第十四話 艦影

 我が国はNATOに加盟していないが、協力関係にはある。

 大統領府からの発表はまだないが、俺が遠く太平洋に動員される可能性もないわけではない。


「ねえ、あなた。死んでしまうの?」

「死なないよ。戦地に動員されることもない」


 だから妻はもう、すっかり口数が減ってしまった。俺がいくら「太平洋に派遣される可能性はないんだから悲観するんじゃない」と言っても、妻の表情は暗いままで、もう彼女には離れ離れになる未来しか見えていないんじゃないかとすら思えた。

 妻の影響によってか、二人の子供も元気がないように見える。

 だから、中央政府にははっきりと、それも早く対応を決めてもらいたかったのだが、結局、俺が哨戒警備任務に戻るまで政府の発表はなく、その間もアメリカと中国の戦闘は拡大していったのだ。

 その空気感というものは、当たり前のように俺の哨戒艦の中にも持ち込まれていて、実にやりにくい。部下たちも軍人なのだから、政府の発表まで悲観するんじゃない、というのは甚だ的外れとしても、いつ声がかかってもいいように心構えをしておけ、くらいのことは言っても良かったのかも知れないが、


「うおーい、みんなー。いつも通り国境パトロールに行くぞー」

「イエッサー」


 言えなかった。俺には家族がいて、部下たちにも家族がいる。祖国や家族を守るわけでもない上に、命を散らすかも知れない戦場に送り込まれるというのは、俺もいやだ。行きたくない。娘の頬っぺたをずっと愛でていたい。だから、気の抜けたことしか言えなかった。それでも部下の返事はいつもと同じように聞こえたから、なんとなく安堵してしまった。


「本日は他の三班と一緒に三隻編成でパトロールするよー。当然、俺のふねが旗艦ね」


 たまに忘れそうになるけれど、俺の階級は分隊の中で最も高い少佐だった。そう思うと、どうして佐官クラスの俺が現場で小さめのふねに乗って指揮を執っているのかと、疑問を抱くこともあるが、何か特別任務だとかいう特別感に騙されたからではなかったか。

 覚えていないからきっと些細なことだったのだろう。いや、二階級も昇進させてやると上官に吹き込まれたせいではなかったか。

 それで、冗談ではなくて本当に中尉から昇進させてくれて、だが、給料が上がったのはいいものの、書類仕事が馬鹿みたいに増えて、二階級昇進などに釣られなければ良かったと思ったのだった。

 そうだ、思い出したぞ。そんなことも日々の退屈な任務で忘れてしまっていたんだ。


「燃料確認」

「燃料確認。残量九十九パーセント。問題なし」

「銃火器等射出弁動作確認」

「銃火器等射出弁動作確認。問題なし」

「電圧確認」

「電圧確認。異常なし」

「視界およびモニター確認」

「視界およびモニター確認。視界良好。外部カメラ及びモニターいずれもクリア」

「気圧確認」

「気圧確認。内気圧外気圧ともに正常」

「友軍間暗号通信および機動リンク確認」

「友軍間暗号通信および機動リンク確認。全てのプロトコルは正常に動作中。異常なし」

「浮上開始」

「浮上開始。計器類オールグリーン。異常なし」

「オートパイロットモード起動」

「オートパイロットモード起動。全艦オールグリーン。直ちにパトロールプログラムを起動します」


 椅子の背に体を預けながら、カリトンの点呼に従って乗組員たちが粛々と発艦を進めていく様子を眺めていた。よく訓練された、とても小気味良い流れである。

 そう言えば、リビアは今回、いったいどう対応するのだろうかとふと思う。

 あの国はNAEMAに加盟していて、NAEMA諸国は伝統的に中国と仲良くやってきた。中国と軍事同盟を結んではいないものの、急遽手を結び、アメリカ本土を狙う可能性もあるのではないだろうか。そうなるとURMは……。うん、この話はやめよう。何があろうとも、我々軍人は政府の命令に従うまでのことなのだから。


「リビアの空中機動艦がレーダーの範囲内に入りました」


 こうしていつも通り、パトロールをしていれば良いのだ。その間にアメリカと中国が仲直りをして、そしてまたいつも通りの平和な日々が戻ってくるのだ。


「艦影が……多い!」

「外部カメラを何台か望遠モードにして確認しろ」

「は!」


 慌てる様子のビオンに冷静を装って指示を出せば、少しは彼も落ち着きを取り戻すかと思ったのだが、しかし、彼は別の理由で冷静さを取り戻すことになった。


「セプティミウス級軽機動駆逐艦六隻、イドリース級巡洋艦三隻を確認」


 確認された艦船の数は、とてもじゃないがいつもとは呼べない光景で、それが却って彼に作用したのだ。


「クレタ島基地に直ちにデータ送信。外部カメラ映像のリアルタイム送信も確立しろ。それから、備えられたし、との一文も忘れるな」

「イエッサ!」


 これはおかしい。何かが始まるのかも知れないし、こちらと同じように有事を警戒しているだけなのかもしれない。第五次世界大戦という、想定しうる限り最悪の有事を。


「ユニス、送信が終わったら他の二艦に最大限警戒するよう伝えろ。機動リンクを衝突回避モードだけにするともな」

「イエッサ!」


「ボアネルジェス、射出弁確認」

「射出弁確認。異常なし」

「自動火器管制システムも動作チェックをしておけ」

「イエッサー!」


「カリトン、どう見る?」

「艦長と同じ意見です」

「分かった」


「ビオン、眼を離すなよ」

「は!」


 このような事態になって、俺は自分が軍人であるとつくづく思い知らされた。相手の攻撃を想定し、どうすれば味方が有利に展開できるのか、どうすれば敵艦を効率よく無力化できるのか。今まで机上の空論でしかなかった座学の知識が、信じられない速度で自分の体を駆け巡るのだ。

 だが、俺たちが戦争を始めてしまうかも知れないということに恐怖も感じる。戦争なんてまっぴら御免だ。早くこの場から逃げ出してしまいたい。

 だけど、俺が逃げ出したらこいつらはどうなる?

 ガヴドス島の住民は、クレタ島の住民はどうなる?

 俺の家族はどうなる?

 恐ろしくて、恐ろしくて、それはもう恐ろしくてどうしようもないのだ。

 ああ、どうしてこんな任務を引き受けちまったんだろう。


 しかし、時間は待ってくれなかった。


「船体に複数の照準……、いや高出力光の照射を確認!」


 ブリッジに、絶叫にも似たユニスの声が響く。

 高出力光の照射とはつまり、レーザー兵器が俺のふねを貫く直前ということだからだ。


「ボアネルジェス! スチームチャフをたっぷりばら撒け!」

「イエッサ!」


「ユニス! 後退しつつ沈降蛇行機動だ! 着水をいとうなよ!」

「イエッサ!」


 あっちへこっちへと体が揺さぶられる。

 じきに水面が大きくうなって波立った直後、頭に響く工事現場のような耳鳴り。


「複数のレーザーが拡散しつつ頭上を通過! 我が方の損傷は軽微」


「ボアネルジェス! ぼさっとしてないで、すぐに反撃しろ!」

「スチームチャフが晴れるまでロックオンできません!」

「位置予測システムと自動火器管制システムをリンクさせて実弾を使え!」

「は!」


 それにしてもリビアの奴らは、いったい何を考えているんだ?

 URMに攻撃を加えるということは、NATO諸国を敵に回すのと同じだというのに。

 そのとき、俺にあるアイディアが閃いた。


「カリトン。さっきの艦影、いつもの奴もいたよな?」

「確かにおりました」


「スチームチャフの霧散まで残り二十秒」


 艦橋内にビアンの声が行き渡る。


「そいつに向けていつもの電波を発信してくれ」

「了解です。……む。艦長、緊急通信です」


「こんなときに誰だ?」

「クレタ島駐留軍司令官ソフォクレス・ガラニス閣下です」


「ち、面倒くさい。繋いでくれ」

「はは!」


「スチームチャフの霧散まで残り十秒」


「こちら、前線でクソ忙しいディスマス・サノスアキス少佐であります」

「やあ、運よく生きていたな。ご苦労。さて、手短に指示を伝える」

「は!」


「すでに交戦状態だが、NAEMAがイタリアと我が国に宣戦布告を行なった。これに対応するため、クレタ島駐留軍本隊はリビア北部方面艦隊と戦闘。同時に別動隊がリビア本土のベンガジを急襲する手筈になっている。ついては、ディスマス・サノスアキス少佐」

「は!」


「スチームチャフの霧散まで残り五、四……」


「直ちにクレタ島基地に帰還して迎撃部隊の指揮を執ってくれ」

「は! しかし、小官は――」


「いやとは言わせない。何しろここはもう戦場なんだから」

「は……は! 直ちに帰還します!」


 基地司令の通話が終わったと同時、スチームチャフの隠れ蓑は晴れ、沢山の四角いイカロス級と、イカロス級の二倍ほどはあるポセイドン級の細長い影が、次々と俺の頭の上を通過していった。


「カリトン、繋げ」

「はい」


 こいつはこんなときでも俺が何をしたいのか汲み取ってくれる。実に優秀な男だ。

 シェイクハンドが成功し、サーっというノイズが走る。

 肺に十分に行き渡るように大きく息を吸い、そして吐いた。


「ハロー。こちらクレタ島駐留軍ディスマス・サノスアキス少佐だ。リビアの友よ、今日の調子はどうだ?」

「おお、友人。先ほどの回避機動は見事だった」


「世辞はいい。NAEMAはいったいどういうつもりなんだ?」

「どういうつもりも何もない。私は軍人で、政府からの指示を遂行するだけだ。私見や私情など許されない。君もそうだろう?」


「あんたの意見はもっともだよ。実に正しい。だけどよ、何か戦争を回避する方法があったんじゃねえかと、俺は思うんだ」

「そのようなことは我々が軍人である限り、どうにかできることではない」


「そうか。あんたならそう言ってくれると思ってたよ。きっと、俺の心にけじめをつけたかったんだな。戦争に参加させられたことを、無理矢理にでも納得したかったんだな。……なあ、最後に聞かせてくれ」

「なんだ?」


「あんた、名前は?」


 小さなノイズだけが、やけに鮮明に聞こえる数瞬の間。


「リビア北部方面軍第一機動艦隊所属、ザーヒル・ザイヤート。さらばだ、友よ」


 なんでだよ。

 あんた、友だちじゃなかったのかよ。

 なんでさらばだなんて言うんだ。

 語り合った仲じゃないか。

 また、会おうぜ。

 友だちなんだろ?

 お互い生きてたら、だけどな。


 ああ、本当に戦争なんて


「くそったれだ」



  +-+-+ records over +-+-+


――発掘サレタ乙類KTJ-16817330664165285748号文書ノ復元及ビ再生ガ完了シマシタ。


――コノ記憶ヲ廃棄シマスカ?


    ハイ

 >> イイエ <<



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【マケドニア連合共和国】(United Republic of Macedonia。略称URM、または、マケドニア)

 2401年に成立した、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)とアルバニア、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ジョージア、およびこの物語の世界でポーランドとイランによって分割統治されていた旧トルコ地域からなる他民族連合国家。


【北部アフリカ同盟】(North African Economic and Military Alliance。略称NAEMA)

 2200年、第四次世界大戦の気配が漂ってきた頃、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドによって締結された経済・軍事協力同盟。

 2510年にイタリアとURMに宣戦布告した。


【ディスマス・サノスアキス】

 三十代後半の男性。

 ギリシャステイト国境警備隊クレタ島駐留軍特別哨戒警備任務部隊、通称ガヴドス分隊の部隊長。

 国境パトロール任務中にNAEMAの侵攻に直面し、基地司令の指示によりクレタ島基地に帰還。迎撃部隊の一部を任されるが、リビア軍の猛攻を防ぎきることはできなかった。


【アネーシャ】

 ディスマスの妻。三十代前半。アメリカと中国の大規模な軍事衝突が発生すると、ディスマスが太平洋の戦線に動員されてしまうと思い、気を病んでしまった。


【ニキアス】

 ディスマスの長男。十歳。


【ネリダ】

 ディスマスの長女。八歳。おませさん。


【ディスマスの部下たち】

 副官カリトン(男)、砲手ボアネルジェス(男)、システム操作技師ユニス(女)、索敵技師ビオン(男)


【空中機動艦】

 反重力機構により、空中を航行する軍艦の総称。

 長辺百メートルのイカロス級哨戒艦を基準とした各艦船の大きさは次の通り。

 セプティミウス級軽機動駆逐艦(1.2倍)、イドリース級巡洋艦(1.8倍)、ポセイドン級重巡洋艦(2倍)。

 イカロス級の外観は扁平な直方体で、他の艦船は概ね細長い直方体である。


【スチームチャフ】

 ミサイル等の誘導をかく乱するチャフと、光をかく乱してレーザー兵器を減衰させる水蒸気を散布する浮遊兵器。水蒸気はすぐに消えてしまうため、射出した卵状のコアからしばらくの時間、吹き出し続ける。


【ソフォクレス・ガラニス】

 ギリシャステイト国境警備隊クレタ島駐留軍司令官。

 無能ではなかったが攻撃を重視する傾向にあり、リビア本土のザンベジを占領することには成功したが、クレタ島基地は壊滅させられた。


【ザーヒル・ザイヤート】

 リビア北部方面軍第一機動艦隊所属イドリース級巡洋艦一番艦の艦長。クレタ島を占領した直後に退官し、NAEMAの外交部所属になった。

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