第六章 西暦3341年 ミハル・カザハナ 救済片

第一節

第十五話 レコード・ソーター

 僕の名前はミハル・カザハナ。

 ほのかに光る巨大樹【クレイドル】が林立する氷期の真っ只中にあって、人類の生き残りを模索し続ける国際機関【人類協力会議】、通称HCCの職員である。

 もう少し細かく言うと本会議、平和監視軍(Peace watch Force)、食料会議(Food Conference)、土地開発会議(Land Development Conference)、和平委員会(Peace Commission)、記憶監理委員会(Records Supervision Committee)からなるHCCの六つの組織のうち、記憶監理委員会RSC、そのカルイザワブランチ所属の末端職員、三級記憶採掘官だった。

 しかし、人類文明の維持、存続、更には復活の中核となる重要な組織のはずなのだけれど、なぜか他の組織からの視線は冷たく、僕ら記憶採掘官のことをあなぐらの番人などと馬鹿にしたように呼ぶ者もいるのだ。

 言いたい奴には言わせておけばいい。

 僕はこの記憶採掘官レコード・ソーターの仕事に誇りと喜びを感じているのだから。


 そう、喜び。


 僕はある野心的な目的のためにRSCに就職した。

 RSCの使命は、人類の記憶の採掘、保管、分別をして、文明の維持存続、過去の技術の復活を果たすことである。

 人類の記憶には当然、政治、宗教、科学、芸術……、その他あらゆるものが存在するのだが、記憶採掘官は制限がかかっているものを除いて、全てを閲覧することができるのだ。

 それが何を意味するか。


 賢明で健全な男子諸君なら既にお分かりだろう。


 エロだ。


 もう一度、言おう。


 エロだ。


 何度でも言おう。


 エロだ。


 職権で閲覧し放題なのだ。桃源郷なのだ。男の子の夢が詰まっているのだ。男の子の! 夢が! ロマンが!

 エロはいい。かつて人類はエロのために国を滅ぼし、エロのために科学技術を発展させてきたのだ。人類の歴史そのものと言っても間違いない。エロを極めること、それ即ち、RSCの使命そのものである。


 もっとも、エロは採掘されるレコードのごく一部でしかなく、全ての選別をしなければならないという職務上、冷静に見てしまうことが多いのだけど。

 夢っていざ叶ってしまうと、無味乾燥としたものなんだね。大人になるって、こういうことなのかも知れないね。

 それでも僕は、自分の可能性を諦めない。ロマンは追い求めるからこそ、ロマンなのだ。


「ファル助、午前中に保留にしていたこのレコードとこのレコードを復元再生してくれ」

「了解」


 僕は、右斜め前方に浮かぶ半透明のクラゲのぬいぐるみのような物体に声を掛けた。その腕の一本は、カルイザワブランチの端末に接続されている。

 一分か二分経った頃、先ほど指示をしたレコードが、ホログラムモニターに映し出され、横には採掘された年月日とレコードの推定年代、そして管理番号も表示されていた。


「こ、これは……、いい! 実にいい! たまらん! 当たりだ!」


 いくつも確認していれば、たまにはこういうこともある。湧きあがる情熱を抑えきれないほどの逸品を、僕は目撃したのだ。


「はーい、カザハナ君、そこまで。何が当たりなのか、私にも教えてくれるかなー?」


 プライバシーも何もない、覗き窓だらけの作業ブースの扉がキィと開く音。同時にしっとりと濡れた美しい声が僕の耳裏を撫でる。脳裏に浮かぶのは死、恥、切腹、これは仕事、色々な感情を表わす言葉。少しの硬直と大量の冷や汗が、この瞬間の僕の全てだったのかも知れない。

 だが、覚悟を決めて勢いよく振り返った先には、なんということだろうか。予想通りにカルイザワブランチの施設長が腕組みをして立っていたのだ。

 さらさらとした焦げ茶色のロングヘア―に理想的な曲線を描く柳眉、陶器のような肌、すらりと音が鳴りそうな百七十センチのスレンダーボディー。そして全てを見透かすような青い瞳がそこには在った。


「オリアナ・マンディス二級記憶採掘官殿! お疲れ様であります!」

「はい、お疲れ様。で、質問の答えは?」


「ただの薄いレコードであります! 二級の方が見るようなものではありません!」

「ふーん……。でも君、声を出しちゃったからねえ、君には向かないレコードだと思うんだ。そうでしょ?」


 いや、向きまくってるから声が出ちゃったんですよ。


「だから、私が選別を引き継ぐわ。こっちにデータを送って頂戴」


 く、なんという屈辱。だけど上司であるこの人に逆らえるわけもない。


「りょりょりょりょ、了解であります! すぐに送ります!」


 だが、これはいつものことで、この後もいつもの流れが続く、言わば茶番なのだ。


「むっほー、堅物メガネ生徒会長えっろ! たまらんでござるー!」


 ほら、オリアナさんの声が聞こえてきた。

 同志に気に入ってもらえて何よりだよ。

 だけど、いつもの茶番はこの後も続くのだ。それはもう茶番ではないのだけど。


「マンディス二級記憶採掘官殿! 何度も申し上げておりますが、作業の邪魔になるような大声はやめて頂きたい!」

「ひいぃ」


「それにカザハナ!」

「はいぃ!」

「お前もこっちに来い!」


 この実に男らしいバリトンボイスを張り上げるのは、アンセルム・フレーリン先輩だ。僕と同じ三級記憶採掘官の男性だが、仕事中は真面目の上に真面目を多層コーティングしたくらい真面目な人物なのである。しかも身長百九十センチの筋肉質で坊主頭などと、働く場所を間違っているんじゃないかと思うような外見をしているのだ。

 猛ダッシュでアンセルム先輩の元へ行くと、同志オリアナのブースの前では、仁王立ちをする先輩と、生まれたての小鹿のようにガクガクと震えるオリアナさんの姿があった。


「先輩! なんでありますか!」


 僕の身長が百六十六センチほどと、この中で一番背が低いのもあるが、アンセルム先輩の巨体は近くで見ると改めて凄みがある。こんな巨人が僕の頭の上から低音ボイスで語るのだ。


「お前、施設長に薄い本を見せるなと言っただろう!」


 薄い本。かつて地球上で大量に嗜まれた歴史書で、ここ日本が起源であったという。その魅力は、およそ千四百年の時を経た今でも、オリアナさんのような美人を残念な美人にしてしまうほどだった。


「は! 申し訳ありません!」

「ふぅ、仕事に戻らなくては」


 ドスンドスンと音を立てながら去っていく先輩がブースに入っていくのを見届け、僕は視線を隣のオリアナさんに移す。すると、彼女は口をパクパクさせて、独り言を呟いていた。これでは折角のベレッツァイタリアーナイタリア美人が台無しである。


「わわわわ、私から、薄い本をとったら、なななななな何も残らないではないか。あわわわわわ、どうしたら良いのだ」


 そこで僕は考えた。


「マンディス二級記憶採掘官殿」

「あわわわわ」

「マンディス二級記憶採掘官殿」

「あわわわ……、な、何だね? カザハナ三級記憶採掘官」


 まだ視線が怪しいが、少しは落ち着いたようだ。仕事というのは、こうも人の精神を浸食するものなのだろうか。


「屋外採掘の申請書を作成しておりましたので、完成したらすぐに提出いたします」

「ほう、珍しいな。どこまで行く予定なんだ?」

「アリアケです」

「ほう、アリアケか! 実にいい場所だな。うん、いい場所だ。君はよく分かっているじゃないか。採掘結果が今から楽しみでしょうがない。提出されたら最優先で承認してやるから、私をがっかりさせるんじゃないぞ?」



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【クレイドル】

 2550年頃に正体不明の科学技術集団ラヴクラフト財団から発売された、透明な保護膜テンイを発生させる技術群。ビニールハウスとも揶揄される。

 アメノミハシラと呼ばれる薄紫色に発光する棒を植えることにより、高さ3000mにもなる幹が伸び、それを中心とした半径30㎞以内をドーム状にテンイが覆う。


【人類協力会議】(Human Cooperation Council。略称HCC)

 西暦3215年にアフリカ諸国が中心となって結成された国際協力機関・国際利害調整機関。


【記憶監理委員会】(Records Supervision Committee。略称RSC)

 西暦3341年時点ではHCCの中で最も新しい組織。人類文明の復活等を使命として西暦3280年に設立された。


【三級記憶採掘官】(Record Sorter。略称RS)

 記憶採掘官はRSCの職員である。一級から三級まで存在し、三級は最も末端に位置する階級。広範な知識を要求される。二級は各施設の長、一級は各エリアを統括する。


【ファル助】

 FARG96型。愛称ファル。記憶採掘官一人につき一台が貸与されている西暦3296年式のアシスタントロボット。デフォルメされたクラゲのような見た目をしており、宙に浮いている。

 ミハル・カザハナ三級記憶採掘官はファル助というニックネームを付けた。


【薄い本】

 コミケなどで売られている市販ではない本のこと。同人誌。

 製作費の都合など諸事情でページ数が少なく、薄くなりがちである。

 全年齢を対象とした本や、真面目な解説書なども作成されるが、薄い本と言えば、通常はお子様が見てはいけないウッフンな本をさす。

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