第四章 西暦3000年 シモダ

第十一話 トラの家族

 灰色の空の下、フワフワと小さく白い雪が舞い降りる。


 舞い降りた先の茂みには、三人の男たちが距離を取って潜んでいた。

 視線が交差する先にいるのは、大きな雄鹿。木の皮を器用にはがしながらの、食事の真っ最中である。


 三人の中でもっとも体格に恵まれたひげもじゃの男が、小振りの弓を斜めに構えてまずは一射。

 それを見た残りの二人も同じように射かければ、大きな雄鹿も何度か体を重く跳ねさせたあとは、そのまま、どうっと、白んだ地面に横倒しになった。

 二人がすかさず駆け寄り、握りしめていた石を雄鹿の頭部にごつんとぶつけて、確実にとどめをさす。


 つま先から頭の先まで毛皮に身を包んだ三人の男は、そうして声を掛け合うこともなしに雄鹿を解体し、不愛想な顔で集落へ戻るのだった。


「おう。トラ、エイヌ、それにオトクマ。お帰りよ」

「ツルばあ、ただいま。滅多に出てこない大きな鹿が獲れたぞ」


「あれまあ。これは立派なものだねえ。これだけあれば、儂らの家族だけなら四日はもちそうだ。ところで骨と角は?」

「細工師に渡してきた。あとでナイフをこさえてくれるとさ」


「そいつはいいね」

「ところでそっちはどうだったい?」


「ま、あんまりよくはないね。四人で行ったけどいつも通りだったよ」

「そうか。少しでも木の実が採れるだけましと思わなければなんねえな」


 先ほどの毛むくじゃらの大きな男トラたちの仕事は狩りで、白髪の老婆ツルたちの仕事は木の実の採集と、家族の分担が決まっているのだろう。


「おっとう、お帰り」


 地面を掘り下げて屋根をかぶせた住居にトラが帰ると、中は暖かい空気と炭のニオイが充満していた。すぐに彼をしっかと視界に捉えた、ちっちゃな男の子がトテトテトテと走り寄る。


「ただいま、オトサル。母さんの言うことを聞いていい子にしてたか?」


 トラとしては、オトサルを兄のエイヌ、オトクマと同じように狩りに連れていきたいのだが、いかんせん、オトサルはまだ四歳と小さすぎる。ここは、住んでいるシモダ集落の掟に従って、母のツルや妻のフジたちと木の実や海藻を拾いに行かせるしかないと、やきもきしているのが現状だ。


「うん、いっぱい木の実ひろったよー」

「そうかそうか、そいつは偉かったな」

「うん、えらかったー」


 そして彼らは木の実をすりつぶしたものと海藻を煮込んだスープと、焼いた鹿肉を食べて、満足そうに一日を終えるのだ。


 翌日は快晴だった。

 この日も彼ら家族は狩猟組と採集組に別れて、食糧の確保に出かける。

 狩猟組は集落から少し登り、アスファルトが残る道路跡を横断して、森に入っていった。

 採集組は、集落から下に降り、やはり同じようにところどころにアスファルトの面影が残る道路を横断して海岸に出て、岩場や大きなコンクリートの塊に打ち上げられている海藻や貝などを拾う。

 採集組が予定の量を取り終えたら、今度は集落に戻り、食糧が取れなかったときに備えて、干し肉など、乾燥保存食作りに励むのだ。

 それが、彼らのご先祖様が四百年前にここ伊豆半島シモダに住みついて以来、選択し続けてきた生き方だった。


 今日も彼らは、風に揺れて光彩の衣を纏う巨大樹など目もくれずに、一日を生き延びられたことを自然に感謝し、平凡な一日を終えるのだった。


 けれど、寒冷化は何も人間だけに影響を与えたわけではない。


「トラ。ちょっと耳を貸せ」

「おう、鍛冶屋の。お前から声を掛けてくるなんて珍しいな。何かあったのか?」


「あったあった。真面目な話だからよく聞けよ」

「おう」


「どうも近くでヒグマを見掛けたやつがいるらしい。それも普通のヒグマよりも一回りも大きいという話だ」

「……そいつは良くないな。村長むらおさはなんと言っている?」


村長むらおさは集落の外に出るときは、必ず鳴り物を身に着けて集団で行動するようにと言っていたらしいぞ」

「確かにそれしかないだろうな。うちの連中にも伝えねばな」


「そうそう。その大きなヒグマのことをヌシと呼ぶことも決めたようだ」

「ヌシ? 分かったヌシだな」


 シモダの集落の住民たちは、それ以来、骨や木で作った鳴り物を身に着けて、集団で行動していたのだが、それでもついに犠牲者が現れてしまった。


「あなた、ツルばあが!」


 妻のフジからトラに告げられたのは、母のツルがヌシに攫われたという事実。詳しく事情を聞けば、ツル、フジ、長女のナベ、三男オトサル、そしてまだ生まれて一年も経っていない次女のハシ。

 この五人で集落に一番近い林に木の実の採集をしていたところで、巨大な熊が猛然と走り寄ってきて、最も外側にいたツルをはたいて昏倒させた。そしてそのまま咬みついて、ずるずると集落から離れた方向に引きずり込んでいってしまったということだ。

 そのことはすぐにトラの口から村長むらおさに報告されて、直ちに集会が開かれた。その集会ではほとんどの男が、ツルばあを救出すべし! ヌシを討伐すべし! と声高に主張し、その日の夜のうちから、狩猟の経験が豊富な男たちを中心にして山狩り衆が編成された。その男たちの中には当然のようにトラとその長男のエイヌ、次男のオトクマも混ざっている。


 そうして五十名ほどの男たちが三手に別れ、松明を掲げながら暗い林を捜索したのだが、三日経ってもヌシは見つからず、代わりにしわがれた人の左手と思われるものが見つかったことにより、意気消沈として山狩りは中止されたのだった。


「ねえ、ツルばあはどこに行ったの? まだ帰ってこないの?」


 ヌシに連れ去られた現場を目撃していたであろうオトサルの、その無邪気な言葉がトラとフジの心を更に消耗させていった。



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【トラ】虎

 家族を支える四十代前半の大男。


【フジ】藤

 トラの妻。


【ツル】弦

 トラの母親。


【ナベ】鍋

 トラ夫妻の長女。二十代前半。松ぼっくりが苦手。


【エイヌ】兄犬

 トラ夫妻の長男。二十代前半。集落の掟に反して、十歳になる前からトラに狩猟の技術を教え込まれた。


【オトクマ】弟熊

 トラ夫妻の次男。十代後半。集落の掟に反して、十歳になる前からトラに狩猟の技術を教え込まれた。このことがばれ、トラは危うく集落を放逐されかけた。


【オトサル】弟猿

 トラ夫妻の三男。四歳。オトクマの件で里長にひどく叱られたため、狩猟の技術を教えたいのに教えられていない。


【ハシ】箸

 トラ夫妻の次女。九か月。フジかナベにおんぶされている事が多い。

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