第五章 西暦2510年 ディスマス・サノスアキス

第十三話 クレタ島駐留軍ガヴドス分隊分隊長

「ハロー、ハロー。こちらクレタ島駐留軍ガヴドス分隊所属イカロスだ。リビアの友よ、今日の調子はどうだい?」


 俺たちガヴドス分隊は、URMのギリシャステイトに所属する正規の軍隊だ。

 長々しく言うと、マケドニア連合共和国ギリシャステイト国境警備隊クレタ島駐留軍特別哨戒警備任務部隊と、どこで息継ぎをすればいいのか分かり辛い、実に冗長な名前になるのだが、当然、そんな長い名前は書類上だけでしか見かけないもので、大抵の軍の人間はガヴドス分隊と呼称している。それじゃあ、どこだか分かりにくいという場面があったときでも、精々がクレタ島駐留軍と頭に付ければ、何をする部隊なのかすぐに分かってくれる。


 さて、大して名前に拘りもない我が部隊だが、任務自体は重要で、とてもとても重要で、重要の上に重要を重ねすぎるくらい重要過ぎて、非常にのどかで退屈なものである。

 勿体ぶってみたが、部隊名そのままにクレタ島の南西沖、つまり地中海上の目に見えない国境のパトロールと、国境ギリギリで拾える敵国リビアの情報収集及び解析が主要任務だ。

 敵国などと言ったが、実際は仮想敵国である。

 ここクレタ島の領有を巡ってリビアと戦闘になったことはあるのだが、しかしそれも三十年も前の話だ。

 和平がなされた今は、小競り合いもほとんど起きず、また、こちらもリビアも、わざわざ国境線ギリギリまで出て挑発することも無い。前線任務のくせに実にのどかなのだ。


 余りにものどかで暇で退屈で本日はお日柄も良くお昼寝が捗りそうな状況を見かねた、このクレタ島駐留軍特別哨戒警備任務部隊部隊長であるディスマス・サノスアキスこと俺は一計を案じて、ある作戦を実行に移すことにした。

 もちろん、上の許可など取らない。特別部隊だから、ではなく、面倒くさいからだ。もちろん、このことがバレればもっと面倒くさい事になるのだが、それはそれで退屈な日常に潤いを与えて……、くれそうにはないな。

 だが、情報を得るための広範な裁量が付与されていたような記憶もあるし、クレタ島駐留軍司令官殿には毎度毎度、報告書を提出しているから、きっと大丈夫なのだろう。

 正直なところ、上の許可も得ずに思い付きでやっちゃったから、引っ込みが付かなくなっているという言い方がもっとも的確であろうと思料する。


 では、俺たちの部隊、いや、俺がいったい何をやらかし続けているかというと、それはリビアの北部方面軍国境警備隊にちょっかいをかけることだった。

 もちろん実弾は使わないし、そもそも攻撃でもない。


 ただの無線電波通信だ。

 それも軍用のものではなく、接続と切断をデジタル暗号化処理したのに、その間の音声通信を大昔の遺物とも言えるアナログ電波にした、変態にしか需要がないようなものだ。それを、警備任務でたまにすれ違う向こうリビアの空中機動艦にぶつけてやる。

 だいたい戦争中でもないのに、俺のイカロス級哨戒艦の二倍近くもあるイドリース級巡洋艦をパトロールに出しているのも気に入らない。あんなのが艦隊を組んでウロウロとしているのだから、URMも対抗してクレタ島基地にポセイドン級重巡洋艦などを配備することになってしまうのだ。


 ――おっと、そんなことを言っている間に繋がっちまった。

 まったく、そう簡単には接続できないような電波を当てていたというのに、わざわざ解析して繋いでくるなんて向こうも相当に退屈なのだろうなと、最初はそう思ったのだが、今では逆に繋いでくれないと物足りなくなっているのだから、人間というのは不思議なものだと思う。


『こちら、リビア北部方面軍国境警備隊だ。今日も平和で良いことだな』

「ああ、いいことだ」


 すれ違うと言っても一キロ以上は離れているから、お互いに大した緊張感もなく、挨拶程度の言葉を交わして、通信を終わらせる。それがここ二年くらいの日常だった。

 相手の声はいつも同じ。まるで規則が軍服を着ているような声の重さと話し方の男だったが、なぜだかこちらの悪ふざけに付き合ってくれている。

 日常、とは言ったが俺たちガヴドス分隊は五つの班に分かれて交代で任務に当たっている。一つの班は休暇が多い通常の基地勤務で、残りが警備哨戒任務といった具合で、基地勤務のときには当然、そんな暇つぶしはできない。そして、相手も交代で動いているようで、毎日、挨拶を交わせるというわけでもなかった。

 けれど、油断か、あるいは心のどこかで友人だと思っていた節があったのかも知れない。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「パパなんて大っ嫌い! 近寄らないで!」


 ある休みの日、八歳になる娘のネリダがそんな恐ろしいことを言うのだ。いつかそんなことを言われるだろうと思っていたけれど、実際に言われてみると、パパはしょんぼりだよ。


「お父さん」


 おお、我が息子ニキアスよ。君はパパを慰めてくれるのだな?


「かっこ悪いな」

「ふぐぅ……」


 つ、妻は!? 妻のアネーシャは、ど、どうなんだ!?


「あなた、今だけだから」


 流石、アネーシャだ。そのアルカイックスマイルが美しすぎるぜ。


「あと十年もすれば大丈夫よ」


 え? 噓でしょ? 本当なの? 十年もネリダの頬っぺたをムニムニできないの?

 ああ、俺はこれから何を楽しみに生きていけばいいのか……



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「そんなことがあってなあ。ボアネルジェス、お前のところの娘はもう結構大きかったろ。どうだった?」


 立ち直れないまま任務に戻った俺は、気を紛らわせるために部下に聞いてみることにした。

 ボアネルジェス。癖毛の黒髪短髪でごつごつとした顔のこの男は、十六歳で入隊してその年のうちに結婚し、翌年には娘が生まれている。

 俺の五つ下だが、娘はもう十六か十七になっているはずだ。


「ああ、私も言われたことがありますけどね、つい最近ですよ。八歳でそんなことを言うなんて、艦長の娘さんは随分とおませさんですね。近々ボーイフレンドを紹介されるかも知れませんよ?」

「なん……だと?」


 そうか、そういうことか。

 ネリダ、お前ボーイフレンドができて、パパのことが邪魔になっちゃったんだな。


「ボアネルジェス! 今すぐそいつを始末しに行くぞ! まずは対象者を特定しろ!」

「いや、艦長、冗談ですよ、冗談」


 そうだよな。俺のかわいいネリダが八歳でお嫁に行っちゃうとか、そんなことないよな。俺が絶対許さないよな。


「でも、どうなんだろうなあ。ユニス、お前が八歳の頃はどうだった?」


 ユニスは俺のふねの数少ない女性だ。見た目はやはり厳ついが、やたら透明感のある声をしていて、頭の回転も良い。


「私もそういう時期がありましたけど、すぐにおさまりましたから、十年も待たなくても大丈夫ですよ」

「そうか。ユニスが言うのならそうなんだろうな」


 ユニスのことだから、気を遣ってくれているのだろうが、パパの心のダメージは少し回復したよ。


「艦長、いつものイドリース級が見えました」

「ビオン、お前のところは……、あ、早く彼女できたらいいな」

「そんなことはどうでもいいですから。イドリース級見えましたよ」

「ネリダのことをどうでもいいとはなんだ! お前になんか絶対に嫁にやらないからな!」


「サノスアキス艦長。ビオンはいつものご友人かも知れないと、報告をしてくれたのです。艦長として対応を指示してください」

「お、おう」


 俺とビオンの楽しい会話を諫めたのは、副官のカリトンだった。

 丸坊主に近い短髪に細眼鏡と、見た目と同じようにどうにも堅物だが、意外と融通が利く部分もある。不法音声通信をやるぞと言ったときも、ここまで変形するのかと思うくらいに顔をしかめていたが、傍受されるリスクを低減するために、シェイクハンド方式にしましょうと提案したのもカリトンだった。


「ビオン。指向性電波、発信」

「イエッサ。指向性電波を目標に向けて発信します。……シェイクハンド成功、音声通信プロトコル確立。艦長席に権限譲渡」

「よし」


 サーっという小さなノイズが流れてくるのを確認すると、椅子の脇にある後付けの端末に向けていつもの挨拶をする。


「ハロー、ハロー。こちらクレタ島駐留軍ガヴドス分隊所属イカロスだ。リビアの友よ、今日の調子はどうだい?」

『ギリシャの友よ。こちらはいつも通りだ。……ところで、元気がないようだな?』


 ノイズ混じりの相手の声は、相変わらず渋く重く響く。俺はその声にも影響を受けたのかも知れない。

 一秒。

 サーっという一秒の間のあとに俺は口を開いた。


「実は、娘に大っ嫌いって言われちまってさあ」


 視界の端でカリトンが目を丸くし、辺りには再び小さなノイズだけが流れる。

 自分でもしまったと思ったのか、一秒が長く感じられる。

 けれど、ノイズは相変わらず流れ続けていた。


『私も、』


 その声は渋くて重い。


『私も娘に言われたことがある。娘を持つ父親なら一度は通る道なのだろう。いずれ時が解決してくれるが、それが耐えられないと言うのなら、私のようにプレゼントをしたらどうだろう』

「プ、プレゼント……」

『うむ、プレゼントだ。そのときはリビパンダというパンダのキャラクターが大人気でな。そのぬいぐるみをプレゼントしたら、あっという間に機嫌を直したのを思い出した。懐かしいことだ』


 そのとき、重く暗い雲が覆っていた俺の視界に、一筋の光明が見え、次の休暇のときに犬のような猫のような、子供に大人気だというキャラクターのぬいぐるみを買って、ネリダにプレゼントしたのだ。

 彼女は「私、もう子供じゃないからこんなぬいぐるみで騙されないんだから」などと、どこで覚えたのか分からないセリフを言って、柔らかい頬っぺたを膨らませていたのだが、その目は実にキラキラとしていて、嬉しさを隠しきれていなかった。


 それ以来、その渋くて重い声の持ち主とは、お互いにプライベートなことを話すようになった。

 それでも軍に関わることは話さない。

 これでも俺は軍人なのだから。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「あんた、最近発売されたイアン・ケンドールの探検記はもう読んだかい?」

『イアン・ケンドール……。生憎と読んだ事はないが、売れているらしいな。リビアでも話題になっているよ。その本がどうかしたのか?』


 今日も俺は、名前も顔も知れない、ただ、渋く重たい声の男と、他愛もない世間話を楽しむ。


「どうやら太平洋上には、氷期の影響を全然受けてない、春のように暖かい国があるらしくてな、そんなところがあるのなら、是非、一度はこの目で見てみたいんだ」

『ほう、それは興味深いな。そこで大規模な農地を運営できれば、食糧不足も少しはましになるかも知れん』


「そういう着眼点もあるか。食糧不足が改善されれば戦争も少しは減って、俺たちの仕事も少なくなる。いいことずくめじゃないか」

『聞かなかったことにしておくが、だが、そのような場所が今まで全く知られていなかったというのなら、作り話か、どこぞの軍の機密施設なのやも知れぬぞ』


「言われてみれば、そうかも知れないな。ま、面白いのは間違いないから読んでみてくれよ。俺も息子に買ってやったのに、自分ばっかり読んで息子に怒られちまったくらいだからさ」

『ふふ、覚えておこう。では、またな』



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 そんな話をした記憶も新しい、或る非番の日。

 世界的な食糧不足の最中にあっても、軍人である俺の家族にはURMから少し多めに食糧が配給される。

 それは俺が軍隊に居続ける理由にもなっているのだが、家族四人の慎ましいランチの時間に、そのニュースは飛び込んできた

 四人掛けの机と椅子に俺と妻アネーシャ、そしてニキアスとネリダが向かい合わせに腰掛ける。俺はネリダが一生懸命にカッペリーニを頬張る様子を眺めていたが、その視界の端でアネーシャの顔が急に引きつったのだ。

 視線を追えば、妻は机の横に投影されるニュース動画を凝視していた。睨み付けているといってもいい。


『繰り返しお伝えします。本日、正午ごろ、中国領ルソン島から東に二百キロメートルの海域で、アメリカ空軍と中国海軍の大規模な衝突が発生しました。戦闘は今も継続中です。我が国の対応について大統領府は次のように――』



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【マケドニア連合共和国】(United Republic of Macedonia。略称URM、または、マケドニア)

 2401年に成立した、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)とアルバニア、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ジョージア、およびこの物語の世界でポーランドとイランによって分割統治されていた旧トルコ地域からなる他民族連合国家。


【北部アフリカ同盟】(North African Economic and Military Alliance。略称NAEMA)

 2200年、第四次世界大戦の気配が漂ってきた頃、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドによって締結された経済・軍事協力同盟。


【ディスマス・サノスアキス】

 三十代後半の男性。

 ギリシャステイト国境警備隊クレタ島駐留軍特別哨戒警備任務部隊、通称ガヴドス分隊の部隊長。


【アネーシャ】

 ディスマスの妻。三十代前半。


【ニキアス】

 ディスマスの長男。十歳。


【ネリダ】

 ディスマスの長女。八歳。おませさん。


【ディスマスの部下たち】

 副官カリトン(男)、砲手ボアネルジェス(男)、システム操作技師ユニス(女)、索敵技師ビオン(男)


【空中機動艦】

 反重力機構により、空中を航行する軍艦の総称。

 長辺百メートルのイカロス級哨戒艦を基準とした各艦船の大きさは次の通り。

 セプティミウス級軽機動駆逐艦(1.2倍)、イドリース級巡洋艦(1.8倍)、ポセイドン級重巡洋艦(2倍)。

 イカロス級の外観は扁平な直方体で、他の艦船は概ね長い直方体である。


【イアン・ケンドール】

 イギリスの探検家。

 ケンドールはキャンプグッズ、登山グッズを製造する老舗メーカーであり、彼はそこの三男坊だった。

 西暦2500年から約10年かけて氷期に突入した世界を旅した。

 旅行中から探検記の執筆を続け、帰国後、わずかな期間で出版。

 探検記は大ベストセラーとなった。

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