第二章 西暦2517年 タデアシュ・メテルカ

第五話 タデアシュ・メテルカ

 ――西暦2517年、【汎アラブ連合】の地方都市ブライダ。

 草原に囲まれた空港に【マケドニア連合共和国】からの定期客船が到着した。

 直方体と言っても過言ではないその船からは、一般客がぞろぞろと絞り出されるように出てくる。

 その中にあって異彩を放つのは、仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ三十代半ばと思しき一人の男。

 タラップをとんとんとんと降りるだけでも、実に絵になる均整の取れた体格に、嫌味の無い容貌。草原を駆け抜けてきた風が彼の頭のフェドラハットソフト帽を無邪気に攫おうとすれば、それを押さえる仕草も映画のワンシーンのようである。

 しかし、空港外のロータリーで彼とその妻子を出迎えたのは、映画の撮影スタッフではなかった。

 手入れが行き届いた光沢のある自動車。色は薄い水色と白が上下に配されたツートンカラーである。そして、フロントバンパーの両脇には、それと同色の旗が立てられていた。

 清潔感の漂う白い手袋をした運転手が車を降り、彼に恭しく頭を下げる。


「よくお越しくださいました。職員一同、大使とそのご家族の到着をお喜び申し上げます」


 大使と呼ばれたこの伊達男の名は、タデアシュ・メテルカ。

 特命を帯びてブライダに派遣された、マケドニア連合共和国の若き外交官である。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 さて、どうしたものか。

 本格的な交渉に入る前に、軽く牽制だけでもしておくかと思ったのだが、目の前の男はどうにも難物で、挨拶の後にいきなり主張をぶつけてきた。それも、今までと全く同じ主張を、だ。汎アラブ連合の立ち合い人も、愛想笑いが崩れかけてしまっているではないか。

 それにしても、このような見た目も心も話し方ですら岩みたいな男を交渉担当に選ぶとは、向こう――【北部アフリカ同盟】は、停戦をする気があるのだろうか。

 もっとも、有利な条件で手を打ちたいというのは、我々マケドニア連合共和国も同じなのだが。


「あー……、Mr.ザイヤート。我々としては、そちらが占領しているクレタ島の無条件の返還、および、こちらが占有しているベンガジ、アルバイダ、トブルクの領有を認めて頂かない限りは、到底、停戦には合意できせん」


 私がそのように主張すると、岩のようなザーヒル・ザイヤートは、口だけを動かしてやはり、北部アフリカ同盟の主張を繰り返した。


「メテルカ殿。それはこちらも同じことだ。先ほどの条件を承諾して頂けないというのなら、とても停戦などできない」

「しかし――」


 その後も言葉を交わしたが、そもそも予定していた時間が短かったこともあり、腹の探り合いもせず、ただ噛み合わない平行線の主張をするだけで終わった。

 だが、ザーヒル・ザイヤートが最後に投げかけたあの言葉。


「君は本当に停戦したいのかね?」

「その為にここにいます」

「そうではない。君がだよ」


 岩のような人物だと思ったが、これがザーヒルという男のやり方なのかも知れない。

 この交渉には恐らく長い時間がかかるだろう。

 彼の情報も集めておかなければならないな。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 状況を整理しよう。

 我々マケドニア連合共和国は、西暦2510年に北部アフリカ同盟から宣戦布告を受け、戦争状態に突入した。

 開戦初期にギリシャステイトのクレタ島が占領され、また、こちらは北部アフリカ同盟の構成国であり、同盟軍の中心の一つでもあるリビアのベンガジ、アルバイダ、トブルクを占領した。

 以来、地中海の上で激しい戦闘を繰り広げているが、戦線は膠着状態である。

 同盟軍のもう一つの中心であるエジプトが参戦していれば、今頃、本土まで攻め込まれていたかも知れないが、彼の国は汎アラブ連合を警戒しているようで、開戦早々に我が国と争う意思は無いと表明している。

 他の構成国ものらりくらりと躱しているようだ。エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドの構成十か国のうち、地中海の北側と戦争をしているのは目下のところ、リビア、チュニジア、アルジェリアの三か国だけである。

 地中海の北側、と言ったが、チュニジアとアルジェリアの二か国は、主にNATOを相手に立ち回っている。これは開戦当初、北部アフリカ同盟が我が国と一緒にイタリアにも宣戦を布告したことが大きい。


 大昔のNATOであれば、チュニジアとアルジェリアの二か国程度なら圧勝とはいかなくとも、余力を残して勝てたことだろう。しかし、寒冷化に突入して以降、ヨーロッパ諸国は衰退著しく、食糧生産も経済もアフリカ北部が主導権を握りつつある。

 そのような状況では軍備や兵士たちにかけられる予算も少なく、スペイン、フランス、イタリアの沿岸部は、北部アフリカ同盟によって制圧されつつある状況だ。

 そして、西ヨーロッパ諸国が苦境に立たされているのにはもう一つ理由があった。

 それはこの戦争の原因にもなっているアメリカと中国の戦争だ。

 西暦2510年に太平洋で発生した大規模の衝突はそのまま宣戦布告の無い戦争に突入し、アメリカはヨーロッパ戦線に軍を派遣できる余力を失ってしまったのだ。

 我が国は中立を決め込んでいたのだが、元々リビアと国境での小競り合いが多かったことが原因か、はたまたNATOとの協力関係に目を付けられてしまったのか。理由はともかくとして、恐らく中国側の要請により、同国と関係が深い北部アフリカ同盟が、NATOおよびマケドニア連合共和国と開戦するに至ってしまった、というわけだ。


 さて、戦争の発端がそうであれば、北部アフリカ同盟、というよりリビアの首脳部はいったいどこを落としどころに考えているのだろうか。

 始めるのは簡単だが、終わらせるのが非常に困難なのが二十世紀以降の戦争というものだ。

 まさか本気で我が国やNATO諸国を降伏せしめることができるとは、考えていないだろう。もし仮に本気で占領を考えているのだとすれば、今の状況は理屈が通らない。開戦前の根回しをもっと入念に行なうだろうし、数が足りない場合にはそもそも戦争など諦めるはずだ。

 だというのに、たった三か国で戦争を仕掛けている。

 つまり、太平洋戦線へ援軍を送られないように妨害して欲しいと、中国が北部アフリカ同盟に要請した。そう考えるのが妥当だ。

 そして、北部アフリカ同盟には食糧のアドバンテージもある。どれだけ時間がかかろうとも、先に折れるのはNATOだと、そういう打算もあったかもしれない。

 本当は、同じように中国と関係の深い汎アラブ連合が我が国に攻め寄せる計画もあったらしいが、幸いにして汎アラブ連合は、七年経った今でもだんまりを決め込んでいる。


 話を戻そう。

 落としどころはどこか、という話に。

 アメリカと中国の戦争に決着がつくまでともかく続ける、という考えでは停戦の道はない。詰みだ。

 では、中国に義理立てしただけで、本当はさっさと戦争を終わらせたいと思っているとしたらどうだろう。食糧生産能力が著しく低下した土地を占領したところで、北部アフリカ同盟諸国には大したメリットもない。加えて、砂漠化した地中海では漁も満足にできず、その上、空中機動船もあるのだから、わざわざ港湾部を支配する意味も薄い。


 つまり、中国への義理を果たさせる形にした上で、お互いの占領地をどうするか詰めれば良いのではないだろうか。そして、もう、七年も殺し合いをしているのだ。ここで切り上げたとて、十分に義理を果たしていると言えるのではないだろうか。



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【汎アラブ連合】(Pan Arab Coalition。略称PAC)

 2205年にイラン、イラク、サウジアラビアが中心になって設立した、比較的緩い協力体制。

 マケドニア連合共和国と北部アフリカ同盟を始めとした戦争については、中立を貫いており、各国の外交活動の場ともなっている。

 ブライダはサウジアラビアの地方都市だったが、気候変動の影響により、旧来より生産していたレモン、オレンジなどの柑橘類や小麦などの穀物生産量が大幅に増加した。


【北部アフリカ同盟】(North African Economic and Military Alliance。略称NAEMA)

 2200年、第四次世界大戦の気配が漂ってきた頃、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドによって締結された経済・軍事協力同盟。


【マケドニア連合共和国】(United Republic of Macedonia。略称URM、または、マケドニア)

 2401年に成立した、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)とアルバニア、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ジョージア、およびこの物語の世界でポーランドとイランによって分割統治されていた旧トルコ地域からなる他民族連合国家。


【タデアシュ・メテルカ】

 ブライダのマケドニア連合共和国臨時大使館に赴任した若き外交官。

 映画俳優もかくやと思わせる長身の好青年だが、妻子もおり、色恋沙汰には興味がない。


【ザーヒル・ザイヤート】

 停戦交渉のため、ブライダにあるNAEMA事務所に駐在しているNAEMAの外交官。

 タデアシュに「岩のよう」と評された、厳つい見た目をしている。

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