第二十九話 オリアナ・マンディス
『落ち着いて聞いて。カルイザワブランチが武装した暴徒に襲撃されているわ』
――眩暈がした。
世界が傾いて、けれど僕はスノウビートルの運転席に真っ直ぐに座っていた。
オリアナさんとアンセルム先輩の笑顔が頭に貼り付く。
世界は傾き続けた。
「どうしよう。どうしようどうしよう。どうしようどうしようどうしよう。そうだ。……た、たす、た、たすたす、助け、助けに、……すぐに助けに行かなくちゃ」
『何をバカなことを言ってるの!? 相手は武装した集団なのよ?』
相手の反応で、自分が声を出していたことに気が付いた。
傾いた世界は徐々に熱を帯び、自分が何をしたいかがはっきりとしてきた。たとえそれが衝動からくるものであったとしても。
「お願いです。近くまで、近くまででいいですから、すぐに運んでください」
僕とファル助なら助けられると、きっと傲慢になっていた。
『ふぅー』
重く長い溜め息。けれど、アトランティエさんはお願いを聞いてくれた。
『……いいわ。PwFが急行してるから、あなたが到着する頃には鎮圧されているでしょうしね。だけど、くれぐれも暴れている人間に近づいちゃだめよ』
「ありがとうございます」
そうして僕は、つい二日前にサンタクロースと遭遇した、あの開けた雪原に降ろされた。
「ファル助、全速力で頼む」
「了解」
雪煙を巻き上げて、木々の間を抜けていく。
無事であってくれと思う僕の気持ちに反して、カルイザワブランチの方向からは黒煙が上がっていた。木々が車の横を通り過ぎるたびに黒煙は大きくなり、だが、敷地内に入った頃にはすっかりと見えなくなっていた。
黒煙の跡、RSCカルイザワブランチの駐車場には、暴徒と思われる老若男女が後ろ手に縛られて一か所に固められており、その周りを三名のPwFの兵士が銃を構えて囲んでいる。
路面にはプラカードと何かの残骸と思われるもの、血だまり、少し前まで暴徒だった肉片などが無造作に散らばっていた。
もう、終わったのだ。
僕は安堵し、だけど、心配した。
入口にいたPwFの兵士にリーフィの記憶採掘官証票を見せて内部に入る。
入口の鉄の扉は変形し、今のままではその役割を果たすことはできないだろう。
内部はオレンジ色の非常灯だけが点いていて、より薄暗い。
「先輩!」
正面の壁、案内板の下にアンセルム先輩が座り込み、背中を預けていた。
「カザハナか。よく戻ったな」
「大丈夫なんですか?」
座り込んでいたから、てっきり大怪我でもしているのか思ったが、痣になっているところや血が出ている箇所は所々あるものの、骨折や欠損などは見当たらない。その手に持っている多針スタンガンや己の肉体で上手く立ち回る姿が想像できた。
「ああ、この通りだ。全く問題はない。だが、機材の多くが破壊され、おまけにマンディス施設長が――」
「オリアナさんがどうかしたんですか! まさか死んだ……、なんてことは」
「違う。そうじゃない」
「違う?」
恐らくこのときの僕はとても間抜けな顔をしていたことだろう。それは、この後の僕の表情をより引き立たせるのに効果的であったはずだ。
「オリアナ・マンディスが裏切った」
「へ? うら、裏切った!? オリアナさんが裏切ったってどういうことですか? 裏切ったってどういうことなんですか? どうしてオリアナさんが裏切るんですか?」
「そんなことは俺も知らん。だが、彼女は裏切った。俺の目の前でな」
「うそ、嘘ですよね。僕をからかっているだけですよね? どこかに隠れていて、脅かそうとしてたりするんですよね? だってそれを認めてしまったら――」
「落ち着け。彼女が何をしたか簡単に話してやろう。発端はエントランスが急に騒がしくなったことだ。俺が様子を見に行くと、警備が押し切られ、一名の暴徒が侵入したところだった。急いでそこにあるレバーを操作して隔壁を閉じ、中に入り込んだ暴徒を探し出して拘束した。だが、エントランスに戻ってみると、オリアナ・マンディスが隔壁を開けていたところだったんだ。そうなると、もう無数の暴徒、というか記憶奪還戦線の連中だな。それがあっという間に何人も侵入してきて、ご覧の有様というわけだ」
「……オリアナさんはどこに?」
「分からん。少なくとも所内にはいないし、そればかりか暴徒にも襲われずに、外に悠々と歩いていったという話もある。嘘だと思うなら自分の目で納得するまで探してみろ」
「はい……」
僕はふらふらと彷徨うようにオレンジ色のカルイザワブランチを見て回った。燃やされた跡、無理矢理機材を持ち出そうとしたような跡、へし折られたブースの壁、割れたガラス……
大して広くもない施設を二周したところで、やはりオリアナさんの姿は見えない。
「そうだ。仕事、しないと」
僕は足裏の感覚が分からないまま、オレンジ色の暗闇を歩き、焼け焦げたブースに入った。
「ファル助、接続して」
「マスター。機材故障により接続不可能です」
「そんなことはない。いいから接続するんだ」
「繰り返します。現在の状況から――」
「カザハナ、もう帰って休め」
いつの間にかアンセルム先輩が肩に手をかけていた。
僕は現実を思い出し、力なく頷くことしかできなかった。
「念のため、スタンガンとFARG96型も持っていけ」
今度は「はい」と小さく返事をして、カルイザワブランチを後にした。
そして足取り重く職員寮へ向かう道すがら、アトランティエさんに音声通信をリクエストする。
「――、ええ、ええ、はい、はい、そうです。カルイザワブランチでは当分の間、解析ができなくなってしまいました」
『カルイザワブランチの原状回復は支援するけど、あなたが財団にレコードを送信してくれたお陰で、依頼に支障はないわ。こちらの機材で解析を行なえばいいだけの話ね。それから、オリアナ・マンディス二級記憶採掘官の捜索の件も、財団から職員を派遣しているわ』
「僕もオリアナさんの捜索に混ぜて頂けないでしょうか」
『カザハナさん、少し落ち着きなさい。あなたが捜索に加わったところで、こちらの手間が増えるだけ。分かるでしょ?』
「……申し訳ありません」
『でも、あなたには別の仕事を頼みたいの。ヒノで採掘されたレコードの選別をね。だから、こんなときで悪いけど、職員寮の前に迎えを寄越すから、準備ができたらファル助と一緒に外に出てきて欲しい。あ、この件は、マイルズ・サトウ記憶監理官に通してあるから安心して』
この人は相変わらず、準備が良いというか切り替えが早くて結構なことだ。お陰で僕も気持ちが上向いたような気がする。
―― ❄ ――― ✿ ――
その夜、荷物をまとめた僕は、ファル助と職員寮の外に出た。荷物といっても、多針スタンガン以外は着替えが何日か分だけで、大したものはない。
外は暗かったが、月は明るく、大きな車が停められていることが分かった。
――ソリッドトイ甲型。
一目でピンときた。それはヒノで見たものと同じ型の車。今どき珍しい六輪で、後部座席の辺りは窓の代わりに装甲板があり、見た目は旧世代の装甲車を彷彿とさせる。
その装甲車の前に、一人、立っていた。
サンタクロースのお面を被り、緑色のスーツに身を包んでいる。髪の毛は長く、恐らく黒い。
その外見は、月明かりの逆光でいっそ恐怖すら覚える。
「ミハル・カザハナ様でいらっしゃいますね? どうぞこちらへ」
聞こえてきたのは、男性の濁りの無い甘い声。
促されるままに、側面のスライドドアから後部座席に上がり込んだ。
中は簡素なもので、広い以外はスノウビートルとあまり変わらない。だが、窓はなく、運転席との間にも壁がある。
「それでは財団の施設にご案内いたします。到着までごゆるりとお過ごしください」
突如現れたホログラムモニターに先ほどの男が映し出され、出発を告げるとすぐに消えた。
僕はこれからどこに連れていかれるというのだろう。
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