ザーヒル・ザイヤートと個人的な接触を繰り返す。


【ザーヒル・ザイヤート】

 停戦交渉のため、ブライダにあるNAEMA事務所に駐在しているNAEMAの外交官。

 タデアシュに「岩のよう」と評された、厳つい見た目をしているが、戦争をするよりも協力をすべき、という思想の持主である。

 できる限り早期に停戦をしなければならないと考えており、NAEMA首脳部の方針には疑問を持っている。


【統治AIチトー】

 URM設立後、数年で設置された政治向け高性能AI。

 全ての政策や国の方針、法改正等は、チトーに相談してから実行に移され、または廃案になる。

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